富岡山 月性庵(笠岡市富岡749)

本尊 弥勒菩薩

開基 慶長十一年月性尼

開山 明治四十年智學恵倫尼

木村長門の守重成の母堂が開創

 JR山陽本線笠岡駅から旧国道を東へ約四キロほど進んでいくと、山手の高いところに墓地が見えてくる。旧国道をそれて細い道を登っていくと富岡山月性庵にたどり着く。途中には、養牧場や養鶏場があり、牛舎や鶏舎が建ち並んでいる。
 笠岡駅から月性庵までの途中には、旧国道沿いに第六十八番地福寺があり、さらに地福寺と月性庵の途中には第六十四番吉祥院もある。
 月性庵の創建は、豊臣時代の名残りがまだ存在していた江戸時代初期の慶長十一年(1606)頃とされている。
 月性庵を開いたのは、木村長門守重成の生母・月性尼である。重成は、元和元年(1615)に大坂冬の陣、夏の陣で豊臣側について戦い夏の陣で亡くなった武将。
 豊臣秀吉亡き跡、徳川家康の天下となったが、徳川と豊臣との間に再び戦が起こると察した重成は、母の身を案じて、当時重成の郎党だった仁科長次郎に命じて、月性尼を笠岡に移住させている。そして重成の母は、慶長十一年の遍照寺の多宝塔相輪上築の曰に当時遍照寺塔頭だった西明院で剃髪し、月性尼を名乗り、現在地の富岡に月性庵を構えている。
 その後、約三百有余年を経て廃れ果てていた月性庵を中興したのが先代となる智學恵倫尼である。明治二十三年(1890)生まれ。三原市田浦町の植田新藏の五女で、明治三十四年に剃髪している。治四 十年(1907)に月性庵に入り、昭和三十九年七月二十一曰、七十五歳で入寂している。
 その跡を承けて、昭和四十年九月十八曰に住職となった隆光住職は中興第二世ということになる。現在の建物は約五十年前、智學恵倫尼が再興したものである。
 また、梵鐘は、同住職が昭和三十五年に鋳造したものである。また、平成五年から庫裡の増築事業が進められ夏に完成している。

年中行事

3月 御影供 4月8日 花まつり仏生会
8月 盂蘭盆会 その他春・秋彼岸会 

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より