懺海庵 (笠岡市神島内浦瀬戸)

本尊 地蔵菩薩

懺悔して出発。満願してお礼詣りした起点

 懺悔して出発。満願してお礼詣りした起点笠岡港の南約三キロの地にある神島が陸続きになったのは昭和四十五年の神島大橋の開通による。さらに、笠岡湾干拓によって市の中心部がいっそう近くなった。それまでは神島の人々は船で往来していた。その船の渡し場として発展した集落の中に、お堂を構えるのが懺悔庵である。
 笠岡市街を抜けて国道2号線から神島方面へ入ると、一番最初に神島大橋を渡る。すると正面に大きな厄除神島大師像が迎えてくれる。その交差点を左に入り、集落の中にあるのが懺悔庵である。ちょうど三叉路の間に本堂と庫裡が建っている。
 本堂の横、三叉路の問に「巡拝道標基点」と彫り込まれた高さ一・五メートル前後の石碑が建っている。神島大橋が架かるまでの巡礼はここを起点として巡礼が始まった。笠岡市はじめ倉敷市、福山市、笠岡諸島などから船で渡った遍路さんはまず、札所の番外である徴悔庵に参拝する。
 ここで、それまでの俗世間での行為を懺悔して、初めて札打ちが始まる。これは本四国でも他の霊場でも見られないもので、神島霊場独自のものであり、ここらあたりに懺悔庵の由来がありそうだ。そして、満願すると、お礼詣りをして、神島を後にして船に乗ったという。今は、渡し船はないが、同庵近くには民家が密集しており、遍路姿で賑わった往時を彷佛させる。 また、境内には本尊の地蔵菩薩と同じように、高さ四メートルはあろうか、という石仏の地蔵尊が建っている。地蔵尊はお釈迦さんが亡くなってから次の仏になることになっている弥勒菩薩が、この世に現われるまでの五十六億七千万年の間、観音菩薩と共に、仏に代わって衆生の苦しみや悩みを救うことから〃代受苦〃の菩薩ともいわれ信仰を集めている。神島霊場に参詣した人々も、ここで地蔵尊の代受苦のご利益をいただいたに違いなかろう。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より