阿弥陀庵 (笠岡市神島内浦福浦)

本尊 阿弥陀如来

信仰の島・神島に根付いた弥陀信仰

 信仰の島・神島八十八カ所霊場の第六十八番札所の近くにあるのが阿弥陀庵である。現在の阿弥陀庵は福浦地域の公民館と〃同居〃している。一見、公民館の看板を見ると驚くが、この庵が、地域住民の信仰を通じたコミニュティの場として発展してきた経緯を聞かされるとうなづくことができる。
 神島霊場は今から約二百五十年前の寛保三年(1743)に開創された霊場である。島の周囲十六キロで、地形、気候、風土とともに本四国と類似していることから〃ミニ四国〃として遍路姿が絶えることがない。
 こうした札所とは別に島内には、数ヵ寺の寺院がある。こうした寺院の檀信徒の温かい接待があればこそ、発展した霊場で、その存在は誠に大きいものがある。阿弥陀庵の詳しい寺歴は不明だが、こうした信仰の土壌を育くんだ背景の一つには違いなかろう。
 ここの本尊は阿弥陀如来である。阿弥陀信仰は平安中期に源信僧都が『往生要集』を著わしてから盛んになっていったといわれている。その信仰は阿弥陀如来によって建立された西方極楽往生を説くもので、平安末期まで各地で盛んに信仰されていた。このことからも地元の人々の阿弥陀信仰の歴史が偲ばれる。
 神島は現在、笠岡市と陸続きであるが、当時は西に沈む夕曰に西方極楽浄土をダブらせ、〃弥陀の願船〃に乗るべく、阿弥陀庵に参詣したことであろう。
 現在、同庵が公民館と併設されていることからも、地元の人々にとっては、心のよりどころとして、大きな伽藍ではないが、結束してその法燈を護っている。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より