光明山 観照院(笠岡市笠岡1948)
本尊 虚空蔵菩薩
開基 天正年間温智
笠岡の市街地の中で育む信仰
JR笠岡駅正面から北に向かってまっすぐ延びる駅前通りを約100メートル進み左手を見ると、国宝に指定されている遍照寺多宝塔がそびえているのが見えてくる。そのすぐ隣に観照院がある。
観照院のあるこの地区は、昭和五十一年の「笠岡駅前土地区画整備事業」が行なわれるまで、寺町として多くの寺院が立ち並んでいた。
それまでは同寺の東側にそびえる多宝塔の辺りに遍照寺が位置し、その遍照寺を中心に西に西明院、南に南昌院、北に吉祥院、そして東側に観照院があった。何れも遍照寺の塔頭寺院として近くに移転してきたり、新たに創建された寺院である。
観照院は天正年間(1573−1593)に温智によって建立されたと伝えられる。当時、遍照寺の東に位置する観照院の寺号は、「東」の文字が入っている東照院だった。元和二年(1616)に徳川家康公が死去。そして曰光に東照宮が建立されることになり、その曰光・東照宮からの勅号を受けて、元和二年に観照院に改称している。その後、火災で幾度か焼失。昭和十三年に再建ざれ現在に至っている。
昭和五十九年の区画整備でほとんどの寺院が周辺に移転を余儀なくされた中、観照院は墓地の一部を移転しただけで、寺院自体は移転を逃れることができた。古くから遍照寺の門前町として栄えてきた笠岡で、その歴史を伝える意味においても市街地に残った観照院の役割は大きい。
観照院の本尊は、知恵と財宝の広大無限なることを教える虚空藏菩薩。平地では珍しい本尊とのこと。市街地にあって笠岡の教育、商業などの振興を温かく見守っている。
また、観照院近くには、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』を翻訳したことなどで知られる森田思軒の生家があり、同寺には写真の原版など貴重な資料が遣されている。
観照院は笠岡八十八カ所霊場の第五番札所にもなっている。
年中行事
1月 | 祈祷・お礼配り | 8月 | 盆行 | |||
8月16日 | 施餓鬼供養 |
『高野山真言宗備中寺院めぐり』より