佛松山 海藏寺 大仙院(笠岡市笠岡5240)

本尊 大仙智明権現

開基 元禄五年政範上人

中興 大正三年正木義仁住職

笠岡で伯耆大仙を信仰

 JR笠岡駅の西側から北に向かって〃大仙通り商店街〃が延びている。その商店街の一番北に大きな赤い鐘楼門を構える佛松山海藏寺大仙院がある。同院は昔から〃だいせんさん〃と呼ばれ笠岡の人たちに親しまれてきた。大仙院の本尊は大仙智明権現で、元禄五年(1692)に政範上人によって創建された。
 古くから笠岡の人々は、伯耆大山(鳥取県)を「大神山」と呼び、四国の石鎚山と同様に霊山として信仰してきた。
 笠岡に住んでいた橋野與左衛門(後の政範上人)は、若い頃から仏門に帰依し、伯耆大山の大仙智明権現を信仰していた。與左衛門は二十歳の頃、大病を患い、曰頃信仰していた大仙智明権現に祈願し助かった。そこで霊山・伯耆大山にお礼参りをし、大仙智明権現の御分体を受け、笠岡に持ち帰り勧請奉祀した。
 このように伯耆大山への信仰が篤かった笠岡では、「人は死んだ後に御霊は大山に帰る」と考えられ、先祖の霊に会い御霊を弔うために伯耆国に参詣していた。しかし、伯耆国が遠いため、参詣できる人が限られていたが、政範上人が大仙智明権現を持ち帰ったおかげで近郷の多くの人が先祖の供養を笠岡の大仙院にお参りすることで叶えることができるようになった。現在でも、家族が亡くなると葬儀を済ませた後、大仙院に参拝する習わしが残っている。
 大仙院の山号は佛松山。この山号は元禄九年二六九六)の春、政範上人へ「此の所は伯州大山の別所と思うなかれ、我常にここに来住して衆生を済度せんには、境内庭前の松樹に奇瑞を現わすくし」と夢告があり、 1夜の間に枝葉悉く本尊の方面に帰向し、松上に光明を放ち権現尊の影が現われたことに由来する。現在、「影向の松」は昭和三十五年秋に枯れたため遣っていない。
 大仙院は創建以来、備南地方の総菩提所として信仰されてきた。また、伯耆大山に放牧場がある関係で旧暦二十四曰の例祭時に牛、馬の市が立っていた事などから、牛、馬の守護神としても尊崇されている。現在も、旧暦の二十四曰の縁曰には〃かぶとがにびっくりいち〃という市が立つ。また、旧正月の二十四曰と旧七月二十四曰に行なわれる、「流水潅頂会」には全国から多くの参拝者があり賑わいを見せる。なお、現在の市は、牛、馬ではなく植木市が中心となっているとのこと。

年中行事

旧正月24日、旧7月24四日大祭・流水灌頂会

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より