ブルックナー : 交響曲第7番ホ長調 CDレビュー  V




V.  1985-1991年録音(11種)
         ♪インバル♪ジュリーニ♪ショルティ♪マゼール♪ダヴァロス♪カラヤン♪
         ♪渡邊暁雄♪ドホナーニ♪メスト♪シノポリ♪マズア♪


◆インバル/フランクフルト放送交響楽団(1985年9月 TELDEC ノヴァーク版)★★★☆☆
 インバルは1982年から1990年にかけてブルックナーの交響曲全集(ニ短調と0番、9番フィナーレの補筆完成版を含む)の録音を行ないましたが、注目すべきは1985年から1992年にかけてはマーラーの交響曲全集を完成させており、2人の交響曲をほぼ同じ時期に取り組んでいたことです。特にこの7番を録音した1985年はマーラーの1番から4番までの4曲も録音しているのに驚かされます。だからといって気の抜いた演奏であることはけっしてなく、むしろ演奏水準の高い緻密な仕上がりを見せているのは驚異的なことと言えます。また、とかく珍しい異版による演奏(3,8番)や番号なしのニ短調の演奏で話題になるばかりで演奏そのものを論じられる機会が少ないのも残念なことです。

 第1楽章。冒頭のチェロはやや速めのテンポで一糸乱れずスマートな演奏を繰り広げます。ヴァイオリンと木管が旋律を受け継いでもスタイルは変わらずていねいに音を取っていきます。途中から加わる金管の明るい響きが印象的です。第2主題も速めで流れるように奏されます。高音と低音とのコントラストが効いていてすっきり左右に独立して聴こえるところはどこかマーラー風でもあります。第2主題の終結部の金管は余力を残したコンパクトなファンファーレを聴かせます。第3主題も速めで、完璧なブラスによるスタイリッシュな表現がユニークです。あまりに洗練されていて見通しが良すぎるというのはブルックナーらしくないという批判はあるかもしれません。ともかく、ここまでテクニカルな面では満点の演奏といえます。展開部に入るとも木管がそれぞれ特色ある節回しで歌い出すのが面白く聴けます。チェロの幅のある暖かい響き、ヴァイオリンのダイナミクスの細かな変化も魅力です。これだけコントロールされているのですからもう一歩踏み込んだ演奏をしてもいいのではないかという欲求も覚えます。また、どこか醒めたところが気になります。金管のフォルテッシモもお行儀がよく均整も取れています。続くヴァイオリンも美しく弾かれていますが、上滑りした感じで力強さが足りないようです。再現部に入る直前に大きなパウゼ(間)を取っているのはとてもユニークです。再現部の後半でヴァイオリンのオブリガードが付いて盛り上がるところは、速めのテンポでそつなくこなしていますが、ここでもクールな印象は拭えません。コーダの開始に音量を落とすところはいい効果を上げています。しかし、クレシェンドしていくにつれて金管にメリハリが無くなるのが気になります。また、最後の音を長くソフトに響かせるのはいかがなものでしょう。

 第2楽章は重い足取りのやや暗い雰囲気で開始されます。ヴァイオリンは角がない音でソフトな弾き方をしています。痩せることのない力強い音で弾かれていますが、音色としてはあまり美しくはありません。盛りあがった時にサポートする金管がやかましく聞こえます。第2主題でややテンポアップするものの重々しさはあまり変わらず、単調さを覚えます。弦楽器の圧力をかけた弾き方に問題がありそうです。冒頭と同じ音楽に戻ったところでは、多少音楽に流れがでてきて重々しさは和らいできます。金管、とりわけトランペットの明るい音が加わったことによるのかもしれません。これほどトランペットが突出した演奏はめずらしく、新鮮な印象を受けます。弦楽器も繊細な弾き方が耳に止まるようになります。しかし、クレッシェンドしていくにつれてバランスが崩れ、がさつになっていくのが気になります。ただ、全体の流れは停滞することなく、ひとつの目標に向かって集中していくのがよくわかる演奏で、頂点における金管のファンファーレは見事です。第2主題の再現以降は音楽を萎縮させることなく、堂々とした歌い振りのチェロと弦にとけあう木管がこの場の音楽を引き締めています。第1主題の再々現部では再び重々しい音楽になります。旋律部が押しこむような弾き方をしているせいかと思われます。しかし、全体としてはゆっくりとしたテンポでスケールの大きな演奏になっていて、金管とティンパニが力強く頂点を築きます。その後のワーグナー・チューバのコラールはとてもゆっくり演奏されますが、大音響の後だけにその息の長い響きは絶大な効果をあげています。しかし、大音量のホルンによる咆哮と最後のやや濁った響きはせっかくの雰囲気を壊しかけています。また、この楽章をしめくくるヴァイオリンは、その高音での弾き方がこれまでと違ってクールなところが、多少の違和感を覚えます。 第3楽章はトランペットの明るい響きが印象的ですが、他の楽器は今ひとつまとまりに欠け、ガサガサした感じに聞こえます。ひとつひとつの楽器は響いていても、他の楽器といっしょには響いていないのが原因かもしれません。トゥッティではせっかくいい感じだったトランペットがつんざくような絶叫に近い音を出しているのが残念です。全体にはテンポ感もよく、勇壮な感じが出ていますが、どこか音楽的でないように思えます。トリオは速めのテンポでスイスイ進んでいて、響きすぎるバスに乗ったヴァイオリンは音色の魅力に欠けます。ただ、チェロの軽やかな対旋律にハッとさせられのが救いです。第4楽章は軽快で心地よいテンポで開始されます。どのパートも確実に役割をこなしていますが、金管が出てくるとかき消されてしまうのが残念です。第2主題に入ってもスピードは変わらず、どんどん先に進むために特に木管が忙しく聞こえます。このテンポはさらに第3主題においても維持されていて、ブラスにとっても少々無理のあるような気がします。確かにそれによって緊張感を高めることには成功していますが、一方ではここでほしい音楽の重みが失われているようです。展開部のヴァイオリンの跳躍する旋律も快速のテンポで弾かれます。弦はいいとして、木管にとっては速すぎて味わいを出すには到りません。続く金管の強奏ではややテンポを落して吹かせていて、ここでは完璧な響きを創出していますから、どうやらテンポの設定に問題があるように思えます。コーダに向けての音楽でもテンポは速いままで、音楽が軽く流れてしまうように感じられます。オーケストラはなんとかついてきていますが無理があるのは隠せないようです。


◆ジュリーニ/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1986年6月 GRAMMOPHON ノヴァーク版)★★★★★
 ジュリーニはウィーンフィルを使ってブルックナーの7,8,9番を、ウィーン交響楽団と2番、シカゴ交響楽団と9番を録音しています。この録音はウィーンのムジークフェラインで行なわれていますが、同じ月の1986年6月10日にジュリーニはウィーンフィルを振ってこの7番を同じ場所で演奏しています(ウィーン芸術週間での演奏会で、前プロはハイドンの交響曲第99番)。その模様はFMで放送されまして筆者の手元にそのテープがあります。恐らくこの日に前後して録音したのでしょう、スタイルは全く同じで極めて完成度の高い演奏です。しかし、ライヴのほうがテンポ感に活きのよさが感じられ、オーケストラも思い切りのいい音を出しています。このCDの録音での演奏は「よそいきの顔」といったところでしょう。なお、ジュリーニがベルリン・フィルを指揮したテープ(1985年3月5日)もあり、聴き較べるとオーケストラの違いはあってもスタイルはほとんど変わっていません。しかし、ベルリンでのジュリーニは時折唸り声を発したり、いっしょに歌ったりしていますが、ウィーンフィルでは至って静かです。後述するセカンド・ヴァイオリンのトレモロの個所はベルリンフィルでは譜面通りに弾かせていますが、特にコーダの前ではセカンド・ヴァイオリンが動く時にかなり大きな声でいっしょに歌っているところは興味深く感じられます。ただ残念なのは、リハーサルの時間が十分でなかったのかベルリンフィルの演奏に精度がないことです。

