ブルックナー : 交響曲第7番ホ長調 CDレビュー W




W.  1992-1999年録音(6種)
         ♪バレンボイム♪ヴァント♪アバド♪チェリビダッケ♪ラトル♪ヴァント♪


◆バレンボイム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1992年2月 TELDEC 原典版)★★★★★
 バレンボイムはブルックナーの交響曲全集をシカゴ交響楽団(1972−81年)とベルリンフィル(1990−97年)と2回も完成させています。他に全集を2回録音しているのはヨッフムとヴァントだけですから彼らより若いバレンボイムのことですから3回目もあるかもしれません。

 第1楽章。冒頭のチェロは中身の詰まった充実した音で主題を奏し、ヴァイオリンのトレモロはそれにピッタリ寄り添って緻密なスタイルを示します。ヴァイオリンはゆったりと旋律を引き継ぎますが、すべての音にテヌートがかかって広がりのある音楽を見せ、さらに金管が余裕の響きで奥行きを加えます。この第1主題の提示だけでブルックナーの世界を作り上げるところは見事です。第2主題では厚みのある低弦に支えられて朗々と歌うフルートが印象的です。慌てず急かさず絶妙なテンポで第2主題提示部の終結部に入ります。クライマックスの金管はけっしてがなりたてず、余力を残しながらも確固とした響きを聴かせてくれます。第3主題でもあまりテンポを動かさず落ちついた音楽になっています。バレンボイムとしては意外にもワーグナー風の巨大なイメージを感じさせません。金管のファンファーレも丸みのある音で切羽詰った感じはありません。ここまで、ヴィルトーゾ・オーケストラであるベルリンフィルはじっと我慢しているようにも思えますが、3つの主題がどれも似たような雰囲気であるのが気になるところです。展開部に入ってもあまり熱くならず、木管は長閑に歌い、チェロはおとなしく几帳面に歌います。金管の強奏はあまりのうまさに唖然とさせられますが、少し危うさが欲しい気もします。続く弦楽器も至ってクールで、自然と熱くなるフレーズも冷ややかに演奏します。テンポの変化も少なく、ここまで行儀良くしなくても、と思ったりもします。しかし、完璧な演奏でもあることは事実です。コーダの直前とコーダに入ってからの金管は相変わらず圧倒的な迫力を見せつけていて、たっぷり時間をかけた見事な盛り上がりを見せて楽章を閉じます。音量とそのバランス、技術的な完璧さを誇っている演奏なのですが、もっと音楽的な何かがあってもいいと望むのは贅沢すぎるでしょうか。

 第2楽章。冒頭の響きはそのほとんどがヴィオラによって音で占められています。ワーグナー・チューバは微かな色を添えているにすぎませんが、全体として極めて荘厳な雰囲気を作り上げることに成功してします。続く弦楽器は音量の起伏を大きく取り、遅めのテンポで丁寧に歌い込み、はやる気持ちを抑えながらも、ひとつひとつ山を築きつつ着実に頂点をめざしていきます。最初のピークにおいては各楽器間の見事なバランスはもちろん、すべてが鳴りきった圧倒的な音の広がりに聴き手は身を委ねることができます。ここには威圧したり激する音楽はなく、むしろ、ブルックナーが第9番の交響曲で実現する俗世を離れた崇高な世界を想起させます。ここまで、遅いテンポの中で音楽を弛緩させずに一部の隙のない演奏を繰り広げるバレンボイムの手腕には恐れ入りますが、それに完璧に応えるベルリンフィルの表現力と集中力にも感服させられます。第2主題も落ち着いたテンポで、どっしりした厚みのある中低弦に支えられてヴァイオリンが室内楽のような繊細を持ちつつ確信に満ちた音楽を展開します。バレンボイムはここでめだった表情をつけずに淡々と音楽を進めているのですが、僅かな音符の違いだけから曲想に変化を与えるシューベルト的な効果を上げているように思えます。第1主題の再現では冒頭での呈示よりも重厚さを増し、僅かながら音楽に動きと緊張感が漂うのが感じられます。弦楽器を主体としたバランス・コントロールのうまさは呆れるほどで、楽器が増えて金管の強奏が加わっても、ヴァイオリンの高音がかき消されることはありません。再度冒頭の主題が呈示される時は一層の力強さと確信に満ちた世界が展開されます。テンポは速くなり、ついには金管による完璧に鳴り渡るファンファーレを導きます。月並みとはいえ、3回の主題呈示個所において段階的に音楽を明確に盛り上げていく構成によってこの楽章をキリッと引き締めていると言えます。第2主題の再現もその余勢をかって豊満な響きで演奏されますが、ここは多少色合いの違う世界が表現されてもいいようにも思えます。第1主題の再々現部では、ゆったりとしたテンポが取られていますが、バレンボイムはこの楽章で初めて感情を込めて旋律を歌わせているように思えます。這うように弾かれるヴァイオリンの6連符は時に夢見るような輝きを聴かせていて思わず耳を奪われます。旋律部はすべてを鳴らしきった重厚な音で奏され、フレーズ毎に音量を増していきます。ヴァイオリンはスラーを外してもレガートを維持してひたすら6連符を弾きつづけます。クライマックスに向けてテンションが急速に高まり、弛緩することなく巨大な頂点を築くところはベルリンフィルの底力を見せつける瞬間と言えます。しかし、音楽は常に落ち着き払っていて取り乱す気配すらありません。欲を言えば響きが多すぎてクリアさに欠けるところでしょうか。特にティンパニがモヤモヤしているところは画竜点睛に欠くと言うべきでしょう。フィルハーモニーホールが改装中で、旧東ベルリンのシャウシュピールハウスで行なわれた録音であることが悔やまれます。次いで登場するワーグナー・チューバのアンサンブルも完璧で、見事な盛り上がりでホルンの咆哮を導きますが、少々真面目すぎるきらいがあります。続くヴァイオリンとフルート、クラリネットはあくまで明確にフレーズを歌い上げているため、この楽章が終わりをつつある余韻といった雰囲気は感じられません。全楽章を通じてあまりにコントロールされていて息苦しさを感じることもありますが、まちがいなく名演と言えます。

