光明山 南昌院(笠岡市笠岡6002)

本尊 薬師瑠璃光如来

開基 貞享年間以前

開山 元禄二年弘俊法印

寺紋に徳川家と同じ葵が許される

 笠岡市の中心部を南北に走る県道井原矢掛線を市街地から少し北上すると西側に笠岡中央病院がある。その角を西に折れて約九○○メートル(大型車通行不可・相生隊道西口を南へ八○○メートル)程登った高台に光明山南昌院がある。広い墓園の真中に新くて大きな伽藍を構えている。南昌院の伽藍は、昭和五十一年に実施された笠岡駅前土地区画整備事業に伴ない、昭和五十九年に駅前から移転し現在の場所に新築されたもの。周囲を取り囲む墓園は笠岡市の経営する相生墓園である。
 かつて笠岡には遍照寺を中心に北に吉祥院、東に観照院、西に西明院、南の南昌院という形で塔頭寺院が立ち並び門前町を形成していた。笠岡の町は、白鳳時代に遍照寺を創建したといわれる大守笠臣の遠裔にあたる陶山藤三義高が元弘年間に笠岡に城下町を築いた時から笠岡は南昌院を含み遍照寺の門前町として発展してきた。
 南昌院は今から約三百年前の貞享年間(1684)に遍照寺南側に塔頭として、弘俊和尚によって開基されたと伝えられているが、最近の調査でもっと早い時期に創建されていたことが明らかになってきた。福山藩主水野氏の記録『水野記』(第十四巻)に かって南昌院は慶長から寛永年間(1596-1644)頃には、東照院と呼ばれていて、その東照院は笠岡城主の陶山氏によって貞享年間よりもっと早く創建されていたことを示す記述が残されていることが判った。東照院という院号ともう一つ関係があるのが南昌院の寺紋である・徳川家の家紋と同じ葵の紋となっている。これは小田藩の代官・小堀新肋から譲り受け現在でも使われているものである。
 南昌院の本尊は薬師瑠璃光如来。珍しい坐像(高さ約30センチ)で鎌倉時代の作である。まだ同寺は笠岡出身の曰本画家小野竹喬の母堂の菩提寺である。同寺は、笠岡八十八カ所霊場の第四番札所大日寺、笠岡西国三十三カ所霊場の第十九番札所になっている。また、平成五年秋に開創した中国楽寿観音三十三カ所霊場の第十一番札所になっており、境内南側には高き約三メートルの楽寿観音像が立っている。

年中行事

3月 彼岸会 8月16日 施餓鬼法要

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より