 第1楽章。冒頭の主題はチェロにかぶさるホルンが実にいい響きで、いかにも遠くの方からといった感じで聴こえてくるところがとても印象的です。チェロはやわらかな音色で、あまり感情を表に出さず起伏も少なめに息をひそめるように弾かれます。ゆったりとしたテンポに乗ったその自然な歌いぶりに心を奪われます。ヴァイオリンと木管に旋律を受け渡す直前にはセカンド・ヴァイオリンによる短い下降音階(4つの八分音符)がありますが、ジュリーニは譜面で指示されているトレモロを外して普通に弾かせています。アッと驚く効果もさることながらその弾き方がなんとも粋でとても言葉では言い表わせません。続くヴァイオリンによる旋律の特に出だしの音の美しさは唖然とするばかりで、曲が開始してまだ1分しかたっていないのにこうショックの連続では先が思いやられてしまいます。この個所では、どちらかというと木管楽器の主張が強く感じられ、ヴァイオリンは木管に寄り添うように控えめに聴こえます。しかし、ここぞというところでの弦楽器の意思の強さは目を見張るものがあり、そのたび毎にため息が漏れます。金管が加わってスケールの大きなクライマックスを築いた後ではファースト・ヴァイオリンがその他の弦楽器によるトレモロに乗って、震えるような息使いで透明感あふれた余韻を奏でます。第2主題はややテンポを速めて流れるように歌われます。この提示部の終結部に用意された次なるクライマックスに向けて、ヴィオラによる絶妙なリズムの刻み、潤いのあるヴァイオリンのスタカート、流れるようなヴィオラとチェロの対旋律と風景が移り変わる毎に聴き手を魅了していきます。この各パートが錯綜するあたりは、あまり指摘されませんがブルックナーの特徴のひとつとも言えると思います。ジュリーニはここで決して散漫にならず、ひとつの方向を見据えてオーケストラをまとめていきます。第3主題は大げさにならずにコンパクトにまとめられています。展開部での木管の素晴らしさは特筆すべきものがあり、ウィーンフィル独自と言いましょうか粘りのある歌いまわしはそれぞれが個性的でありながら各楽器がひとつの同じ風景の中にぴったりはまっているといった感じを受けます。中でもフルートは存在感のある音を聴かせてくれます。続くチェロは静かに歌い始めますが、振幅の大きなヴィブラートで次第に力強さを増し、金管のサポートを受けたその頂点において初めて大きな身振りでスケール感のある音楽を聴かせてくれます。その圧倒的な説得力はこの個所が第1楽章の音楽的頂点であることを雄弁に物語っているかのようです。展開部の後半では安定したテンポに終始し、第1主題の変形をオブリガード風に弾くヴァイオリンは完璧な音程で弾かれていますが、金管が加わるとやや音が遠のいてしまうように聴こえます。コーダに入る直前にあるセカンド・ヴァイオリンのトレモロ(四分音符で動くところ)に対して、冒頭と同じようにトレモロを外して弾かせています。コーダはややテンポをアップさせて一気に駆け抜け、最後の音符はきっぱりと弾き切っています。

 第2楽章。全体に肩の力が抜けた、まさにウィーンフィルが生み出す美しい音にすべてを託したといった演奏です。まるでこわれ物を扱うように旋律を大事に大事にたっぷり時間をかけて歌い込んでいます。フォルテでもソフトな音色に徹していて、決して深刻で切迫感ある雰囲気を作ることはしません。楽想に応じて表情に変化をつけることはせず、美しいのはもちろんなのですが、ある意味で淡々と音楽が進行します。第2主題でも同じ雰囲気で、随所に各弦楽器パートがみずみずしい音で見せ場を作ります。ここでも緊張や気持ちの高まりといったものはなく、ひたすら平らかで穏やかな世界を紡いでいきます。第1主題が再現されるあたりまでくると、さすがに少し変化を期待したいのですが、ひたすら美しく音楽が流れて行きます。主旋律だけでなく伴奏部や対旋律といったあまり聴きなれないパートの音が時折耳に飛び込んできて心地よい驚きに浸ることができます。第2主題がセカンド・ヴァイオリンとヴィオラで再現するときのファースト・ヴァイオリンのオブリガードは、この世のものと思えないほどの美しさと自然なフレージングで弾かせていることに心が打たれます。第1主題の再々現部では、ヴァイオリンが上降する6連符にスラーをつけて延々と弾きつづけるのですが、ウィーンフィルは部分的にスラーを切って弾いていて、終始金管のコラールをリードするほどの主張を持っています。弦楽器で楽譜についたスラーを外して弾く(スラーの途中で弓を返す)理由は、そのまま弾くと弓の速度や圧力の関係で音量が出ないためであることが挙げられますが、ウィーンフィルは音量を必要としない個所ですでにスラーを外して弾いています。これはスコアを見なければわからないことですが、聴いていて何ら違和感がないということはそれなりの効果を挙げているのでしょう。シンバルが入るクライマックスに向けてテンポを速めることもなく、落ち着いた雰囲気のまま盛り上がっていきます。その頂点において金管はそのパワーを全開させることなく節度ある響きを作り上げています。このあとも最後まで限りない美しさをたたえた演奏になっています。

 第3楽章でも穏やかな表情で開始され、どんな時でも威圧的ならないジュリーニのスタイルが貫かれています。ヴァイオリンの音の立ちあがりのよさ、背後に鳴るホルンのセンスのよさにはただ感心するのみです。音符ひとつひとつが生きた音になっていて曖昧さのない明確かたちで耳に届きます。各楽器間のバランスがよく取れていて正確なリズム感と相俟ってオーケストラ全体で緻密なアンサンブルが実現されています。とりわけ金管どうしでの掛け合いはまるで音のキャッチボールをしているように聞えます。トリオでの弦は相変わらず柔らかい音色で美しく弾かれていて、テンポは緩まず、表情は過剰にならず、限られたスペースの中でウィーンフィルの持てるすべての特質を十二分に出し切っています。第4楽章。最初の主題はテヌートと複付点のリズムが強調されていてユニークな歌いまわしに聞えます。ダイナミクスの変化に富み、ヴァイオリンのコントロールの効いたトレモロが印象的ですが、深刻さはなく明るい雰囲気に包まれています。リテヌートは最小限にかけられて楽想毎に立ち止まることはせず、自然な流れに任せたスタイルになっています。この楽章も各楽器間のバランスがよく、決して荒々しくならない金管の響きを楽しむことができます。全体的にテンポの変化は少なく、緊張感を強いる演奏ではありません。「幸せの交響曲」と一部では呼ばれる曲ですが、この演奏はまさにそれにピッタリの演奏で、しかも限りない美しさに溢れています。


◆ショルティ/シカゴ交響楽団(1986年10月 DECCA 1883年版)★★☆☆☆
 ショルティはシカゴ交響楽団とブルックナーの全集を録音しています。この7番はウィーンフィルとの1965年の録音に続く2回目のものです。また、1978年9月5日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでシカゴ交響楽団を振った映像も見ることが出来ます。

 第1楽章。冒頭のチェロとホルンのスリムでいて一体となった演奏が印象的です。譜面にあるmf(メゾ・フォルテ)というよりpp(ピアニッシモ)で奏され、その一糸乱れぬ演奏には耳を奪われます。ヴァイオリンの響きもスリムで、途中から加わる金管がクリアに聴こえます。第2主題では各パートの音が分離されていて、すべての音が明確に弾かれているのがわかります。しかし、ここの終結部に向けてテンポが少し緩むのが気になります。もったいぶっているわりに、続くファンファーレではシカゴ自慢のブラスが炸裂するかと思いきや、意外にもおとなしいスタイルで吹かれています。第3主題でもテンポは速くならず、丁寧に弾かれているせいか音楽の流れが損なわれがちです。第3主題の終結部でのクライマックスもすっきりクリアな響きでバランスはいいものの力強さがなく、拍子抜けといったところです。全奏がおさまった後も不必要にテンポが遅くなりすぎるように思えます。展開部での木管群は透明感がありますが、歌いまわしが丁寧過ぎるように感じられます。チェロのどこか醒めた感じの弾き方も気になります。あのショルティがこのような水墨画の世界を描こうとは…。後半に入っても音楽に熱っぽさが感じられません。ヴァイオリンの音程は見事ですが、最高音でアクセントをつけるのはどうでしょうか。音楽に勢いがみられず、どこがクライマックスなのかわからないまま再現部に入ります。ここでもテンポは遅めで一向にアクセルが入りません。音色の魅力があればこうした演奏も救われるでしょうが、金管が見事なコラールを聴かせてくれているだけに惜しい気がします。せっかくのヴィルトーゾ・オーケストラがその実力を発揮することはなく、あのキビキビした普段のショルティの姿はここにはありません。

 第2楽章。冒頭のワーグナー・チューバとヴィオラのソフトな響きに続いて弦楽器も角の取れた弾き方で演奏されます。テンポは遅く、このテンポで弱音を活かしつつ潤いのある音を維持しているのはさすがです。しかし、しばらく聴いていると単調さを感じるようになります。フレーズに即したテンポの動きがないために、足枷をされて進むような印象を受けます。第2主題でもテンポは変わらないため、美しいところもありますが部分的に音楽的でないところも見られ、少々いびつな感じがします。弱音における細部まで磨き上げられた弾き方は驚嘆に値しますが、これが果たしてブルックナーの音楽といえるかどうかは疑問です。第1主題の再現でも冒頭同様、音そのものに確固とした意図は感じられず、中味のない上っ面だけの音に終始しているように感じられます。テンポは相変わらず遅いままで、豊かな響きを少しづつ増しているのは確かでそれはそれとして見事ではありますが、音楽に緊張感は全く生まれてきません。この遅いテンポに固執するショルティの意図が見えてこないのも困ったものです。金管の壮麗なファンファーレは実に見事なものですが、それに到る過程も含めてテンポが全く変化しないために、音楽としては伸びきった印象を受けてしまいます。しかし、こんな遅いテンポでも決して崩れることのないシカゴ交響楽団の凄腕には感心させられます。第1主題の再々弦部は透明感のある響きで演奏されます。ヴァイオリンの6連符のすっきりした弾き方が魅力的です。定規で右肩上がりの線を真っ直ぐ引いたような均質なクレッシェンドには驚かされます。これほど精密機械のような演奏は他に例はないでしょうが、これほど面白みのない演奏もめずらしいかもしれません。頂点に達してからの金管は実に見事なサウンドを聴かせてくれます。しかし、同じフレーズを何度も繰返すのですが、まるでレコードの針が引っかかって同じところを繰返すような味気のない演奏になっています。音楽がおさまった後のワーグナー・チューバとホルンのコラールでは、これまでと違って思いを込めた吹き方になっていますが、あまりに長く吹き伸ばすために最後は失速気味に聞こえます。続くヴァイオリンはやたら速いテンポで弾かれていて、これまでの音楽と全く相容れないスタイルで弾かれているのが気になります。