 第3楽章。まさに横綱相撲ともいうべきスケールの大きさと恰幅の良さを誇る演奏です。落ち着いたテンポで弾かれていて、常に安定したヴァイオリン、パワー溢れる低弦、炸裂する金管群、時々見え隠れするスリムな木管楽器、まるでオーケストラのデモンストレーションを聴くようです。書かれた音符はすべて鳴らされ出来すぎとも言える演奏で、却って何か物足りなさを覚えることもあります。トリオでは、大きな感情を表現したり小細工を弄することなく、淡々と音楽が進められます。弦楽器は豊満な響きで弾かれていますが、音の立ちあがり時での音色に魅力は感じられず、音の厚みを増した時にややバランスを崩しています。木管楽器はここぞとばかり艶のある響きを競い合っています。クライマックスにおいてもどこかクールなところがあるだけに全体的にまとまりに欠けるように思えます。

 第4楽章。この楽章も各パートが輪郭のはっきりした主題呈示を分担していて、全体として見事なバランスを聴き手に印象付けています。木管パートがここまではっきり聞こえるのはやや不自然さを覚えますが、ブルックナーの頭の中ではこう響いていたと思えば納得しないでもありません。第2主題は大きくテンポを落し、充実したピチカートを従えてヴァイオリンが悠々と主題を奏します。これほど恰幅のいい第2主題は他では聴けません。木管が歌うところはテンポが遅すぎて座りの悪い印象を受けます。続く第3主題はたっぷり時間をかけてパワーを誇示し、ワーグナーを連想させる深みのある音を聴かせてくれます。この後、テンポはあまりアップしないために緊迫感はありませんが、導き出される音量は凄まじいものがあります。展開部も遅いテンポのままで、先ほど同様木管や金管にとってノリの悪さが気になります。再現部では再び力のこもった弦楽器と衰えの知らない金管の咆哮が明確な音楽を展開させます。どんなに弱音で奏する時も音楽に萎縮はなく、緊張感を維持したままコーダに向けて徐々にクライマックスを築いていきます。この再現部からコーダにかけてのメリハリの良さと溌剌としたリズム感やテンポの上げ方は見事です。こうした活き良さが楽章の開始からあれば良かったのにと悔やまれます。コーダに入ってからはあまり粘らず、あっさりと曲を閉じるところはやや物足りなさを覚えます。多芸の才人バレンボイムの演奏には優等生的な真面目さというか、安全運転といった印象がついてまわります。崩れるギリギリのところで踏みとどまるくらいの冒険をしてほしいとも思いますが、このヴィルトォーゾ・オーケストラから期待通りの音を引き出し、ここまで完璧な演奏に仕上げるところは余人を寄せつけないものがあります。


◆ヴァント/北ドイツ放送交響楽団(1992年3月 BMG ハース版)★★★☆☆
 ブルックナー指揮者として知られるドイツの長老ヴァントにとって2回目の録音です。今年の11月(1999年)にはすでに3回目の録音をベルリンフィルで行なったという情報がありますから、2000年の前半にはリリースされることでしょう。

 第1楽章。冒頭のチェロは速めで流れるようなテンポに乗って、引き締まった張りのある音で弾かれています。この雰囲気はヴァイオリンにそのまま受け継がれます、作為のない自然な音楽が作られていきます。その後、金管の素朴な響きにブレンドされることで、ヴァントによるこの曲の全体像がここではっきりと打ち出されます。第2主題もそのままのテンポで淡々と進みます。ヴァイオリンの表現は全体的に控えめです。第2主題の終結部のクライマックスへも何のためらもなくなだれ込む感じです。この時ブラスが明確なクレッシェンドしていくところは印象に残ります。展開部での木管群はそれほど特徴はないもののごく自然な振るまいに好感が持てます。続くチェロのモノローグは感情移入の少ないあっさりしたもので辛うじて金管のサポートによって味わいを増すことができているようです。小細工を弄さないで音符を再現することを身上とした演奏と言えましょうか。しかし、やや物足りない気はします。展開部後半では自然なテンポ・アップでメリハリを利かせていますが、ヴァイオリンの切れ味が今ひとつです。フレーズの最後の音に余韻を残すことはせずに少し短めに弾かせるところがユニークです。コーダに入って初めてオーケストラのパワーを全開させるところを見ると4つの楽章全体を通しての音楽の起伏を考えているようにも思えます。コーダに入る前のティンパニのトレモロが雷のように聞えるのは面白いところです。

 第2楽章。冒頭のワーグナー・チューバとヴィオラは絶妙なバランスで互いに溶け合っています。続く弦楽器は威圧的なところはなく、終始穏やかな表情で弾かれます。しかし、弓使いは軽やかで音楽を停滞させません。音楽が盛りあがった頂点でヴァイオリンが残って高い音から分散和音で降下するところは、俗世を離れた汚れない世界を思わせます。第2主題でも同じようなテンポで静かに、作為のない音楽を淡々と歌わせます。めいっぱいテヌートをかけた弾き方でありながらもたれることはありません。しかも各楽器間のバランスも見事です。第1主題の再現も安定したアンサンブルでオーケストラが一体となっていることがよくわかります。第2主題の再現では複数の旋律ラインが対等に奏されるところがユニークです。この後はじっくり時間をかけて音楽をおさめていきます。しかし、第1主題の再々現部に入ると、直ぐに速めのテンポを取り、引き締まった響きで旋律を鳴らします。ヴァイオリンの6連符も常にしっかり弾かせていて、輪郭のはっきりした音楽を形作ります。この後クライマックスへ向けて一気に音楽を加速させます。ハース版にこだわるヴァントですが、ここの頂点では打楽器がないだけに少々物足りなさを覚えます。音楽がおさまった後のワーグナー・チューバは時間をかけてコラールを奏させますが、締めくくりのホルンは盛り上がりに欠けるようです。続くフルートは最後まで朗々と響かせていて、この楽章の音楽が衰え消え行くことをきっぱりと拒否しています。名演です。

