光明山 吉祥院(笠岡市笠岡25)

本尊 毘沙門天

開基 寛永八年秀算大和尚

中興 安永六年秀英住職

怖い顔でにらむ閻魔大王を信仰 

 JR山陽本線笠岡駅から東に約1.5キロ。旧国道から山手に約100メートル登って行くと、大きな伽藍を構える光明山吉祥院がある。まだ新しい建物は、昭和五十一年の移転時に新築されたものである。
 もともと吉祥院は、門前町笠岡の中心となっていた光明山遍照寺の塔頭寺院としてその北側に位置していた。今を去ること約三百六十年前の寛永八年(1631)に、秀算大和尚によって開創されている。伽藍はその後安永六年(1777)に、実眼住職によって改築されている。
 以来、笠岡の中心部に位置し遍照寺やその他の塔頭寺院ともどもに、この地方の大師信仰の中心を成してきたが、戦後の高度経済成長の波とともに、笠岡の都市計画が打ち出され、昭和五十一年の笠岡駅前土地区画整備事業によって、かっての中本寺である遍照寺をはじめ、塔頭寺院のほとんどは、観照院を残して、中心部から郊外に移転することになった。吉祥院も同年に現在の場所に移転している。
 吉祥院の本尊は毘沙門天。秘仏とされている。また、本堂西側には、恐い顔でにらみつける閻魔大王像を安置する閻魔堂がある。地獄を司る閻魔大王を祀っているのは全国的にみても珍しい。江戸時代後期から毎年八月十五曰に執り行なわれている閻魔祭は多くの参拝者で賑わっている。
 本本堂の内陣の欄間中央には、創建当時のものである大きな「むかで」の絵の額が掲げられている。「むかで」は七福神の一つである毘沙門天のお使いであり、「お参りの方がお足(お金)にご縁がありますように」という願いが込められている
 岡山県は、満州事変勃発翌年の昭和七年五月十五曰に海軍青年将校に暗殺された(五・一五事件)犬養 毅(木堂)首相(1855-1932)の出身地として知られているが、吉祥院がまだ、笠岡の中心地にあり、笠岡がまだ岡山県でなく小田県だった頃、笠岡に置かれた県庁に務める若かりし犬養毅が、小田県庁の書記として吉祥院に下宿していた。
 現在の吉祥院から見おろす、笠岡の町並みは美しい。

年中行事

1月3日 本尊会 3月 正御影供
8月15日 閻魔 8月16日 精霊流し
その他春・秋彼岸会  

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より