 第3楽章。力強さはあるものの弦楽器に鮮明さがないためにシャキッとしない演奏になっています。金管は相変わらず見事に吹いていますが、どこかピタッとはまっていません。トリオはゆっくりとしたテンポで、とりわけ弱音において感情を込めていますが、起伏や動きが少ないために、途中で退屈さを覚えてしまいます。クライマックスでは大きなルバートをかけて各パートに好き放題やらせている割りには肝心の頂点を築き損ねているように思えます。第4楽章。こじんまりした開始ですが、ようやく普通のテンポで演奏されます。しかし、何事も起きない平凡な演奏です。意に反して第2主題では流れるような速いテンポが取られていますが、木管の演奏にはあまり工夫が見られません。部分的にフレーズを取り上げれば、それぞれ水準以上の演奏をしているのですが、音楽的なつながりが稀薄なように思えます。再現部に入ってテンポを上げていきますが、どこか画一的な印象が拭えず、気迫が感じられない演奏に終始します。


◆マゼール/ベルリン・フィルハーモニア管弦楽団(1988年2月 EMI ノヴァーク版)★★★★★
 マゼールのブルックナーの録音は多くなく、ウィーンフィルとの5番、ベルリン放送交響楽団との3番がだいぶ以前にあり、あとはベルリンフィルとの7,8番のみです。この7番の翌1989年に8番を録音しますが、ベルリンフィルの常任指揮者がアバドになったことからマゼールはベルリンフィルとの共演をすべてキャンセルしたためにその後が続きませんでした。ちなみに1990年からはバレンボイムがブルックナーの全集録音を開始しています。このマゼールの演奏は世界最高のオーケストラを使って、極めてユニークなアプローチを試みることでブルックナー演奏への一石を投じたものと筆者は思っています。従来と全く異なる音楽を時代考証という視点から再構築するアーノンクールに対して、マゼールは従来の枠組みの中で余人の思いつかないことを大胆に実行します。当初は激しく非難されていたアーノンクールは古楽器演奏が市民権を得るにつれて教祖的存在になってきましたが、マゼールは巨匠としての風格は身につけつつあるものの、未だに多くの人々から敬遠される面は持ち続けています。この演奏を箸にも棒にもかからない天下の駄演とする人もいるでしょう。しかし、マゼールが数々の毀誉褒貶を受けながら歩んできた軌跡を振りかえると、ここでの演奏スタイルに深い意味を感じざるを得ません。

 第1楽章。冒頭の主題提示はチェロよりホルンが主体となってゆったりと始まります。チェロだけになると、あたかもソロで弾いているかのごとく、木の香りを漂わせつつ繊細でスリムな音を響かせます。ヴァイオリンと木管が主題を受け継ぐところも最初は木管が音量では優っていますが、最高音におけるヴァイオリンの美しさは呆れるばかりです。ヴァイオリンの音色への配慮はその後も続き、次第に楽器が加わって音の厚みが増しても透明感は失われません。このオーケストラがベルリンフィルでなくウィーンフィルでないかと思わず疑いたくなる程です。最初のクライマックスは控えめですが、音楽がおさまっていく個所では低弦によって見事に支えられつつじっくりと余韻に浸ります。第2主題は優しく刻まれる8分音符に乗って木管が美しく歌い、バランスの取れた弦楽器がそれを受け継ぎます。フルートによるブリッジには他を圧する感じはなく、淡々と全体の雰囲気に溶けこんでいます。弦楽器が錯綜するところでも各パートがそれぞれの主張をすることなく、流れを重視した自然な音楽を作り上げています。終結部に向けてようやくテンポが前に傾くようになりますが、これまで我慢していたベルリンフィルが座りなおしていよいよパワーを炸裂させると思いきや、八分の力でファンファーレを軽く流します。第3主題も穏やかな表情でアンサンブルに徹した演奏になっていて、常にバランスを失わず、すべてのパートの音を聴き取ることができます。威圧感やおどろおどろしさを排した爽やかな雰囲気を出して、しかもどの音も完璧に捉えています。ここまで提示部を聴く限り、マゼールはベルリンフィルの持てるパワーに頼らず、音色へのこだわりと譜面に書かれた音符の完全なる再現に腐心しているように思えます。展開部に入ると、木管がそれぞれのフレーズに応じてテンポに自然な変化をつけ、チェロは相変わらずソフトな音で語りかけるように歌います。その一糸乱れぬ完璧な弾き方はさすがベルリンフィルと唸らせますが、そこには一縷の感傷も慟哭もありません。チェロをサポートする金管は奥行きのある柔らかな音で響きをつくるだけに留まり、穏やかな世界を繰り広げます。金管の堂々とした強奏に続いてヴァイオリンが遅めのテンポで悠然と第1主題の展開をはじめます。その音程とバランスは完璧を極めますが、さすがにここはもう少し緊張感がほしいところです。再現部も同様の雰囲気で音楽が進み、朗々と歌われるチェロやホルン、美しい中高弦楽器のトレモロと静かで平穏な世界が繰り広げられます。遅くなったテンポは第2主題の再現でようやく持ち直します。ヴァイオリンのオブリガードは常に鮮明に弾かれ、輪郭のはっきりした音楽が作られます。頂点に近づくにつれてどうしたことかテンポがどんどん遅くなり、しかも音量的にもはっきりした盛り上がりを見せないまま第3主題の再現に入ります。肩透かしを食らうなんともユニークな解釈で、マゼールの得意な顔が目に浮かびます。コーダはゆったりとしていて、息の長いクレッシェンドで大きな山を築きます。すべてのパートがどんな時でも鮮明に浮かび上がっているのもこの演奏の特徴です。頂点を過ぎた後はこれまた時間をかけた見事なデクレッシェンドがかかっていて、それによって作られる静寂な世界に浸っていると、マゼールはここをこの楽章の音楽的頂点に据えているのではないかと思ったりもします。ここで何かを表現しようというより、音符をそのまま再現しているといった作為のなさをも強く感じられます。最後も遅いテンポに貫かれ、トレモロを刻むヴァイオリン、2つに分かれた金管群、それと木管とティンパニとすべての音のグループが識別されると同時に大きなスケールでひとつにまとまって聴こえる、まことに稀有な演奏といえます。

 第2楽章。世界に誇るベルリンフィルの弦楽器はここでそのキバを剥くことは全くなく、最も自然に発声ができるテンポと音量を維持し、音の処理、ブレス、バランス等全てにおいて完璧にコントロールされています。それでいて堅苦しさやぎこちなさを全く感じさせません。また過度な感情移入もなく、第1楽章と同様美しい音へのこだわりは常時感じられます。第2主題でテンポはアップされ、一部の隙のないアンサンブルに加えて、ヴァイオリンの音には生気と潤いに溢れています。第1主題の再現を迎えてもソフト基調は変わらず、常にバランスが取れていて、全てのフレーズがその求められる形で表現されます。ここでのテンポはだいぶ遅くなっていますが、弛緩することはなく、程ほどの流れに乗ってダイナミクス・レンジの広い音楽が作られます。欲を言えばもう少しテンポの変化があればいいと思われます。どんな f や ff においても力を込め過ぎずに八割くらいのパワーで音を出しているようで、どの和音も柔らかく美しさを保ちます。しかし、徐々に音量は増大していきます。第1主題の再々現に入る直前でセカンド・ヴァイオリンがめずらしく熱っぽい弾き方をしているのが印象的で、時間もたっぷりかけています。ヴァイオリンによる6連符はやや速めのテンポで淀みなく流れ、他の弦による旋律や金管のコラールを自然に導きます。次第に高まる熱気をかき集めて大きなクライマックスを築いていきますが、常に透明感を維持するあたりはさすがと言うべきでしょう。ベルリンフィルはここの頂点でようやくその持てるパワーを全開させますが、そこには激情というものはなくあくまでクールなマゼールの後姿があります。また、この大音響の中においてティンパニの強打が鮮明に鳴り渡りるのがとても印象的です。音楽がおさまった後のワーグナー・チューバは極端な弱音でコラール奏し、続くホルンの咆哮は恐ろしいほど時間をかけて一音一音押しこむように吹かれます。もちろんそこにはもがいたり慟哭したりする姿はありません。f が3つであっても既に音楽は減衰の一途を辿っているわけです。ヴァイオリンとフルートを始めとする木管はひたすら美しい光芒でもってブルックナーの書いた音符を再現します。この楽章の終わり近くで弦楽器によってクレッシェンドしつつ弾き伸ばされる音がありますが、これこそこの楽章で唯一奏者が感情を露わにした個所ではないでしょうか。緻密さと美しさを湛えた演奏は他にはありません。