 第3楽章では、一転して力強さを感じさせる演奏です。弦楽器には厚みがあり、とりわけ低弦の迫力は十分です。金管はこれまでにないパワーを全開させていて、しかも堅牢さも見せています。木管、金管が入れ替わり顔を出すところでのバランスは非常によく、ひとつのラインにつながって聞こえます。弦楽器も速めのテンポの中で細部をくっきりと際立たせています。ティンパニの激しい叩きぶりには驚かされますが、少し違和感を覚えます。トリオは全体的に動きのない演奏になっています。特別なことは何もしていないのですが、厚みのある弦楽器による一筆書きとも言える、自然なテヌート奏法で穏やかに音楽を紡ぎ出します。

 第4楽章冒頭のツヤのあるヴァイオリンの音に耳を奪われます。攻撃的にならず、木管がのびやかに歌えるテンポを採用し、穏やかな雰囲気を作り出しています。第2主題も同様で、チェロバスの明るめのピチカートが印象的です。木管もフレーズ毎にニュアンスを変える工夫を凝らしているように聞こえ、全体のバランスも見事に取れています。第3主題では金管が厚みに欠けるせいかバランスを崩しそうになりますが、全体に端正な音楽作りに徹していて一線を越えない節度を持っています。展開部に入ってからの木管や金管に対しては時間をたっぷり与えてフレーズをのびのびと吹かせています。途中突然テンポを落すあたりは、後年のベルリンフィルとの演奏でも聴くことができます。コーダに向けて激情に走ることなく、ごく自然なクレッシェンドと多少のテンポアップにとどめます。弦楽器のカドの取れたソフトな弾き方は変わらないのはいいとして、金管にはもう少し厚みのあるサウンドがほしいところです。また、金管が強奏すると弦楽器の高音部が吹き飛んでしまうのは録音のせいでしょうか、もったいないことです。


◆アバド/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1992年3月 GRAMMOPHON ノヴァーク版)★★★★☆
 アバドはウィーンフィルを使ってブルックナーをシリーズで録音していまして、現在1、2,4,5,7番までリリースされています。これまでアバドは必ずしもブルックナーを積極的にとりあげていなかったはずで、1990年に4番でこのシリーズを開始するまで1969年にウィーンフィルで1番を録音していたのみです。最初に4番を録音した頃このコンビでの来日公演にも取り上げられて筆者も聴く機会があったのですが、正直言ってブルックナーらしくない演奏でした。こちらが期待するテンポの動きやブルックナー特有の見得を切るところなど全くないスリムな解釈で戸惑った記憶があります。つまりアバドはブルックナー演奏における伝統とか慣習といったものを無条件に受け入れずに譜面だけから自分の音楽を作っていくという姿勢を示していたのです。しかし、録音を重ねる毎にアバドの意図するブルックナー像というものがはっきり見えてくるのと同時にブルックナーの音楽に対する音楽界での見方も少しずつではありますがアバドがめざしたものを受け入れる傾向にあるように思えます。このウィーンフィルはこれまでベーム(1976)、ジュリーニ(1986)、カラヤン(1989)といった巨匠達の元でこの曲を極めつづけてきましたが、今回このアバド(1992)による新たな挑戦に見事に応えた演奏を繰り広げています。蛇足ですが、アバドは1984年8月のザルツブルグ、1988年1月の定期とウィ−ンフィルを振ってこの曲を演奏していましてその演奏を聴くと、わりと巨匠風の演奏をしているのが興味深いところです。この録音では独自性を出そうとかなり研究したのでしょう。しかし、その先人達と大きく異なるアプローチもつかの間、今年1999年にはアーノンクールがウィーンフィルに登場してアバドの路線をさらに進める録音を出してきたことを思うとブルックナー演奏のスタイルが没後ほぼ100年を経た世紀末を迎えて大きな曲がり角にさしかかっていることを痛感せざるを得ません。

