武田冠者義清の父、
源氏の総大将源義家の弟。
京の都で左兵衛尉という官職にありながら、奥州討伐中の兄義家の苦戦を知るや
官職を捨てて援軍に駆けつけた話はあまりにも有名。
後三年の役では猛威を振るったが、風雅にも通じ笛の名手としても知られる
才勇兼備の名将。常陸介、甲斐守、刑部丞などを歴任。
武田冠者義清の兄。
常陸國佐竹郷に土着して、のちに常陸國平定を成し遂げた佐竹氏の祖となる
(その後佐竹氏は出羽秋田藩主となる)。弟たちと力を合わせ、佐竹氏を常陸國で
もっとも有力な武家に押し上げた剛将。
常陸國武田軍団の総大将。
新羅三郎義光の三男、刑部三郎とも呼ばれる。常陸國武田郷に土着して
「武田」の姓を名乗る。その子清光とともに那珂川以北の要衝の地を治め、
常陸國にその名を馳せるが、のちに甲斐國に移り甲斐源氏の祖となる。
その機動力、組織力の高さは、父義光から伝えられた御旗、楯無鎧とともに
甲斐武田家に受け継がれ、やがて18代ののち武田信玄という希代の名将を生む。
武田冠者義清の長男。
戦陣にあってはその鬼神のごとき戦ぶりから、またの名を悪源太とも呼ばれ
敵将から畏れられた(当時「悪」の字は強いという意味で使われていた)。
一方、その諸子を甲斐の要衝に巧みに配し、甲斐掌握の足がかりとするなど
知略にも優れていた。常陸國武田軍の先陣を飾るにふさわしい
冷静沈着にして勇猛果敢の驍将(ぎょうしょう)。
黒源太清光の子。
甲斐國武河荘に土着して武田の姓を継ぐ。祖父や父が常陸國で培った戦術、戦略を
甲斐國で発展させ、やがて戦国屈指の名族として花開かせる礎となした賢将。
黒源太清光の子、
武田太郎とは双子の兄弟。
甲斐國逸見荘に土着して逸見氏の祖となる。甲斐駒の産地である逸見牧を治めること
によって、のちの武田騎馬隊の基盤を築いた智将。