千光寺(赤磐市中島350)

山門

 山陽町中心部よりネオポリスに向かって約2キロ、中島の信号を右折して1キロほど細い曲がりくねった道を行くと、突然左側に楼門が見える。この山門から石井原千光寺境内である。盛時の寺域のひろさを思わせる。この門は郡内第一の高壮な建築として有名。

石造方柱碑

 ここから500メートル奥に本堂を始め、多くの伽藍がある。その参道途中に、石造方柱碑(県指定)がある。花崗岩製で約二メートル、上部に釈迦・文殊・普賢三尊の種子を刻み、下部に「為僧覚有三十三李 暦応三庚辰(1340)二月十五日」の銘がある。
 その碑から100メートルほど登ると、塔頭の長い土塀がある、そのなかに庫裡がある。庫裡に備前焼壷(県指定)がおいてある。高さ約六三センチ「銘石井原山橋本坊之常住物也歳次福安元年甲子三月二十三日作者伊部村之釣井衛門太郎花押」とある。福安の年号はなく文安元年(1444)の誤りであろう。
 庫裡の上に鐘楼、質素な開山堂があり、その壇のうえに本堂がある。三重塔は本堂から少し登った見はらしのよいところにある。明和三年(1766)邑久郡上山田の棟梁尾形庄助が建てたもの。上層に鉄製の相輪をかかげた和風の塔婆である。この塔は赤磐郡中現存するものこれがただ一基である。
 本尊は千手観音で、附近を千手谷といい、東上の塩納越の峠を千手乢といって、寺が千軒あったというが、これは本尊千手観音を意味するものである。この千光寺はもと、天正十八庚寅歳、沼田村沼田左衛門大夫・同右京進によって再興され、享保二十年8月二十五日の夜、火災に罹り、本尊・本堂等を焼失した。後八年、すなわち延享元年七月、方五間の本堂を建立し、続いて他の堂宇を建てた。

市川俊介著『岡山の神社仏閣』より

鐘楼 本堂 三重塔