 第1楽章。曲の冒頭はチェロとユニゾンで吹かれるホルンのフレーズが心地よく響きます。主題をチェロだけが弾くところも控えめな弾き方をしています。高い音から下の音へ跳躍する時、一般的に高い音はテヌート気味になり、下の音はほんの少し遅れて出ることになって結果的にテンポが遅くなるのが常です。しかし、この演奏では逆にやや前のめりになる傾向があります。この曲を聴きなれた人には多少違和感を覚えるところです。ヴァイオリンのトレモロはダイナミクスにおいて見事にコントロールされ、チェロが弾くメロディーの一部を分け持っています。ヴァイオリンと木管が主題を受け持ってから気になるのは両者間の音色の面で今ひとつ一体感がないことです。ここでアバドは音色を楽しむより音楽の流れを重視しているのでしょうか、手綱は常に引き締められたままです。案の定、金管が加わったあたりでクレッシェンドを大きくかけ、フレーズの頂点へと一気に持っていきます。ここまでは、よく訓練されたトップクラスのオーケストラといったところですが、音楽が収まり弦だけになったところでは、さすがのアバドも手綱を緩めてウィーンフィルにすべてを託します。セカンド・ヴァイオリン以下のトレモロによる潤いのある響きに乗って、ファースト・ヴァイオリンが震えるような息遣いで余韻を弾くくだりはとても言葉でいい表わすことはできません。第2主題ではあまり音量を抑えずに演奏されていますが、相変わらず先へ先へと音楽が進みます。フルートによるブリッジも余韻を味わう間もなく次のフレーズに受け継がれ淀むことはありません。しかしヴァイオリンは隙あればその美音で歌おうと腐心しているようで、弦楽器どうしでかけあうところではいかにも名残惜しそうに聴こえます。このあたりは最も内声部が緻密に書かれているところでもう少しじっくり歌ってほしい気もします。第2主題の終結部におけるクライマックスではコンパクト響きで尚且ついささかの狂いのないブラスセクションのリズムを聴くことができます。第3主題ではリズミカルな面とダイナミクスの変化が強調されています。金管のファンファーレは軽くカラフルな印象を与え、その残響に続くヴァイオリンのフレーズはあくまでも美しく弾かれます。展開部での木管の素晴らしさは言うまでもありませんがとりわけフルートの全体に馴染んだ音色と響きには心が惹かれます。続くチェロによる第2主題の展開では一転してたっぷり時間をかけてフレーズを歌います。しかしけっして感傷的にはならず、ブラスを背景に従えるとますますスケールが大きく見えます。第3主題のところではオーケストラを先導するフルートの見事な吹きっぷりが印象的です。終結部における全奏での透明な響きはウィーンフィルならではのものと言えましょう。続く展開部の後半では速めのテンポでありながら艶のあるヴァイオリンのオブリガードが魅力で、待ってましたとここぞとばかりに美音をアピールしています。このあたりはヴァイオリンにとっては最大の難所で、正確な音程とアンサンブルで弾くことすらままならないのに、ウィーンフィルはいとも簡単に音を取り、その上、最高音ですら音の潤いと輝きを失わないという信じがたい演奏を披露します。第2主題の再現部におけるヴァイオリンとヴィオラの掛け合いの個所ではテンポを大きく動かしていますが、不思議と違和感はありません。またヴィオラによる合いの手がとてもよく聴き取れます。コーダは比較的時間をかけて演奏されます。正確無比なヴァイオリンによるトレモロに乗って、透明感のある木管とチェロの響きが印象的です。

 第2楽章。冒頭のワーグナー・チューバとヴィオラによるひとくさりが終わらないうちに弦楽器が次のフレーズになだれ込むようにかぶさって弾き始めます。全体に引き締まった音ですが、ヴァイオリンのG線から弾き出すこぼれんばかりの艶を聞くとこのオーケストラがウィーンフィルであることを思い出させます。しかし、ウィーンフィルにしては厳しい表現を取っていて、美音におぼれず、立ち止まったり振り向いたりすることなくじっと前を見据えた音楽を作り上げます。ほんのわずかですが、フレーズの終わりにおいて後ろ髪を引かれるように美しいを音をちらりと響かせています。第2主題はやや落ち着いたテンポで奏されます。音量をあまり抑えないせいか少々ザワザワした座りの悪い印象を受けます。さすがにここでは弦楽器が美しい音を競い合う傾向にあり、パート内やパート間に響きの濃淡や縦の線のズレが気になってきます。音楽が美しければこうした演奏もかえって奏者の息遣いが伝わることもありますが…。全体的にバランスは良く取れていますが、金管がファンファーレを鳴らすところでは、ヴァイオリンの高音に鮮明さを欠くようです。第2主題を再現するところでは、提示部では不完全燃焼気味だったのですが、弦楽器の各パートが自発的に主張がを行なうことで生気あふれる演奏に仕上がっています。第1楽章の再々現部では、ヴァイオリンのきっちりした6連符に乗って旋律部が引き締まった音を紡ぎ出します。テンポを上げることはありませんが緊張感は維持され、スケールの大きな頂点を築きます。音楽がおさまってからのワーグナー・チューバは押し殺したような音でひっそりとしたコラールを形作り、ホルンはたっぷり時間をかけてこの楽章を振りかえります。ヴァイオリンとからむフルートがフレーズ毎に微妙な動きをつけていて、ほんの一瞬のやりとりの中に艶っぽさを表現しているのはさすがです。長年にわたってこの曲を演奏し続けることでしか得られない技を言えましょう。ヴァイオリンは待ってましたとばかりその高音部において輝きのある音を聞かせてくれます。最後に奏される弦楽器の持続音には単に木の香りのする豊かな響きがあるというのにとどまらず、その力のこもったクレシェンドにおいては、アバドがこの曲で唯一自分の内面をさらけ出しているような激しさを感じることができます。

 第3楽章は速めのテンポで弾むようなリズムに乗って一気に聴かせます。しかも、弦楽器は細部まできっちり弾き、金管は余裕で響きをつくっていて、バランスもよく取れています。この速いテンポで弾かれている弦楽器は見事ですが、個々のフレーズの持つ面白さまでは表現しきれていないようで、忙しく感じられることがあります。トリオも速めで、コンパクトな響きでもって余分な感情を込めずスイスイと進みます。もう少し何かがあってもいいかもしれません。第4楽章は慎重に開始され、気合の入った弦楽器のトレモロが印象的です。これまであまり顕著でなかったフレーズの終わりでのリテヌートをかけるようになっています。金管はパワーがありながら、節度を併せ持ち引き締まった響きをつくります。全体のバランスもよく取れ、充実したサウンドに満ちています。第2主題では強弱のコントラストが大きく、木管とりわけフルートの歌わせ方には惚れ惚れしてしまいます。美しい音を披露するチャンスは多くないのですが、ウィーンフィルはどんな個所においても完璧な音程と生気溢れる音を紡ぎ出し続けます。展開部ではファースト・ヴァイオリンが跳躍する旋律における正確な音程を披露し、さらに高音におけるどんなフレーズに対しても艶を失いません。アバドの棒は、あちこちにあるブルックナーの仕掛けを忠実に再現していて、ややあっさりしてはいるものの、無駄のない演奏に仕上がっています。ウィーンフィルがその特質を活かしているとは言いがたいですが、全曲でこの楽章が最も成功しているかもしれません。