 第3楽章。主題を奏するトランペットはこれまでのベルリンフィルの演奏を象徴するかのように丸みのあるソフトな音で吹かれています。他の金管群もメリハリをあまりつけずにレガートで奏され、テンポも落ち着いています。ヴァイオリンは複付点を強調し、ティンパニはリズミカルに叩かれます。頂点におけるバランスの良さは呆れるほどで、どのパートも余裕の響きで堂々とした音楽を作り上げます。とりわけ金管群は張りと伸びのある音によって、綻びのない完璧なサウンドを形成しています。存在感のあるティンパニによって開始されるトリオではどのパートも細部まで磨き上げられた音で奏され、あるべきところにあるべき音が鮮明に響くといった感じです。ヴァイオリンは絶えず美しい音を奏で、よく鳴りきったフルート、ホルンを導きます。途中割ってはいるチェロの輝かしい響きにも耳を奪われます。どこをとっても呆れるほどのうまさです。しかし、ここでマゼールは特別なことは何もしないで、譜面に書いてあることをただ忠実に再現しているにすぎません。このように演奏者の意気込みや何らかの意図を押しつけないことこそ、ブルックナー演奏のひとつの理想というべきでしょう。

 第4楽章。この楽章も落ち着いたテンポで奏され、しかも小細工は一切なしです。ヴァイオリンは第1主題をのびのびと歌い、それに続いて各パート間がバランス良く主題を引き継ぎます。とりたてて何かを強調することも、力で押し捲ることもしません。第2主題でもコントロールの効いたヴァイオリンが速めのテンポで美しく歌います。チェロ・バスの確固としたピチカートに乗って、木管やホルン、トランペットが隙のないアンサンブルを聴かせます。続く全奏においてはとりわけ金管がとてつもないスケール感で見事な響きを作り上げます。音を割ることは全くなく、全ての音を完璧に鳴らし切るとこうなるというお手本のようです。展開部に入ると、ヴァイオリンが細かい動きを弱音で奏しますが、ここでも落ち着いたテンポで淡々と弾かれ、しかも音程は常に完璧に捉えられています。再び現れる全奏ではそのパワーを先程より一段と増大させ、全ての音符がコントロールされていて全く隙のないサウンドになって鳴り響きます。再現部に入っても少しも荒ぶることがないところはやや物足りませんが、少しも慌てることなく確実に音楽を築いていきます。コーダでも相変わらずバランスの取れた演奏に終始し、大きなクライマックスを作り上げて曲を閉じます。全曲を通してそのスタイルが全然変わらない恐るべき演奏です。強いて難点を挙げれば、音楽が安定しすぎていて緊迫感や危うさ、生々しさに欠けることでしょうか。しかし、近年のブルックナー演奏に求められる楽譜への忠実さや恣意のない楽譜へのアプローチといったことを極めた演奏と言って過言ではないと思います。誰もそのことを指摘する人がいないのは指揮者がマゼールだからなのでしょう。音楽はすべからく先入観なしで聴くべし、です。


◆ダヴァロス/フィルハーモニア管弦楽団(1988年 ASV ノヴァーク版)★★☆☆☆
 イタリアのナポリ出身の指揮者ダヴァロスによる演奏です。イギリスのオーケストラにはこの曲の録音が少なく、このフィルハーモニアはクレンペラーに続く2回目ですが、他に3つのオーケストラしか録音していません。 第1楽章。速めのテンポで、いささかの迷いのないすっきりした演奏で開始されます。チェロの音には張りがあって好感が持てます。続くヴァイオリンの音はとても明るく、後で加わる金管も賑やかです。第2主題では先を急ぐ感じで音楽が進行します。弦楽器が錯綜するところはきっちりと各部を際立たせ、終結部をめざして淀みがありません。第3主題に入る直前のヴィオラのクレッシェンドは見事で、第3楽章に入ると息つく暇もなく駈け抜けていきます。展開部に入ると木管の作為のない自然な吹き方に耳を奪われます。後半のテンポはあまり上がらず、ヴァイオリンの跳躍にもクリアさがありません。音楽が熱気を帯びていくに連れてテンポが上がりそうで上がらないもどかしさを感じるのはオーケストラ側の問題でしょうか・・。再現部においてもクライマックスを迎えても頂点がばやける感じを受けます。ヴァイオリンのオブリガードに力が入りきっていないのも一因でしょう。

 第2楽章。速めのテンポでリテヌートを控えながらも丁寧に音楽を紡いでいきます。弦楽器は元気がよく、爽快感を覚えます。第2主題でも雰囲気は変わらず、ここではさすがに忙しく感じられます。チェロと掛け合うヴァイオリンがスラーのかわりにスタカートをつけて弾かせているところがあり、どんな根拠に基づくのか知りたいものです。その後も速めのテンポで緊張感を高めていきますが、あまりに一定のテンポであるために一本調子に聞こえます。第1主題の再々現部でも同じテンポでスイスイ進みます。立ち止まることも、振り向くこともせず一直線に頂点を目指します。頂点ではややバランスの欠いた演奏になっています。その後のフルートはソリスティックな吹き方をしていて、これまでのどちらかといえば朴訥というか素朴な演奏とまるでそぐわない印象を受けます。第3楽章は溌剌とした演奏で、各パートがコンパクトな音できちんと弾いているのと、金管が滑らかな吹き方をしているのが特徴的です。トリオはバランスの取れたよく歌う演奏ですが、その頂点で全くリテヌートをかけないあっさりした演奏にはいささか疑問を感じます。第4楽章。さっぱりした弾き方は相変わらずで、速めのテンポで見得を切ることもなく前進します。木管のアンサンブルは忙しく、もう少し音色を聴かせてほしい気がします。第3主題の金管の強奏に至ってはてとてつもなく速いテンポで演奏されます。そのまま再現部になだれ込みますが、速い割には軽いせいか緊張感はあまり感じられません。細かいところまできちんと弾かれているのは評価されるべきですが、どこを取ってもブルックナーの影は見当たりません。コーダで、急にテンポを落とすのはどうしたことか、びっくりしているうちに集中力を欠いたまま終曲を迎えます。最後のひとくさりの直前でも突然のスローダウンをかけていて、疲れの見える金管には気の毒な締めくくりになっています。


◆カラヤン/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1989年4月 GRAMMOPHON ハース版)★★★★★
 1989年8月に亡くなったカラヤンの最後の演奏会(4月23日)の前後に録音された有名な演奏です。過去ベルリンフィルとの2回の録音を残していますが、オーケストラをウィーンフィルに替えることで世界一美しい弦楽器の美音を楽しめることはもちろんですが、最晩年のカラヤンがこれまでのスタイルから大きく外れる指揮を行なっているところに注目されます。ベルリンフィルの音楽監督として世界の帝王の名をほしいままにしていたカラヤンは、帝王であるゆえに常に完璧な演奏を行なわなければならない宿命にあったとも言えます。頂点に立つのに相応しい風格と世界に示さねばならない模範演奏をどんな曲においても具現しなければならなかったために、ベルリンフィル就任当初の激情にかられた演奏は次第に影をひそめていきます。しかし、このブルックナーの7番を聴くと、これまでの仮面をかなぐり捨てたカラヤンの生の姿があるように思えてなりません。ここでのカラヤンはウィーンフィルを使いながらもその美しい音色に溺れず、曲の持つ美しい旋律に流されることなく、かつて決して表に出さなかった自分の内面の感情を露わにしつつブルックナーの音楽に正面から対峙している演奏であると筆者には思われます。。

 第1楽章。冒頭のチェロは粘りのある音で確固たる自信に満ちた第1主題を奏します。ヴァイオリンによる完璧なトレモロを従えて歌うその美しさといい、フレーズの頂点における張りのある音色といい、フレーズに即したテンポやダイナミクスの微細な変化といい、この曲のオープニングに申し分のない演奏と言えます。ここで最も特筆すべきは、この曲にありがちなフレーズの終わりに必ずつけるリテヌートをカラヤンは多用しません。奏者達が自分の音に陶酔していないように引き締めているということになります。これによって音楽が前へ前へと進むことができ、この曲をムード音楽に堕することから救っています。ヴァイオリンと木管が主旋律を引き継ぐと次第に高揚感が漲り、ウィーンフィルにしてはめずらしく熱っぽい演奏になっていきます。しかし、音程の正確さと美しい音色は言うまでもなく失われることはありません。第2主題においては、主旋律と伴奏部との距離を感じさせる広い音場ながらも室内楽的な緻密さがあり、特に八分音符のリズムを刻むホルンとヴィオラの絶妙さが光る演奏です。これこそ我々アマチュアにとって手の届かない世界であるばかりか、ウィーンフィルにでしかできないと痛感させられる個所でしょう。ここから最初のクライマックスまでの間、主旋律と対旋律とが楽器を替えつつ交錯するというブルックナーが丹念に書いた音符をウィーンフィルは見事なまでに再現しています。そして迎えるクライマックスにおけるヴァイオリンの付点音符の厳しさと金管のやや硬めのリズムと響きはそれまでのムードをぐっと引き締めます。続く第3主題においてもその雰囲気は維持され息をつく暇はありません。こうした音楽をウィーンフィルで聴くことはめずらしいのではないでしょうか。展開部では木管群が活躍しますが、ここにおいても各奏者がそれぞれのフレーズにおいて陶酔することなく、次の奏者への音楽の受け渡しに徹しています。一般的にはフレーズの終わりはリテヌートしたくなるところですが、この演奏では次のフレーズが前のフレーズの音が終わるのを待たずに出てくることもあります。こうしたところで逡巡せずに先を急ぐ様を聴くと、人生の黄昏を迎えていたカラヤンの心境はいかばかりであったのでしょうか。これによってこの楽章の音楽に流れと方向性を持たせているわけで、聴いていて不自然なところは全くありません。この後、満を持して登場するチェロも感傷的にならず上降音階をしっかり踏みしめるように演奏しているのが印象的です。展開部後半におけるヴァイオリンは抑えきれない程の情熱に溢れた演奏を呆れるばかりの完璧な音程で繰り広げます。とりわけ各フレーズの最高音での力強さと音の勢いに心を奪われます。再現部後半においてもその気迫は失われず、全奏時でのヴァイオリンのオブリガードにおけるウィーンフィルのプライドをかなぐり捨てた体当りの熱演には圧倒されます。続く第3主題の再現でも緊張感は弛緩することはありません。しかも、細部への配慮も怠ることはなく、フレーズの終わりにおける内声部の動きも鮮明に聴くことができます。コーダに入っても、ヴァイオリンの切迫したトレモロ(驚くほど現実的な音で始まるために効果は大です。)によって張りつめた雰囲気を維持します。最後のティンパニの一撃は、すべてを言い尽くしたという満足感あふれるエンディングだけでは終わらない、どこか決然としたものを感じさせます。美しい音によりかかった演奏ではなく、ウィーンフィルが持つ潜在能力を引き出し、激しさ、厳しさ、緊張感といった様々な面を出しきった演奏といえます。

