沓石山 高福寺(赤磐市戸津野186)

本尊 五智如来

縁起
 郡内最も眺望の宜しき地、居ながらにして、舊赤坂郡の中南部を眼下に見おろし、其の悉くの山は塗り埋められて平野の如くに見え、さながら赤坂に於ける王座の感がある。舊戸津野村・中勢實村、此の兩村の間に、南面して建てるものが、即ち沓石山高福寺である。(天台宗)備前国赤坂郡沓石山興福寺略縁起に
 一、本堂五智如来。  一、十王堂。  一、山王権現社。
 本堂より三町東にあり。當山中興観蓮上人の御時、渇に及ぶ。上人印明を以て加持し給はば忽ち清水涌出、今に至て閼迦の水に用ゆ。世の人あまねくしる所なり。

 當山沓石山興福寺は、昔時人王四十六代孝謙天皇の御宇、天平勝寶の頃、吾報恩大師、勅命を蒙り、国内四十八箇寺、開基の一場にして、備の前州赤坂北の郡にあり。正面の本尊は五智如来御作の霊像を安置し奉り、晨鐘夕響たえず、霊成日々にあらたにして、法燈盛なり。しかるに安永二年霜月十一日、本坊丙丁童のために、焼失しぬるを、諸檀信力を励まし改造成就せし故、供養の法莚を設けて、開帳し奉り、密供を修し、梵唄を唱え、経典を読誦し、供養の規則を邃て、仰ぎねがはくば、五つの智水あまねく流れる里の、光明もらさず照して、妙なる冥感を、遠近の人にしらしめ、結縁の輩は現當二世の諸願を、成就せしめんことを思うて、この記を考、短き筆を揮て梓にちりばむることしかり。   安永六丁酉稔九日   現住 蓮海 誌
 本堂は四間五面南面して、寶形造檜皮葺で、頂には露盤・疑寶珠を載せて居る。内部の構造は至って面白く、屋根裏は其の儘組んで天蓋をしたる等、甚だ珍らしき物がある。何時の頃か、外陣や縁側迄も取り入れて、造作して居るのは、甚だ惜しき感がある。本堂の前左脇に、方二間の鐘楼がある。屋根は木羽葺で、本堂と共に面白い建築である。
本堂の上に、山王社・牛頭天王、右後に薬師、仁王門外に観音堂(沓石1172)、又仁王門の西の谷には、無住の善行院がある。
 本尊は御丈二尺、五智如来の座像である。五佛を當てたものを云って居る。尚ほ廣義に云ふなら、草木国土は即ち、五智如来であるとも云ひ得る。
  大日如来、(中央法、界體性智)
  阿F如来、(東方、大圓鏡智)
  寶生如来、(南方、平等性智)

寺宝・文化財
・宝篋印塔  この宝篋印塔は享保十四年と十六年の二基で、時代は下っているが完全で優秀なものである。