小滝山 真光寺(備前市西片上1513)

本堂

 備前市片上の西南にあり、うしろに小山を配し、片上湾を一望するところにあり。いまは山門と伽藍の間に国道二号線が通って、国道のすぐ上に美しい本堂と三重塔が朱色の姿をみせている。
 「真光寺今真俗雑記」によると、寺は天平年間(729〜766)行基が開山したという。小山に滝があるところから、小滝山真光寺といわれ、真言宗の名刹と地域の信仰を集め、一山に多く僧坊が建ち繁栄した。その後衰微したが、応永年間(1394〜1427)当時の住職良宗によって堂宇が再興されたが、あいつぐ兵火や火災にみまわれたようである。その後慶長年間(1596〜1614)「小滝山」という山号は御室仁和寺の宮から御室の「御」が許され「御滝山」と改められた。
 本堂(国指定)は永正十三年(1516)承円阿闍梨(あじゃり)が再建したと本堂棟札の写しにはあるが、一方では応永年間(1394〜1427)当時の住職良宗の再建で、承円が修復したものという説もある。室町時代の素朴で豪壮な建築様式をよく残している。
 三重塔婆(とうば)(国指定)はもと蓮花頂寺(邑久郡牛窓町)にあったものを、慶長六年(1601)海路を利用してこの寺に移したといわれる。さらに、その棟札によると本山の勢恵上人が願主で、角屋休意ら五発起人の力で移築造営した。この慶長六年移築説も、三重塔鬼瓦に慶長十五年(1610)とあり、また棟札には「慶長亥丑」とある。その年号はちがうが、いずれにしても慶長年間(1596〜1614)の塔であることにはちがいない。
 塔は桃山時代の建築技術の粋を集め、塔の均整の美、端麗、優美さと合わせて県内でも代表的な塔婆という高い評価が与えられている。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

大師堂 鐘楼 三重塔