 第2楽章。遅すぎず早過ぎず、美しい音を作るのに最も相応しいとでもいいましょうか、心地よいテンポで進行します。ワーグナーチューバによる主題提示ではユニゾンで旋律をなぞるヴィオラから早くも美しいため息が漏れます。続く弦楽器は柔らかく旋律を引き継ぎ、とりわけG線で弾かれるヴァイオリンの響きには木の香りが横溢しています。全体的にほとんどテンポの変化がないのは、2回のベルリンフィルとの録音も含めてカラヤンの特徴といえます。常に肩の力が抜けているのはウィーンフィルの特質でしょうか。ダイナミクスは p や pp の指定に拘らず大きめに弾かれていて、どのパートも鮮明でなおかつバランスもよくとれています。第2主題に入ってもそれまでと同じような雰囲気を維持し、ヴァイオリンとヴィオラ、チェロはあたかも会話をするかのように親密なアンサンブルを繰り広げます。第1主題の再現でも特別な思い入れもなく淡々と音楽が進められますが、このあたりから徐々にスケール感を増していきます。この後、いくつかのピークを迎えますが、金管のファンファーレは金切り声にはならず、ヴァイオリンのオブリガードはあくまで美しく、しかも緊張が途切れることはありません。弦楽器が複雑に絡み合う第2主題の再現でもウィーンフィルの各パートは美しさを競い合っています。続くゲネラル・パウゼでは過去2回の録音同様その全休符を意識させず、もったいぶることなく第1主題の再々現になだれ込みます。ヴァイオリンはその連続する6連符の一音たりとも疎かせず、しかも強力な推進力で音楽を前に押し進めます。これに引っ張られるように金管がこれまで蓄えてきたパワーを次第に表に出してきます。シンバルが入るところで最高のクライマックスを迎えますが、カラヤンは極めて冷静にオーケストラをコントロールしているように聴こえます。この楽章の冒頭からこの個所まで音楽は一直線に繋がっているということをカラヤンは落ち着き払って聴き手に伝えようとしているのかもしれません。ここを過ぎると、なだらかな斜面を下るように再び穏やかな世界が広がります。ワーグナー・チューバ、ホルンのコラールでは絶叫もなく、悲愴感・絶望感といったものがないのは少々物足りないという意見もあることでしょう。

 第3楽章。ソフトな音のトランペット、落ち着いたテンポで余裕ある音楽を作り上げています。しかし、ヴァイオリンの切れ味はずるどく、厳しく引き締まったアンサンブルを追及しています。全奏時も決して荒々しくならず、くっきりしたフォームを浮き上がらせるところもウィーン的というより現代的なスタイルを思わせます。トリオでは、これ以上ないというくらいの見事なバランスで各パートが全身全霊を込めた表現でそれぞれの本領を発揮します。ここぞというときのウィーンフィルの美音に対する飽くなき執着を感じさせます。しかし、テンポはあまり動かさず、シンプルなスタイルを貫いています。第4楽章。リズミカルなヴァイオリンの主題で開始され、相変わらずすべてのパートがクリアに聴き取れる演奏です。ヴァイオリンのトレモロが支配するところでも決して行き過ぎて全体を覆い隠すこともありません。これは音量の問題ではなく、音色や音質の違いで自他を分ける高度なテクニックと言えます。録音が優秀なこともあるでしょう。第2主題での木管はカラヤンの動きのない音楽にあまりに忠実なせいかやや平板な歌い方に終始して味わいに欠けるようです。続く第3主題でも、それまでとテンポの変化がないせいか重々しく感じられ、緊迫感の欠ける印象を受けます。しかし、音楽がおさまった後の静寂感は見事に表現されています。第2主題の再現のあたりで各パートが少々歌いすぎるのかテンポ感が失われるところが気になります。コーダに入ると、疲れが出たのかカラヤンの集中力が切れかかったのか全体に歯切れが悪くなり、推進力も衰えがちになります。終始安定していた金管もさすがにバランスを失っています。カラヤンとしては完璧なものにしたかったでしょうが、全曲を通じてこれほど完成され、指揮者の意図を実現させた演奏はこの曲にしては稀で、長年にわたって聴きつがれる演奏となることでしょう。

◆渡邊暁雄/日本フィルハーモニー交響楽団(1990年1月 Canyon classics ノヴァーク版)★★☆☆☆  
 渡邊暁雄さんが亡くなる5か月前にサントリーホールで催された定期演奏会のライヴ録音です。最後の演奏会と最後の録音がこのブルックナーの7番というところが偶然にもカラヤンと同じです。筆者は中学生の頃、無料の都民コンサートによく足を運んだもので、その時の指揮者の中に渡邊暁雄さんがいました。印象に残っているのは、日比谷公園で開かれた夏休みの野外コンサートの時に、演奏中ずっと頭上でセミが鳴いていたことと、コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」の解説を指揮者自らが行なって演奏を始めたことを記憶しています。

 第1楽章。冒頭のチェロによる旋律で、最初に分散和音で高い音に上り詰めてから、下に降りる時にポルタメントがかかっているのが惜しまれます(意図的に行なっているのではないと思いますが。)。ヴァイオリンで同じことを(結果的に)しているのはいくつか聴いたことはありますがチェロでは初めてです。ポルタメントそのものの是非ではなく、フレーズの作られ方を見ればここにポルタメントが入る意味は全くないと思われます。新しいフレーズが始まるところですから、管楽器であれば必ずブレスを入れるところにわざわざポルタメントで音をつなげる意味はないからです。テンポは終始速めでリテヌートも最小限に抑えられています。背後で聴こえるヴァイオリンによるトレモロは密度の差(音符の刻み方が細かい人と荒い人)があるようで、どこかいびつな感じを受けます。ヴァイオリンと管楽器に旋律が移ると音楽に力が漲り、緩みのない大きな推進力を感じさせ、さらに金管が加わって見事なクライマックスをかたち作ります。内声部の動きをときおり強調する時があって(とりわけセカンド・ヴァイオリンとヴィオラによる対旋律)、たいへん興味深いのですが、少々説明的な印象を受けることもあり、またこなれていないせいか全体に馴染まず突出したりで奇異に感じることもあります。第2主題で木管から弦に旋律が受け渡されてから直ぐにテンポがアップするあたり、聴いていて心地よく感じられます。展開部における木管セクションの完成度は極めて高く、チェロをはじめ弦楽器は速めのテンポでよく弾いてはいるのですが今ひとつ迫るものがないようです。ここまで細部においてやや不満があるものの全体としてはテンポの設定をはじめよくできた演奏と言えます。しかし、展開部の後半に入るとテンポを激しく変化させようとしているのですがあまりうまくいっていないようです。いったんテンポを緩めてから直ぐにテンポを上げようとするあたりは奏者間の感じ方の差が出ていて、コンサートマスターの大川内さんが必死に皆を引っ張ろうと努力している様が目に浮かびます。ただ仮にうまくいったとしてもこのようにテンポを揺らすのはこの曲に相応しいとは思えません。しかし、この後のコーダの直前での金管によるアッチェランドは見事に決まっています。コーダでは、録音のせいもあるかと思いますが、ティンパニの場違いなクレッシェンド、金管の生々しい音色、全体的に悪いバランス、混沌としたところとあまりいいところはありません。

 第2楽章。左右の分離が良すぎるようで、ヴァイオリンとチェロが溶け合わない感じで演奏されます。弦楽器のスリムな響きはいいのですが、やや軽い印象を受けます。第2主題はかなり速いテンポで進められます。細かい音符は引き飛ばされていて、ヴァイオリンの高音も硬く音色の魅力に欠けます。フレーズの終わりに唐突なリテヌートがかかっていますが、それがあまり揃っていないこともあって忙しく感じられます。ただ、一貫して速めのテンポで押しているのは、それはそれとして評価できると思われます。しかし、第1主題に戻って音楽が動き出すところでも速めのテンポが変わらないために音楽が一本調子になっているように感じられます。第1主題の再々現部に入ってやっとテンポが上がり出します。ヴァイオリンの6連符は最初からズレていて、テンポが上がってスラーを切って弾くようになると一層滲んだように聞こえます。また、テンポや音量が上がっても音楽そのものの盛り上がりが感じられません。緊張感の高まりの中で音楽が収斂していくといったことがないからでしょうか。音楽がおさまった後のフルートは張りのある引き締まった響きでいい感じなのですが、ヴァイオリンがデコボコした印象を受けます。

