日光山 正楽寺(備前市蕃山1306)

本尊 聖観世音菩薩

縁起
そもそも当山は人皇天皇四十五代聖武先皇の勅願にして天平勝宝年中報恩大師当國に四十八ヶ寺の霊場を建立し御願を成就し奉る則ち此寺も其一寺なり。
その後幾何の星霜を経て世の盛衰に随て伽藍もおのづと類廃す依って後伏見院の御宇正安二年に信賢上人上古の昔を偲び力を盡して再び伽藍を建立し則ち本尊十一面観自在菩薩は惠心僧都の作にして霊験あらたかなる尊像なり若し苦厄ある時は忽に前に現じて彼難を救ひ心の福徳を授け水火の難を逃れる善男子善女人を求むること経説に明らかなり依って三十三年毎に一度開扉し奉りて諸人に結縁せしむるなり。
その後宝永・正徳の間に再建立す壮麗なる輪奥の美荏に復し今日に及ぶ昭和五十八年本尊開扉に相当し五月開扉法會奉修す又中国観音霊場三十三ヶ所開創に当り第三番札所に列す。

寺宝・文化財
・山門 (備前市指定文化財)

 正楽寺は真言宗高野山派で山号は日光山、創立は奈良時代の天平勝宝年間(749〜756)、備前四十八ヶ寺のひとつと伝えられる古刹である。現在地に嘉元二年(1304)に堂宇が建立されるが、江戸初期に出火炎上する。この山門は棟札によれば、播州赤穂坂越之庄木村津村の棟梁、野村長右衛門信慶によって文化十四年(1817)に建てられたものである。
 建物の形式は三間一戸の八脚楼門で、平面は一階が正面三間(6.55m)、側面二間(3.82m)、二階が正面三間(6.0m)、側面二間(3.3m)、棟高8.4m、軒高6.2m、床高4.14mで、同形式の山門としては大型のものである。
 屋根は入母屋造、本瓦葺、表裏に軒唐破風をつけ、大棟には雲紋の棟込瓦を使った組棟とし両端に鬼瓦をつけ、その上に鯱を据えている。
 二階は周囲に禅宗様高欄をもった回縁をつける。軒裏は板張りで、これに雲・波の浮彫を施している。二階への階段、梯子の設備はない。内部は天井も高く、連子窓のため明るい空間であるが、仏壇などの宗教上の施設はない。
 構造は禅宗様で、一階柱の上部には粽をるけ、頭貫を通し、台輪を使用し、下端は正面中央の二本柱に礎盤を置き、壁下の各柱間には地覆を使用している。柱の径は一階が三十cm、二階が二十七cmである。
 山門の両脇には本瓦葺の控壁があり、これによって山門は均斉のとれた安定感のあるものになっている。この山門は細部の意匠が洗練されたものであると共に装飾の一貫性を計ったため、寺院の山門として華麗で風格のあるものに仕上げられており、構造面では軒、回縁の組物、柱構造に新しい技術をみせている。特に、軒裏の雲、波の浮彫りは躍動感のあるものに仕上げられて、全国的にも類例はあまりない。が、近県では香川県の金刀比羅旭社(天保八年)が知られている。
・本堂 (備前市指定文化財)

 正楽寺は報恩大師が備前四十八か寺を開創したとき、そのひとつとして建立されたと伝えられている真言宗の寺である。寺伝では、鎌倉時代の正安六年(1304)に、信賢上人が現在地に寺院を建立し、勝楽寺とよばれていたとなっている。現在の本堂は、鬼瓦銘によると、正徳元年(1711)の建築と考えられる。平面は五間x五間(11.34mx10.91m)で、三方に回縁を持ち、屋根は入母屋造本瓦葺、拝みに鰭付き蕪懸魚を吊る。軒は二重繁垂木、斗Cは出組で中備はない。台輪、頭貫に木鼻、斗C、柱などに禅宗様が見られる。建具は正面に引き違い格子戸、側面は前二間を両開き桟唐戸、後三間を引き違い舞良戸とする。手挟、虹梁の彫刻、絵様は躍動的で好感の持てるものである。内外輪の間仕切りが残っている点や、格子、障子などに古い様式が残っている点など、改造の少ない江戸中期の堂として貴重である。
・客殿及び玄関 (備前市指定文化財)

・鐘楼 (備前市指定文化財)

客殿及び玄関 鐘楼