光明山 地福寺(笠岡市笠岡659)

本尊 地蔵菩薩

開基 室町中期以前

石段の破片が不漁に効き目あり

 JR山陽本線笠岡駅から東へ徒歩十分。旧国道を山陽線が横切っている踏切を渡り、少し坂道を登ると、そこに光明山地福寺へと上がる参道入り口がある。参道は石段になっているが、この石段には、室町時代末期から伝わるおもしろい言い伝えが残されている。
 地福寺には、当時から〃魚の観音〃と呼ばれる小さな観音像が祀られていた。この観音像は、地元笠岡の漁師が網にかけ、海に帰したが再度網にかかり、また海に戻すが結局三回も網にかかった。その漁師は、観音像を持ち帰って地福寺に安置した。
 この〃魚の観音〃は、地元笠岡をはじめ、遥か四国の漁師たちまでの篤い信仰を集めていた。不漁が続くと漁師たちは四国からでも願を掛けに地福寺に参拝していた。
 そして、参拝した帰りには、地福寺の石段の端をかいで、持ち帰っていた。その石段の欠片を海に投入すれば不漁は止まる、と信じられていたからだ。不漁が続くと、地福寺の階段は、悪くなる一方だったようだ。
 現在の石段は、昭和初期に築かれたものであり、端がかき採られた跡は残されていない。また、現在の地福寺から海までは遠いが、その当時は、寺のすぐ下まで、海岸線が迫っていた。
 また、地福寺の本尊である地蔵菩薩も、すぐ下の海岸に流れ着いたといわれるものである。先に述べた〃魚の観音〃は、現在その本尊の体内に納められている。
 地福寺の開創は、室町時代と伝えられている。その後、数百年を隔てて、江戸時代には、遍照寺の頭寺院となり、それまでの山号「吸江山」を改め、遍照寺やその他の塔頭寺院と同じ「光明山」と号している。
 春には、|面に山吹が咲き乱れ、とても美しく、山吹寺と呼ばれていた。
 松尾芭蕉の師匠である宗祇が、福寺を訪れ、詠んだ俳句がある。
  「山吹をこころの色かほととぎす」

年中行事

正月 修正会 3月 彼岸会
8月 施餓鬼会 9月 彼岸会
その他年一回高野山団参    

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より