 第3楽章。最初は弦楽器が主体となって聞こえます。細部ははっきりしませんが、勢いのある演奏です。トランペットは抜けるような音でバランスもよく、この楽章の雰囲気を作っています。途中でテンポを急にゆっくり弾かせたりして、この楽章ではかなり動きをつけています。第4楽章。テヌートを効かしたアウフタクトで弾き始めます。最初は穏やかな弾き方ですが、徐々に音楽を盛り上げていきます。第2主題ではチェロ・バスの見事なピチカートに乗ってヴァイオリンは潤いのある音を聴かせてくれます。金管のバランスは今ひとつですが、ライヴにしてはパワーのある演奏になっています。ただ、この楽章は再びテンポの変化の少ない演奏になっているのが惜しまれます。展開部における金管のコラールは見事で、ヴァイオリンの第1主題の展開も立派に弾かれています。再現部からコーダに向けて速めのテンポでグイグイ進めるところは爽快感があり、最後まで引き締まったブラスの響きも見事です。最後の音が消えるやいなや、見事なブラボーの声にビックリさせられますが、その声がオーケストラの音より立派に聞こえるのはいかがなものでしょう。


◆ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団(1990年8月 DECCA 原典版)★★★★☆
 ドホナーニはこのクリーヴランド管弦楽団とブルックナーの交響曲を3番から9番まで録音しています。このオーケストラは安定したテクニックとバランスのとれた表現力で完成度の高い演奏を行なっていて、その上ドイツ・オーストリア音楽の演奏に数々の実績を残しているドホナーニの確固たるブルックナー像を見事に音に表わしています。この曲の演奏で特筆すべきことは、すべてのフレーズで音の出だしが非常に丁寧であることです。常に最初の音からそのフレーズの全体像が伝わる程技術的にも音楽的にも徹底的にコントロールされていて、仄かな緊張感を感じさせると同時にオーケストラ全員のこの曲への畏敬の念を感じさせます。約80種あるこの曲の録音の中でアメリカのオーケストラのものは8種しかないことからも伺えるように、アメリカでブルックナーが好まれているとは言えないでしょう。しかし、この演奏はそうしたことを吹き飛ばすくらいの快演と言えますし、それどころか現在あるすべての録音の中でもトップクラスの名演と断言できます。

 第1楽章。最初の主題を奏するチェロは抑制がきいていてかつ全員が一体となった精緻なまとまりを見せています。続くヴァイオリンの音色に艶はないけれどそれを補う一糸乱れぬリテヌートや繊細な息使いに耳を奪われます。ただ、最高音から下の音に降りる時にポルタメントがかかるのはいただけません。しかし、低弦によるトレモロは見事で途中のアクセントも効果的です。この後加わる金管群のクリアで明るい音色は違和感なく全体に溶けこみ、透明な響きを作っていてこれから始まる大曲の見通しをよくしています。第2主題での木管はなめらかなフレージングで奏され、ブルックナーの音楽への共感の深さを思わせます。とりわけフルートのスリムな響きが印象的で適度に音を抜いてみせるところなどはこの曲の開始からのすっきりした雰囲気に溶けこんでいると言えます。ホルンやヴィオラによる8分音符でリズムを刻むところもいい味を出しています。錯綜する弦楽器群の各音形をクリアに聴かせるだけでなく、時折あるパートに気持ちを込めさせたりするあたりもドホナーニのクールでありながらひとひねりした音楽作りに感心させられます。充実したピチカートの後にくる第2主題の終結部ではクレッシェンドとアッチェランドがかかって大きな頂点を作り上げます。第3主題では大きなテンポの変化はなく、金管は相変わらず分離の良いサウンドでその実力を誇示します。展開部に入ると、木管群が均質な音色でフレーズを自然に歌い上げます。フルートの混じりけのないクリアな音色に心が惹かれます。続いてチェロがゆったりとしたテンポで第2主題を発展させます。ここでは、冒頭と異なる深みのある渋い音色でしみじみと歌い上げ、金管のサポートを受けて充実した頂点を築きます。続く全奏によるフォルテッシモで急にテンポがアップします。ここでも金管の疲れを知らないパワーと完璧なバランスに圧倒されます。セカンド・ヴァイオリンに絡むファースト・ヴァイオリンは音の美しさを主張することはありませんが、丁寧な弾き方に好感がもてます。いくつかのフレーズでスラーを外して弓を返している様子ですが、そのタイミングのズレによって音の輪郭がぼやけることがあります。しかし、音楽に勢いを与えて攻撃的な表現をつくるのには成功しています。再現部の直前のフレーズでテンポを上げているのに興味が惹かれます。これによって再現部での遅いテンポを強調することになります。再現部でも相変わらず完璧なバランスで演奏されます。第2主題の再現でのヴァイオリンのオブリガードは最後まで力を失わず、金管のコラールと共に見事なクライマックスを演出します。コーダに入っても金管は緊張感を失わずにそのフォルムを崩しません。最後の小節に入る直前の音を長めに吹かせるところはとてもユニークです。

 第2楽章。厚みと温かみのある弦楽器が音符を丁寧に弾き込んでいきます。つま先まで神経の行き届いたダイナミクスの変化に加えて、動きのある歌い方で音楽の流れが滞ることはありません。また、バランスがよくとれていて各パートの主張が手に取るようにわかります。第2主題は速めのテンポで後ろを振り向かずに前を見据えた演奏を繰り広げ、力強さも表現していてメリハリの効いた音楽を作り上げています。時折、顔を出すトランペットの響きが明るすぎて違和感を覚えることもあります。また、全体的に感情をストレートに表現しないクールなスタイルであるために、曲想によってはもう少し熱くなったり、時間をかけてほしいところもあります。ヴァイオリンの6連符では、かなりの個所でスラーを切っていて、フレーズに応じた豊かな表情をつけています。クライマックスに向けてもクールなスタイルは堅持され、一部の隙のないクレッシェンドによって美しいピラミッド型の頂点を築きます。残念なのは、音楽がおさまってからのワーグナー・チューバとホルンが真面目過ぎるのか四角四面のコラールを吹いていることです。

 第3楽章。金管群による完璧ともいえるバランスとアンサンブル、底知れないパワー、爽快なリズム感、鋭い響きのトランペット、音の勢いといい、これ以上ないくらいの見事な演奏です。技術的に優れた演奏でありながら、決して冷たい印象を受けることはなく、活き活きとした音楽に仕上がっています。ひとつ難点を挙げれば、各パートがキチッと弾かれているのに強奏の時に響きすぎてモヤモヤすることです。特に低弦がはっきりしません。トリオでも各パートのバランスは完璧です。速めのテンポながら少しもセカセカした感じもありません。木管のメロディーの背後で叩かれるティンパニの絶妙さには言葉を失います。これも録音のせいですが、ffでのヴァイオリンの高音がヴァイオリンらしい音に聞こえません。

 第4楽章。ここでも爽快なリズム感が楽章を支配します。音は常に透明で濁ることがありません。金管の完璧さは相変わらずで、各パートの動きがクリアに聴き取れるのですが、あまりきちんと整いすぎていて、ブルックナーのある種の泥臭さやワイルドさを聴き取ることはできません。特にユニゾンで強奏する時の重みや威圧感が欠けることがあります。録音のせいもあるかもしれませんが、低弦のパワーが足らないようです。第2主題でも各パートのバランスは見事で、速めのテンポで進められます。フルートの活きのある音がとても印象的で、各パートがその役割を十分に果たしているのが聴いていて心地よさを覚えます。曲想に応じてテンポは激しく変化し、音楽に起伏を与えることに成功していると言えます。テンポが速くなってもアンサンブルの乱れは一切なく、特にヴァイオリンの一糸乱れぬ演奏には驚かされます。コーダは速めのテンポで貫かれ、付点音符をのばしたり、フレーズの終わりでリテヌートをかけるといった伝統的な演奏スタイルには背を向ける快演を繰り広げます。トランペットが全体を支配すると音楽が明るく軽くなるのが、この演奏の好悪を分けるかもしれません。


◆メスト/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1991年8月27日 EMI ノヴァーク版)★★★☆☆
 ウィーン出身の若手指揮者メストはいきなりこのメジャー・オーケストラの音楽監督に1992年に就任して話題になりましたが、現在は辞してチューリヒの歌劇場で活躍しています。この演奏はそのポストに就く前の年のイギリスの夏の音楽祭、プロムスにおけるライヴ録音です。