◆チエリビダッケ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1994年9月10日 EMI ハース版)★★☆☆☆
 録音嫌いで正規録音がほとんどなかったチェリビダッケですが、没後遺族の計らいで数多くのライヴ録音のCDやLDが発売されました。得意とされたブルックナーも出てきて良質な音で聴くことができます。

 第1楽章。予想されていたとはいえ、とにかく遅いテンポに面食らいます。これによってこの曲の違った側面を聴くことができるのですが、音楽の流れが失われ、音のひとつひとつから活き活きとしたものが感じられません。チェリビダッケがミュンヘンを振るようになる前に、シュトゥットガルト放送交響楽団との演奏をだいぶ以前にFM放送で聴きましたが、その時の印象はテンポの遅さより徹底的に磨き上げられ、バランスがコントロールされた音への執着が感じられました(なお、これを書いている途中でそのシュトゥットガルト時代の演奏がCD化されるという情報が入りました。)。確か来日して日本のオーケストラを振った時もリハーサルで自分の求める音色が出るまで延々と繰返させたという記事を読んだ記憶があります。ミュンヘンフィルと共に来日した時も、テンポの遅さは多少あっても徹底的にバランスと音質をコントロールされた透徹とした響きに驚かされました。しかし、このブルックナーの演奏からそうした音色への拘りはあまり窺えないのはどうしてでしょう。テンポが遅すぎると各奏者が発声するのに万全な条件が揃わないこともあるでしょうし、ブルックナー特有の音階を繰返すところなどはエチュードのように聞えてしまいます。チェリビダッケの音楽の方向がブルックナーに向いていない(なんて言ったらファンからどやされるかもしれません)のではとも思ってしまいます。ラヴェルやドビュッシーだったらテンポの設定が奇異であるとしても奏者が音色に集中することはできると思います。しかし、ブルックナーのあまにりシンプルなフレーズから流れと勢いを殺すと音色のコントロールができないのではないかと個人的には思っています。このテンポで緊張感を維持しているのはさすがですが、音楽の局面が変わってもテンポが動かないで遅いままというのでは音楽が平板になってしまいます。最も動きがある展開部においてすらその歩みに乱れはなく、ブルックナーが込めたであろうメッセージは語られることなく通りすぎてしまいます。

 第2楽章。よくこんな遅いテンポで弦楽器がレガートで弾けるものだと感心してしまいますが、やはり音のつながりを維持するのが精一杯で、綱渡りをしているような印象的を受けます。第1主題のクライマックスへ向けてはヴァイオリンが盛りあがるというより、単に金管がかぶさるといった感じで、頂点においてヴァイオリンが残って下降分散和音を弾くところではすでに疲れ果ててしまっているかのようなけだるい弾き方になっています。音楽がおさまる時はフレーズに即してゆっくりになりますが、フレーズが前に進むことを要求する時はそれに逆らって頑なにイン・テンポを守っているように聞こえます。第2主題ではややテンポを持ちなおします。最初のうちヴァイオリンやチェロは上滑りしているような撫でるような音で弾かれますが、徐々に幅のある音楽にしていき、最初のピークでは美しく歌い上げます。しかし、音楽がおさまると再び重々しい歩みとなり、ヴァイオリンの音も芯のない撫でるような弾き方になっていきます。第1主題に戻るとやや生気が吹きこまれますが、少し弾くと再び足元を見つめながら進んでいくかのように遅くなります。ここの個所はシンコペーションを交えたりして、フレーズそのものがテンポを引き締め、緊張感を高めていくことを要求しているはずなのに、ブルックナーの意図を全く無視しているかのようです。最初に迎えるクライマックスでは弦楽器を抑えて金管が派手に鳴り響く変わったバランスになっています。ここからは、フレーズが細切れになっていて、ただでさえ音楽が停滞気味になるところですが、この演奏ではフレーズ毎に間をたくさん取っています。そのため、テンポはどんどん遅くなります。このテンポでもしっかり弾き続けるオーケストラは立派と言うべきでしょう。しかし、待ちきれずにほんの少し前に出たりして、間がいびつになったり、フレーズの途中でリズムを崩しかけるところもあります。第2主題の再現ではテンポを少し戻して、ヴァイオリンが美しく歌います。第1主題の再々現部でのヴァイオリンの6連符はさすがにスラーをすべて外して弾いています。美しいレガートで弾かれていますが、これは見事です。いつ終わると知れない長い道のりをゆっくりと淡々と進んでいきます。息の長いクレッシェンドでスケール感のある盛り上がりを見せますが、テンポはほとんど変わらずに頂点になだれ込みます。金管にまとまりがなく、弦楽器もこのテンポでは動きようもないため、頂点ではティンパニを除いてどのパートも不発に終わっているようです。音楽がおさまった後のワーグナー・チューバはほとんど止まりそうで、やっと終わったかと思うとホルンが思い出したかのように吹き始めます。続くフルートは最初、日本の横笛のような素朴で澄んだ吹き方をしてから徐々にヴィブラートを利かせていきます。なかなか考えた吹き方です。ヴァイオリンは線の細い室内楽的な弾き方を見せますが、この楽章でのこれまでの音楽とのギャップがあるように思えます。

