長尾山 長福寺 (笠岡市山口778)

本尊 阿弥陀如来

開基 元慶年中理源大師聖宝

中興 元禄二年好圓和尚

古墳群の中に伽藍構える 

 笠岡市から矢掛町、美星町の三市町を結ぶ県道笠岡美星線を北上していくと北山手の中腹に新しい大きな屋根が見えてくる。長尾山長福寺の本堂である。道沿いに立てられている看板に従い、県道に沿って流れる小田川の支流・長迫川を渡って山道を登っていくと同寺に到り着く。
 長福寺の創建は元慶年中(877−885)。天平年間(729−749)に行基菩薩が開基したと伝えられる神護寺六坊の一つ長福坊として創建された。開山は理源大師聖宝である。延喜五年(905)にその長福坊が、現在の場所に移転して長福寺となった。移転後の寛文年間(1661−73)には、国家儒教の影響で堂塔、宝物がことごとく焼失するという事態に遭っている。しかし、その後、元禄二年(1689)には好圓和尚によって再建中興されている。
 長福寺の本尊は阿弥陀如来立像。藤原末期作といわれている。本堂は昭和十四年圓明住職によって建てられたもので、庫裡は明治期のものである。屋根は平成五年から六年一月にかけて葺き替えられたばかりで、光輝き遠くから見た景観も素晴らしい。
 長福寺の裏山一帯には、笠岡市指定遺跡の「長福寺裏山古墳群」があり、四基と一群の古墳がある。
 この古墳群は、備中西部最大規模を誇るもので、東から東塚、仙人塚、一シ塚、二つ塚、七つ塚などで、古墳時代中後期のものが裏山尾根沿いに東西に存在している。
 昭和三十六年の調査でこの古墳群は、七つ塚を除いた残りの古墳は既掘のものである。東塚は南半のほとんどが開墾により崩されていたが、推定すると全長約五○メートル位の前方後円墳であったと推測されている。
 また、長福寺の近くには、太宰治らと「海豹」を創刊し、その後『出石』『初恋』『大陸の細道』『耳学問』『茶の木』などの作品を遺す小説家の木山捷平の生家もある。

年中行事

正月 修正会 2月 節分会
3月 御影供、彼岸会 4月  仏生会
6月 降誕会 8月 施餓鬼会 
9月 彼岸会 11月 英霊追悼法会
その他結衆寺院による祖師講    

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より