 第1楽章。冒頭のチェロの柔らかい音で美しく歌われます。続くヴァイオリンもその美しさを引継ぎますが、引き締まったテンポで背筋がピンと伸びた音楽となっています。メストの元気溢れる若さにオーケストラが敏感に反応しているようです。第2主題も速めのテンポで進み、弦楽器の細かい動きもきちんと浮き上がらせています。クライマックスへ向けてのクレシェンド、アッチェランドに対するオーケストラの反応も見事でまるで性能のいい車を軽いアクセルとハンドルさばきで運転しているようです。第3主題も快速のテンポと心地よいリズム感で演奏されます。展開部では木管群の清楚な音楽に続いてチェロが暖かい音色で歌います。ライヴのせいか細部がよく聴き取れないのが残念です。ファースト・ヴァイオリンが奏する第1主題の展開はきちんと弾かれていますが、緊張感に欠けるきらいがあります。再現部でもそつなくまとめていますが、ヴァイオリンの動きを聴かせるためか金管を抑え過ぎていて全体におとなしい演奏になっています。ライヴながらレヴェルの高い演奏でといえますが、もう少し踏み込んだ音楽が聴きたい気もします。

 第2楽章。ソフトな弾き方で淡々と進められます。ヴァイオリンのG線の音はやや上滑りしているように聞こえます。意図的にそうしているようで、その後も弱音をベースとした繊細な音楽を作り上げていきます。テンポに緩みがないのには好感が持てます。第2主題でもテンポを遅くせず、ヴァイオリンの瑞々しい音色を活かした清楚な演奏を繰り広げます。雑になる一歩手前の危うさが音楽に軽さと動きを与えていて見事です。各パート間のバランスもよく取れていて自然に音楽が流れていきます。第1主題に戻ると、ここは冒頭を違ってやや踏み込んだ弾き方になっていて、フレーズの終わりを美しく歌い込みます。次第に音楽が盛り上がっていき、いくつか山を越えますが、絶えず丁寧で端正な演奏に徹しています。第1主題の再々現部では速いテンポながら、ヴァイオリンの6連符は最初からスラーを取り外しています。さすがにこのテンポではやや忙しく聴こえます。旋律部は室内楽的な緻密さのある演奏になっています。ここでは明るい盛り上げ方に特徴があり、あっさりと頂点を築いています。ただ、音楽がおさまってから楽章の終わりまでは、何がいいたいのかよくわからない演奏です。

 第3楽章。快速なテンポによる爽快で力みのない演奏です。少々あっさりしていて物足らない印象を受けます。しかし問題なのは、決め所において奏者達に集中がないことです。トリオもスルスル進んで、面白みに欠けます。ヴァイオリンは控えめですが、チェロはいい感じで対旋律を奏し、木管と金管はバランスのよい洗練さを持っています。メストは意図的に感情を込めないようにサラッとした音楽を目指しているようですが、クライマックスではもう少し踏み込んだ何かがあればいいと思われてなりません。第4楽章。第1主題のアウフタクトをテヌート気味に弾ことろがユニークで、テンポは速く、ヴァイオリンの活き活きしたトレモロのおかげで軽快な音楽になっています。第2主題は室内楽的な細やかさと流れるような演奏に特徴があります。フルートはヴィブラートが大きいのが気になりますが、フレーズの終わりで音量を減衰させるところがいい雰囲気を作っています。第3主題の金管は最初は立派なのですが、最後の音を短く跳ねるために滑稽に聞こえます。音楽がおさまってからは、再び室内楽的な細部に拘った演奏で、とりわけ木管が互いに聴き合いながら調整しているところはライヴならではの面白いところです。終曲に向けて音楽を盛り上げていきますが、やや上品すぎるところがあり、スケール感もあまりないようです。ただ、テンポは軽快でスコアの様々な指示を忠実に再現した緻密な演奏になっています。曲が終わった後の盛大なブラボーを聴くと、ステージでは熱気のある演奏だったのかもしれません。


◆シノポリ/ドレスデン・シュターツカペレ(1991年9月 GRAMMOPHON ノヴァーク版)★★★☆☆
 シノポリはイタリア人指揮者ですからプッチーニやヴェルディなどは当然のレパートリーと考えられますが、何時の間にかバイロイトでワーグナーの楽劇を指揮するようになりそれも高い評価を得ています。現在ドレスデン・シュターツカペレで音楽監督をしていて最近はワーグナーに限らずR・シュトラウスのオペラにまでレパートリーを広げています(管弦楽作品はすでに録音済み)。いよいよブルックナーの交響曲に取り組む時がきたというわけです。すでに3、4番を録音し、この7番のあとに8、9番を出しています。イタリア人としては、シャイー、ジュリーニ、アバドと並ぶブルックナー指揮者ということになります。

 第1楽章。冒頭の主題を奏でるチェロの音色はビロードのように滑らかで奥行きがあり、この曲の世界にいきなり引き込まれてしまう気がします。続くヴァイオリンは音符を舐めるようなレガートでたっぷり時間をかけて歌い、明るい金管の響きを導きます。ヴァイオリンは比較的平坦な弾かれ方をしていて、その音色の変化を楽しむことはできませんが、起伏をつけてきっちりと頂点を築くといった明確な音楽作りをしています。第2主題では、旋律を受け持つ木管楽器が移り変わることによるカラフルな音色の変化が印象的で、このオケがこんなに明るい音楽をつくるのかと感心させられます。指揮者がイタリア人だからでしょうか。かつて、ヴィヴァルディがこのオーケストラのために数多くの協奏曲(いわゆるドレスデン協奏曲)を書いたことを思い出させます。また、弦楽合奏の個所ではセカンド・ヴァイオリンの動きがかなり強調されています。どうやら、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンを左右両翼に分けて配置しているようです。スピーカーの右と左から対立する音型が聴こえてくればリスナーとしてはわかりやすいし、いわゆるステレオ効果を楽しむことができると思います。近年ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンを左右に分けるという配置が、ファースト・ヴァイオリンの奥にセカンド・ヴァイオリンという従来の配置より優れているということを歴史的音響的根拠から主張する方が増えているようですが、演奏する側から言わせてもらえば、どんな場合でもファースト・ヴァイオリンの隣にセカンド・ヴァイオリンがいてくれたほうがいいのに決まっています。古典、ロマン派の音楽でのセカンド・ヴァイオリンの役目の多くはファースト・ヴァイオリンのメロディーをオクターヴ下で支えることとリズムを刻むことです。そのセカンドが真向かいの遠いところに行ってしまうとどんなに弾きずらく心細いことか。チェロやヴィオラもリズムを刻むことは多いのですが、オクターヴ下を弾くことは稀で対旋律や独自の旋律を受け持つことの方が多いのです。しかし、すべて法則どおりに音楽が作られているわけではないのでこの配置でないといけないということは言えないでしょう。作曲家がどれだけオーケストラの配置を考えて曲を書いたでしょうか。多くの場合ピアノに向かって作曲していたわけですから音は常に塊として作曲家の耳と頭で認識され、それを五線紙にブレイク・ダウンしたと考えられます。オーケストラの配置を意識するようになるのは職業指揮者も兼ねたマーラーの出現を待たないといけないでしょう。しかし、だからといってその曲の全局面において各パートの役割を画一的に決めることは不可能で、ある時は伴奏にまわり、ある時は主張し、ある時は対立するといった複雑さを持っています。とりわけマーラーの時代ともなればその傾向は大です。セカンド・ヴァイオリンをどこに配置しようが、それは演奏家の判断に任されていいと思いますが、どれが正しく優れているという議論ほど意味のないものはありません。―――話しがそれましたので戻しましょう。ここまでの音楽は比較的ゆったりとしたテンポで演奏されます。第3主題ではそれ程テンポが速くなるということはないのですが部分的にせかすようなところがあります。展開部に入ると、木管楽器群があたかも木管アンサンブルの室内楽曲であるかのような輪郭のはっきりした演奏を繰り広げます。続くチェロは冒頭での音色を思い出させると同時に、暖かい金管のコラールに乗って雄弁な歌を披露してくれます。その後の金管による咆哮は突然のテンポ・アップで開始されます。これには驚かされますが音楽的な違和感はありません。しかし、その後テンポがフレーズに即してではありますが再び緩んでしまうのは惜しい気がします。そのまま一気に突っ走っていくのが、ヴェルディやプッチーニを振るときのシノポリの真骨頂だったのですが…。この後迎えるクライマックスで今まではっきりしていた輪郭がぼやけるのは録音のせいでしょうか、少々残念です。コーダではそれぞれのパートが絶妙なバランスで聴こえてくるのですが、どこかクールなところがあって物足りなさを感じさせます。ひとつはっきり言えることは、セカンド・ヴァイオリン奏者必聴の演奏であることはまちがいありません。