 第3楽章も遅いテンポで進められます。まるで譜読みのリハーサルをやっているようです。リズムを強調するような弾き方を試みていますが、音が濁っているためあまり聴き取れません。楽器の少ないところでは細部がよく聴き分けることができ、音楽の仕組みよくわかります。しかし、遅いテンポに加えて変化が全くないために、フレーズが要求する緩急の綾といったものが活かされないようで、聴いていて退屈感を覚えます。金管がもっと透明感のある音を出せればこのテンポでも少しは聴けるところもあるかもしれません。トリオでも弦楽器の撫でるような弾き方が気になります。相変わらず遅いテンポで淡々としていることもありますが、音楽に熱気や勢いが奪われています。木管にとってはだいぶきついようで、音程までがあやしくなっています。音楽が盛り上がっていくところでは喘ぎが聞こえてきます。第4楽章はやっと普通のテンポで開始されます。弦と管が分離したサウンドで、肩の力が抜けた自然な流れで弾かれています。ところが、第2主題に入ると突然遅いテンポになり、これまでの音楽の流れからしても不自然な印象を受けます。さすがの木管もこれでは本来の音色を維持できないでいるようです。金管の強奏もやや疲れが出てきた感じです。フレーズの最後の音で減衰させるという変なことをしています。通常は減衰させるどころか逆に時間一杯に押しこむケースが多い個所です。展開部でもテンポが遅くフレーズが切れ切れになっているため緊張感の高まりが見られません。間を多く取りすぎることもその傾向を助長しています。さらに、この楽章をリードすべき金管もこのテンポでは張りのある音を維持できず、和音のバランスや縦の線を崩しています。再現部に入ってようやく活気が出てきますが、なかなかテンポは上がらず、喘ぐように進められます。最後はバランスを崩したまま、荒れた金管の中途半端な咆哮で曲を閉じます。


◆ラトル/バーミンガム市交響楽団(1996年9 EMI ノヴァーク版)★★☆☆☆
 次期ベルリンフィルの常任芸術監督に決まったラトルですが、これまでにドイツ・オーストリア系作曲家の録音が少ないことが懸念されているのは周知のことです。モーツァルトはオペラが1曲、ベートーヴェンはピアノ協奏曲全集のみ、シューベルト、ブラームスはなく、ブルックナーのこの7番があるのみです。一方で、マーラー、シベリウス、シマノスキ、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキーといった作品を得意としています。ある年齢にならないとベートーヴェンのソナタを弾かないというピアニストもいますから44歳のラトルがこれから穴の開いたレパートリーを埋めていってもおかしくはないでしょう。また、バーミンガム市交響楽団は長年ラトルが手塩にかけたオーケストラとはいえすべての面で世界のトップクラスと比肩できるとはいいがたいこともあり、テクニックにプラス・アルファを要求される上記の作品群を録音するにはベルリンやウィーンのオーケストラが必要であったのかもしれません。事実、ウィーンフィルとすでにベートーヴェンの交響曲チクルスは始まっています。

 第1楽章。ヴァイオリンによる透明なトレモロがつくる空間にチェロがひっそりと歌い始めます。ヴァイオリンが旋律を受け継ぐとその遅めのテンポでしみじみと歌う傾向は一層深められます。あくまで譜面にあるダイナミクスを遵守しているようでもあります。曲が始まって数分間、このオーケストラがいつからこんな上品になったのか、あるいはラトルは何をブルックナーから引き出そうとしているのか、才気溢れる活発な演奏を期待していただけに肩透かしと言った感じです。第2主題では流れるように音楽は進行し、弦楽器の音符が錯綜するところも透明感あふれる響きが印象的です。p(ピアノ)やpp(ピアニッシモ)をかなり神経質に意識していて、どこかかつてのチェリビダッケを思わせる節もあります(ラトルはチェリビダッケを尊敬していたはずです。)。第2主題提示の終結部でようやく光が差しこむようにブラスのファンファーレが鳴り響きます。しかし、第3主題でテンポは少しアップしますがかなりおとなしいスタイルで演奏され、金管のfff(フォレティッシシモ)も厳しさに欠け物足りなく感じます。ひたすら流麗な音楽を作ろうとしているように感じます。展開部における木管にも主張があまりなく、続くチェロによる旋律もこれまででは一番力が入っているようですが折り目正しすぎるような印象を受けます。この後テンポが速くなって緊張感が増すところですが、その気配はなく、むしろ展開部後半に入ってから逆にテンポが遅くなります。ヴァイオリンのオブリガード風に主題を展開するところもまるでリハーサルの時の音取りみたいで気持ちが入っているようには聴こえません。ここまで聴いて思ったのは、ラトルはなんとかウィーン風に上品なブルックナーにしたかったのではないか、と。ある時期のカラヤンのスタイルに近いのかもしれませんが、ウィーンではそういったブルックナーはすでに時代遅れになっているのです。

 第2楽章。弦楽器による主題部ではヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ・バスと互いに溶け合わないで別々に聞こえます。腫れ物に触るようにおそるおそる弾いているみたいで、立ち止まりそうになるくらい遅いテンポで進められます。息の長いクレシェンドで均質に盛り上げていくところはいい感じですが、頂点におけるヴァイオリンの高音がモヤモヤしています。第2主題でもテンポは遅いまま、動きも少なくのっぺりとしているため、単調に聞こえます。各パートはよく演奏しているのですが、フレーズが要求するテンポの動きを拒否しているようで、ダイナミクスの変化だけでは堅苦しさを覚えます。第1主題に戻ってもこの傾向は変わらず、無表情な演奏が続きます。いくつかピークを越える時でも音量が増すだけで、向かうべき方向がどこなのかピンときません。第1主題の再々現部での盛りあがりは見事で、全曲中最大級の音量を聴かせます。しかし、続くワーグナー・チューバは無表情な吹き方に戻っています。フルートの大きなヴィブラートも場違いで、そういう吹き方をするならどうしてもっと前からそうしなかったのか疑問に思えます。そうすればこの楽章も色彩感のある演奏になったはずです。この楽章に求められる憧憬や慟哭、ノスタルジーや感情の激しい起伏といったものを排除し、正確な音程と豊かな響きの強弱だけが聞こえてくる演奏です。