 第2楽章。角のないなめらなか音で綴られています。力感はありながら肩の力が抜けた弦楽器の音が印象的です。中・低弦の音量が優っていて、ややヴァイオリンの音が細く聞こえます。旋律ラインは聴き取れますが、ヴァイオリン特有の音色を聴き分けることはできません。f のところではベタッとしていて、絵の具をたっぷりつけてキャンバスを塗ったような感じです。第2主題では動きがでてきて、ヴァイオリンは丁寧に美しい旋律を歌いこみます。しかし、響きが多いせいかオブラートに包まれているようで真のヴァイオリンの音がしません。第1主題の再現でもソフトでなめらかな弾き方は変わらず、深刻さは見られません。細部まで神経を使った几帳面さはシノポリらしいところですが、f になると現実感のないヴァイオリンの音がすべるように聞こえるのが気になります。金管のコラールは逆に温かみのある柔らかな音になっていていい感じに聴けます。しかし、このあたりのテンポは緩みがちで音楽運びが散漫になっています。第2主題の再現部ではなんとかテンポを持ち直し、再び美しく歌い上げます。弦楽器の各パートが見え隠れしつつ、各自の役割を十分に果たすあたりは見事です。ゲネラル・パウゼの前後でもテンポは落ちませんが、弦楽器が音色を楽しむように静かに前に進んでいきます。第1主題の再々現部に入ると、旋律部はうねるように激しい感情を込め、時にはむせぶように歌い上げます。ようやくシノポリの本領発揮といったところでしょうか。6連符を弾き続けるヴァイオリンはその揺れ動く主旋律にピッタリとつけつつ、地を這うように丹念に弾き込んでいきます。この間、テンポの変化はあまりなく、そのまま壮大なクライマックスへとのぼりつめていきます。音楽がおさまった後のワーグナー・チューバとホルンによるコラールは、驚くばかりの突然の咆哮となって大きな頂点を築き上げます。その後の終結部では粘りのある弾き方と澄みきったフルートとヴァイオリンの音色がとても印象的です。

 第3楽章。明るい音色のトランペットをはじめ金管はのびのびと吹いていますが、響きが多いせいか弦楽器は細部がはっきりしません。クレッシェンドの直前で一瞬音量をおとす(CD録音はありませんが、演奏会でムーティがよくやります。そういえばシノポリもムーティもイタリア人で、しかもオペラ出身です。)という芸当をやってくれます。活きの良い音楽作りをしているのですが、フレーズの最後の音でやや緊張感を失ったり、突然音量が上がったりと、決めどころのない雑然とした印象が拭えません。トリオではダイナミクスの幅が大きいのですが、テンポが速くて忙しいためにスケール感が出てきません。何かをしようと苦労しているようですが、どれもうまくいっていないという感じです。第4楽章。テンポが速く、起伏の大きい主題呈示において、ファースト・ヴァイオリンの歯切れのよい複付点の響きとそれをささえるセカンド・ヴァイオリンのトレモロの柔らかい音に耳を奪われます。低弦の開始音が小さくて緊迫感に欠けますが、ヴァイオリンによるカーテンのようなトレモロに乗っても木管が溌剌とした掛け合いを聴かせてくれます。第2主題でもテンポを落さないせいか、歌いまわしにおいて木管が今ひとつ実力を発揮できないようです。なお、ここでフルートがこれまでなかったのですが、ヴィブラートを多用しているのが気になります。この場にはあまり相応しくないように思えます。この楽章でのシノポリはテンポの変化も少なく、熱くならず、緊張感を煽ることもしません。展開部での弦楽器の跳躍する旋律では響きが非常に多く、他で聴けない変わった演奏になっています。金管のコラールもブルックナー的とは思えない感じでスイスイと進みます。時々シノポリらしい激しさが顔を出します。しかし、再現部では落ち着いた演奏を繰り広げ、金管は威圧的になりません。少しは乱暴さがあってもいいのですが、シノポリは借りてきた猫のように大人しいまま、コーダを迎えます。オーケストラの作り出す音は豊かな響きと潤いに満ちていますが、やけに明るいトランペットには違和感を覚えます。すべての楽器が丁寧に弾くことに専念しているようですが、結局最後はモヤモヤしたまま終わるという中途半端なかたちになっています。あまりシノポリらしさのない、かといってブルックナーになりきれない演奏といえます。


◆マズア/ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(1991年9月 TELDEC 原典版)★★★☆☆
 マズアが現在のニューヨークフィルの音楽監督に就任した最初のシーズンのオープニング・コンサートにおけるライヴ録音です。マズアにとっては2回目の録音ということになります。

 第1楽章。ゆったりしたテンポで開始され、チェロは柔らかな音で極めて傾斜の緩やかな起伏をつけて歌います。ホルンはその最高音を高らかに吹き鳴らします。ヴァイオリンが旋律を受け継ぐとその分散和音を一音一音踏みしめるように弾いていますが、これはマズアがゲヴァントハウス管弦楽団と録音した1回目の録音と同じやり方です。低弦による分厚いトレモロに支えられていて、テンポはひたすら遅いままであることから少し重苦しい感じもします。金管の響きも雑然としています。第2主題の直前で少しテンポを上げますがどうもこなれていない感じで違和感があります。ゲヴァントハウスの時と同じことをしていますが、ここはキャリアのあるオケに軍配が上がります。木管の後に弦楽器が旋律を奏するところでもテンポが唐突に変化し始め、セカセカした印象を受けます。弦楽器が複雑に入り組むところなどもスイスイ前に進んでしまうため、せっかくいいところが台無しです。弦の音色も力が入っている割には平板に聞こえます。たぶん演奏会場の問題かと思われます。このエイヴリー・フィッシャー・ホールは音響の悪いことで有名でしたが、マズアは確かこの後改良を加えたはずです。第3主題に入る前のクレッシェンドにはアッチェランドが激しくかかっていますが、途中で急激なリタルダントを実施しています。第3主題は速めのテンポで演奏されますが、やはりテンポの変化のさせ方がどうもしっくりいきません。展開部に入ると木管群がソリスティックで明るい音色で歌います。ようやくニューヨークフィルの本領発揮といったところです。チェロの演奏には力強さはあるものの細かい音符が明確に聴き取れないことがあります。続くヴァイオリンと掛け合うフルートは深みのある音で吹かれていてとても印象的です。展開部後半ではテンポは突如遅くなります。この辺のテンポ設定はゲヴァントハウスの時と同じですが、音の厚みがありすぎるせいか音楽の流れが阻害されている傾向にあります。ヴァイオリンも丁寧に弾いているのですが音の勢いは感じられません。第2主題を展開するところで急にテンポを上げるのも1回目と同じです。マズアは17年前とほとんど同じ音楽作りをしていることになります。しかしオーケストラの違いやホールの違いで思うようにいかないようです。テンポについては色々と指示を出しているようですが、ダイナミクスについての配慮は今ひとつです。この個所でもニューヨークフィルのパワーのせいか焦点がぼやけた感じがします。しかし、コーダの前に弾かれるチェロの旋律は堂々としていて耳を奪われます。コーダはたっぷり時間をかけたスケールの大きなものになっていますが、金管がやや機械的に聞こえます。

 第2楽章は豊満な響きで、どちらかといえば楽天的に聞こえます。チェロバスの深い音に支えられたヴァイオリンは丸みのある柔らかい音で弾かれていますが、多少縦の線がズレたりしてぼやけることもあります。就任したばかりですし、たぶん棒を持たずに指揮しているであろうマズアに慣れていないのかもしれません。また、ヴァイオリンの弾くフレーズに対してあれこれやろうとしているのですが、あまりうまくいっていないようで、フレーズの最後の音がどこか投げやりに聞こえることもあります。第2主題では速めのテンポを取っていて、鳴りがいいだけに一層響きが多くなり、細部が不明瞭になっています。ただ、小気味の良いテンポであることが音楽の停滞から救っています。第1主題に戻るところの前後における繊細で丁寧な弾き方には好感が持てます。しかし、テンポが上がって音楽が盛りあがっていくと縦の線が不明瞭になるのがどうも気になります。また、長い音は長く、短い音は詰まったようにといびつなフレージングもぎこちなさを覚えます。第2主題の再現はとても速いテンポで弾かれ、続くゲネラル・パウゼの後でも同様なテンポでセカセカしているように感じられます。第1主題の再々現部でのヴァイオリンの6連符も旋律部との息が合わない個所が多々ありますが、速めのテンポで音楽をグイグイと前に進めることでライヴらしい臨場感を出しているように見えます。しかし、マズアはクライマックスの頂点の少し前で急にテンポを落とすのですが、これはいかがなものでしょう、やや違和感を覚えます。シンバル他打楽器がない演奏であるだけにテンポを落とすのが頂点を意識させることにプラスの効果にはなっていないように思えます。その後のワーグナー・チューバとホルンのコラールは輪郭のはっきりした力演になっていて、しめくくりのホルンはビックリする程の唐突な咆哮と急激な減衰というユニークな演奏になっています。最後のヴァイオリンとフルートはもったいぶらず、しかしはっきりした音楽で、がっしりしたエンディンングを作り上げています。

 第3楽章は、厚みのある弦楽器、安定したトランペットをはじめとする金管群、バランスのよい木管と、明るい音色の心地よいサウンドで広い音場を活かした演奏になっています。小細工を弄さない、自然な音楽の進め方が、この演奏の全曲中最も安心して聴ける楽章にしているようです。トリオは細かいところまで気配りのきいた演奏で、ややあっさりしていますが、テンポ感もよく見事に仕上がっています。第4楽章の開始は、ゆっくり一音一音はっきりと弾かれます。テンポ感は各パートによって差があるようです。第2主題は速めのテンポで引き締まった音楽になっています。ここでは、なぜかフルートが遠くに聞こえます。展開部でのヴァイオリンはよく弾かれてはいるものの、どこか音を取るだけで全体の大きな流れとは別世界にいるように感じられます。ライヴ録音でありながら、最後まで衰えない金管のパワーには感心させられます。マズアやニューヨークフィルのファンにとっては記念碑的な演奏ですが、繰返し聴くCDではないようです。

                                 2000年6月現在

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