 第3楽章も遅めのテンポで開始されますが、クレシェンドするにつれてテンポをアップさせます。弾むような弦楽器、頂点における金管のサウンドは見事です。ただ、響きは立派ではありますが、拡がりに欠けたやや閉塞した印象を受けるのはホールのせいでしょうか。しかし、第2楽章とは別のオーケストラのように活き活きとしていることは事実です。トリオは遅いテンポながら起伏があって、チェロのラインがよくわかるユニークな演奏です。ただ、どんどん遅くなる傾向にあります。主題を再現するときにテンポを元に戻さず、さらに遅くするのはどういうつもりかよくわかりません。指揮者は陶酔しても聴き手は退屈するだけです。第4楽章。最初はゆっくり弾き始めますが何故か直ぐにテンポを上げます。弦楽器のリズムと木管楽器のリズムが少し違うような気がします。第2主題では強弱のコントラスとを強調します。木管のフレーズがやけに素っ気なく、気持ちがこもってないように聴こえます。第3主題のブラスは落ち着いたテンポで折り目正しく吹かれています。展開部に入って、どのパートもよく弾いてはいるものの、緊張感の高まりはありません。ブルックナーの音楽には、最大の頂点までいくつかの山があり、それを越える毎に音楽のスケールを大きくしていくと同時に求心力も高めていくといった特徴がありますが、このあたりの共感が不足しているかのような演奏に聞こえてなりません。コーダに近づいても一向に音楽にそれらしさが生まれず、ただ音量だけが大きくなります。最後の強奏ではバランスが崩れ、投げやりとも言える吹きっぱなしで全曲を閉じます。


◆ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1999年11月 BMG ハース版)★★★★☆
 ヴァントはケルン放送交響楽団(1974-81年)と北ドイツ放送交響楽団(1988-95年)とそれぞれブルックナー全集を完成させ、近年ベルリンフィルに登場するようになってから第5番(96)、4番(98)、9番(98)をすでに録音しています。すべて演奏会でのライヴ録音で、今回も3回行なわれた演奏会(11月19、20、21日)やリハーサルの録音からひとつが選ばれ、ヴァント自身の話しによればわずか1箇所(2小節)を別のテイクから取っただけという、ライヴ録音そのものといったものになっています。

 第1楽章。冒頭ではチェロとホルンとが一体となって滑らかに主題を奏します。速めのテンポがとられているためチェロだけになってもそのパワーを誇示することはなく、フレーズの終わりでリテヌートもかけず先を急ぐように弾き進められます。ヴァイオリンと木管が主題を受け継ぐ直前にセカンド・ヴァイオリンがそれまでのチェロの旋律を引き渡す重要なブリッジを1小節間トレモロで刻みながら動くところがありますが、ヴァントはこれを強調すべくトレモロを外してレガートで弾かせています(或いは全員でなく、半分くらいの奏者にそうさせているかもしれません。)。これはジュリーニも同じことをさせていて大きな効果を上げています。続くヴァイオリンと木管もよく溶け合った音でそれまでの勢いを維持したまま音楽を先に進めます。ヴァイオリンの高音がやや硬めに聴こえるのは響きが作られない前に先に進むテンポのせいでしょうか。控えめな盛り上がりを見せた後もテンポの緩みはなく、絶妙なバランスで刻まれるトレモロに乗ってヴァイオリンは淡々と音楽を収束させていきます。第2主題に入っても推進力は衰えません。木管にはその意気込みは感じられますが、楽器間で何かをする暇がなかったようで統一感のある音楽を作るには至りません。ヴァントの意図が未消化なのか考えすぎているのか、ぎこちなさがフレージングに表われています。第2主題の終結部に向けてはやや時間をかけて助走を始め、ようやく大きなクライマックスを作り上げます。金管のパワーはさすがですが、トランペットの少し割れた音がここの音楽に厳しさを与えているものの、全体の響きがザラザラした感じに聴こえます。第3主題では力強い弦楽器に加えて、その背後に鳴る金管の存在がこの主題に独特な雰囲気を与えるのに成功していて、ブルックナーの持つワイルドな面もうまく表現しています。展開部に入ると木管が情緒たっぷりに極端な抑揚をつけて旋律を歌わせます。これまでの引き締まった音楽づくりからすると意外な展開です。チェロは中庸なテンポでわりとあっさりと弾いていて、しかも第2主題に特徴的な装飾音がはっきり聴き取れません。また、チェロを支えるべき金管が目指す頂点とチェロのそれとが同じでないみたいで今ひとつ感動ある世界が築かれていないように思えます。第3主題の展開でも何かをやろうとしているのですが訴えるものが伝わってこないようです。フルートのイントネーションやヴァイオリンの四分音符の押し込むような弾き方などに必然性があまり感じられません。展開部後半においてはテンポをやや上げて来たるべきクライマックスへの準備に入りますが、緊張感を煽るはずのファースト・ヴァイオリンの跳躍には生気がなく、しかもその最高音での余裕のない弾き方には思わず耳を疑ってしまいます。また、展開部をしめくくるヴァイオリンのフレーズもこのオーケストラの実力からしてもっとインスピレーションに満ちた音楽が聴こえてもいいはずです。再現部に入るときに何事も起こらずあっさりとしているのも大いに疑問ですし、木管同志のやり取りにおけるぎこちなさはライヴとはいえもう少し何とかしてほしいところです。第2主題の再現での歯切れの良いヴァイオリンのオブリガードはなかなかの効果を上げていて、大きな期待感を抱かせてくれます。キビキビしたテンポに乗って盛り上げていくところも見事です。しかし、頂点においては金管を抑えすぎているのと、ヴァイオリンの高音が飽和した感じに聴こえるのとで十分な達成感を得ることができません。しかし、再現部の締めくくりでは張りのある金管がそのパワーを最大限に発揮していて、かろうじてベルリンフィルの面目を保っています。コーダにおいてはティンパニが存在感ある音量で主導権を握り、スケールの大きなクライマックスを築きます。しかし、ここでもトランペットによる押しつけるような強奏の連続は重苦しい雰囲気を作ってしまっています。ここは寧ろ、抜けるような輝きのある音がほしいところです。ベルリンフィルというヴィルトォーゾ・オーケストラの演奏だけに聴き方もかなりシビアなものになってしまいましたが、ヴァントが長年にわたって築いてきたこの曲へのいろいろな思いが、多くの巨匠達の下で演奏してきたベルリンフィルに伝わるにはまだまだ時間が必要なのかもしれません。

 第2楽章。弦楽器は活き活きとした音で弾かれていますが、レガートを意識して排除し音がベタッとつながらないようにしています。テンポも遅くならないように常に手綱を引き締めているようで、その分フレーズ毎に細かなテンポの動きをつけています。ところが、最初の頂点を迎えた後、ヴァイオリンだけが残って分散和音を降りてくるところは突然レガートで弾かれているのですが、ここの弾き方には奏者の間に戸惑いがあるように思えます。しかし、第2主題では速めのテンポに乗って見通しの良い溌剌とした演奏になっています。ヴァイオリンは肩の力が抜けた軽い音で旋律を歌い、内声部は輝きのある音色と動きのある息使いで美しい世界を繰り広げます。第1主題の再現後は直ぐに前傾姿勢になって前に音楽を進めます。フレーズはその末尾を粘らせないために、金管のファンファーレに向けての音楽があっさりしていて物足りなさを覚えます。第2主題の再現はバランスがよく取れていて美しい演奏になっています。オーボエが入るところで弦楽器の弾く主旋律の音量を落すあたりはとてもユニークです。しかし、その後にヴァイオリンが気持ちを入れて音階を駆け上がるのですが、その直前での音楽が目指す方向を失ったの如く散漫になるのはいただけません。第1主題の再々現部に入ると最初のうちヴァイオリンの6連符は少し音量を落しすぎているように思えます。しかし、徐々にその姿を現わしてきますが、気がつくとなんとスラーを全部取っ払って弾います。それほどテンポは遅くないのですからこの段階ではスラーを外す理由はないと思われますが、なんとも大胆なことをやらせるものです。もちろんレガートで弾かれていますので違和感はありません。ここは、低弦や金管の分厚い響きに負けないでレガートでしかも縦の線をきっちり合わせて弾くベルリンフィルのヴァイオリン奏者達の腕前を誉めるしかありません。頂点に向けてテンポをやや上げ、スケールの大きな盛り上がりを作っていきます。そのクライマックスでハース版はシンバル、トライアングル、ティンパニといった打楽器を使用しないのですが、この演奏でトライアングルの音が聞こえるのは錯覚でしょうか。しかし、シンバルとりわけティンパニがここで鳴らないとどうもメリハリがつかず、同じ音型を繰返すだけに単調な印象は拭えません。音楽が静まってからのワーグナー・チューバによるコラールは構造が明確な上にバランスがよく取れています。続くホルンの咆哮には諦観が込められていて胸に迫るものがあります。ヴァントはその後のテンポがどんどん遅くなっていくことを避けているようですが、オーケストラの奏者はそれに従う人とそうでない人がいるようで、テンポ感にズレが気になります。ヴァイオリンは徐々におさまっていく音楽を奏し、フルートはあくまでロマンティックに吹き込もうとしたりで、やや統一感に欠ける終曲になっています。

 第3楽章。丸みのある音で吹かれるトランペットが最も快適に鳴り響くテンポで開始されます。ベルリンフィル特有の重量感と馬力のある低弦に乗ってヴァイオリンががっちりしたスタイルで旋律を奏します。ティンパニの存在感のあるロールは厚みのある金管セクションと共に嵐のような激しさをもってクライマックスを築きます。とりわけティンパニのクレッシェンドは凄まじく、この曲で初めてベルリンフィルの底力を見せつけられる思いがします。大音響がおさまった後も、正確で繊細なヴァイオリン、うねるように歌うチェロ、リズムに乗って見え隠れする木管、そして幅と奥行きのある金管とベルリンフィルの持てる力が存分に発揮されています。多くの楽器を入れ替わり立ち替わり使うことで、ブルックナーがモザイクのように仕立てた音楽をさらに三次元の方向にも可能性を追い求める演奏になっていて、極めて立体的な音楽を作り上げています。トリオでは各パートがそれぞれの役割をきちんと果たしていて、しかも小細工のない自然で端正な音楽になっています。ダイナミクスのコントロールには無理なところはなく、クライマクスにおいてもバランスは崩れずどのパートも鮮明に聴き取ることができます。この楽章に求められる全ての要素を余すところなく表現した理想的な演奏と言えます。

 第4楽章。冒頭の主題はゆっくりめですが、フレーズの途中で表情をつけたりアクセントをつけたりしてメリハリをつけています。木管のやりとりは少し重い印象を受けますが、低弦の立派なサウンドに乗って力強く頂点を築き上げます。第2主題では大きな音量の変化をつけた遅めのテンポで演奏されます。ここでも木管は表情をつけてたっぷり歌います。テンポが少し緩むくらいかなりロマンティックな演奏で近年にしてはめずらしいかもしれません。展開部に向けて速めのテンポが取られますが、ブラスはそのパワーを全開させないで弦楽器とのバランスを崩さないよう余裕のある演奏を心がけているようです。ヴァントは木管に特別の思い入れがあるのか、いろいろ表情づけに注文をつけているようですが、ベルリンフィルの奏者達はそのためにいろいろ苦心しているようです。木管とワーグナー・チューバが交互に奏するところで、その木管のところで突然テンポを落すのには驚かされます。再現部に入って音楽が風雲急を告げるようになってもテンポは変わりません。ただ輪郭のはっきりした旋律線、優れた楽器間のバランスによって音楽の推進力は維持されます。しかし、集中力が失われつつあるのか全体に覇気が感じられず、強奏時の金管の響きに潤いがないために次第に平板に聴こえてきます。コーダに入ってもあと一歩の踏み込みがありません。すべてをやり尽くしたという達成感や圧倒されるほどの迫力といったものが感じられないまま曲を閉じます。この時ヴァントは87歳、チェリビダッケ同様もう少し早くベルリンフィルに登場してほしかったと悔やまれてなりません。

                                 2000年6月現在


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