バーバー:ヴァイオリン協奏曲

    

◆スターン(Vn) バーンスタイン/ニューヨークpo 1964.4.27 ★★★★☆
 ソリストがオーケストラに囲まれてその真ん中に立って演奏しているみたいに聴こえる不思議な録音。ステージで伴奏しているオーケストラのメンバーにはこう聴こえるかもしれません。それゆえか、ソロとオーケストラが合わせる箇所はなんとも心地よいアンサンブルを作り上げています。スターンは硬質な響きと壮年期の切れのいい発音で弾き進め、バーンスタインは情に流されない引き締まった音楽を作り上げます。どの音に対してもその存在理由を噛みしめながら、単なる伴奏音楽ではない純粋な交響曲に対峙するときのような緊張感を漂わせつつバーバーに肉薄していきます。バーンスタインは作曲家の立場でバーバーのもくろみを逐一再現し、ニューヨークフィルはそれに完璧に反応します。この両者による真剣勝負に、スターンが自らの技巧と美音をいくぶん控えてオーケストラの1パートとして参加しているかのような印象を受けます。

 初演後わずか20数年で、近年の叙情的でともすればムード音楽調に流れる傾向とは一線を画するスタイルを打ち立てたバーンスタインの慧眼に今更ながら感心させられる演奏です。


◆リッチ(Vn) クラーク/パシフィックso 1983.10.16 ★★☆☆☆
 サンフランシスコで1918年に生まれたルジェーロ・リッチは天才少年として10歳でデビュー、アメリカとヨーロッパを舞台に多くの人々を驚嘆させました。パガニーニのスペシャリスト、技巧派とされますが、60曲以上の協奏曲などその幅広いレパートリーは余人をよせつけません。メジャー・レコード会社と付き合わないために音楽界の表舞台には登場しません。

 ここでのリッチのヴァイオリンは、録音が今ひとつ冴えないせいかガルネリにしては細い音に聴こえます。終始テンポは遅めで一音一音噛みしめるように弾かれ、バーバーの抒情的な面を強調した演奏になっています。ヴァイオリンが前面にでしゃばることはなく、協奏曲というよりオブリガード付きの幻想曲みたいです。リッチも歳には勝てないのかやや甘い音程が気になります。オケも伴奏に回ったときに生彩を欠きます。第2楽章でも止まりそうになるくらいの遅いテンポで演奏され、冒頭のオーボエのソロは時に棒立ちになるくらいです。続く弦楽器による主題のリピートではバーバーの『弦楽のためのアダージョ』を髣髴させます。ここでもソロは悠々と構えて常にオケと一体となった演奏を聴かせます。協奏曲らしくないこの曲の一面をよく捉えていて、リッチと同世代のヴァイオリニスト達がこの曲をレパートリーに入れなかった理由がわかるような気がします。第3楽章では遅いテンポでありながら、オケもソロも必死で弾いているといった印象を受けます。曲の仕組みがよくわかる演奏ですが、面白みとか醍醐味とかは残念ながら伝わりません。

 1曲目にはイタリアの作曲家メノッティの協奏曲(1952年作曲)というめずらしい曲が収められています。現代の作品ながら伝統的な手法で書かれた叙情的な作品です。メノッティはバーバーと同じカーチス音楽院で学んだ先輩であり、バーバーのためにオペラの台本や歌曲の詞を書いてあげたりする仲でした。この協奏曲も同じ音楽院の院長であり大ヴァイオリニストだったジンバリストによって委嘱された作品です。知られざる音楽史上の共通項を持つ作品を並べるという通好みのCDです。


◆シルヴァースタイン(Vn) ケッチャム/ユタso 1985.5.9 ★★☆☆☆
 1932年生まれのジョゼフ・シルヴァースタインはカーチス音楽院でエフレム・ジンバリストに師事した後、 1955年にボストン交響楽団に入団。1961年から1983年までコンサートマスターを勤めました。1971年からは同時に副指揮者としてかの小澤征爾をアシスタントしています。その後はヴァイオリンを弾くと共にユタ交響楽団の音楽監督として活躍しています。

 ここでのバーバーの演奏はすっきりした音色で、コンマスらしい細部まできちんと音にする几帳面なスタイルで、芝居がかった派手なことをせずにゆったりと田舎びた世界を作り上げます。これはバーバーの作風からすると本質をついたものかもしれません。このオーケストラの副指揮者のケッチャムはソロの紡ぎ出す音をかき消さないよう巧みなサポートをつけます。第2楽章でもソロは熱くならず、音を拡散させることもなく清楚な音楽を聴かせますが、オーケストラにはもう少し音色への配慮を望みたいところです。第3楽章では終始遅めで弾かれ、オーケストラの各パートがよく聴き取れるのはいいのですが、他のシンフォニックな演奏に比べるとやや物足りなく感じられます。

    

◆オリヴェイラ(Vn) スラトキン/セントルイスso 1986.4 ★★★☆☆
 ポルトガルからの移民の子としてアメリカに育ったエルマー・オリヴェイラは、アメリカ人のヴァイオリニストとしては最初のチャイコフスキー・コンクールの覇者とされています。あまり日本では知られていませんが、アメリカ、スペイン、ポルトガルではかなり活躍しているようです。レパートリーは極めて広く、とりわけ現代曲の演奏に優れていて10曲にものぼる作品の初演を手がけています。

 オリヴェイラはクセのないすっきりしたところに特徴がありますが、録音のせいか音に艶がなく、とりわけE線の音に伸びがないためやや耳障りに聴こえます。スラトキンが率いるセントルイス交響楽団はカッチリ明確な伴奏をつけていて、管弦楽作品としても通用するくらい見事に演じています。第2楽章冒頭のオーボエも見事で、ソフトな弦楽器をバックにくっきりと浮かび上がることでバーバーの独特な世界を表現しています。オリヴェイラのヴァイオリンはもう少し陰影があるといのですが、その引き締まった音からは端正で真摯な姿勢が伝わってきます。後半で盛り上がるところでも冷静に音を紡いでいきます。スラトキンも一線を越えない伴奏を続けます。第3楽章では、単調になりがちなソロ・ヴァイオリンのパッセージにおいてアクセントをうまく効かせた小気味の良い演奏を展開します。管弦楽は、木管による合いの手をはじめとして極めてバランスのよい伴奏をつけていて、とりわけピアノが効果的に鳴っているのが印象的です。派手さはなくコンパクトにまとまっていながら、静かにエキサトする演奏といえます。

 なお、このCDは最近EMIから2枚組として再発売され、1枚分の価格(筆者は980円で購入)で「弦楽のためのアダージョ」をはじめバーバーの主要作品を網羅したお徳用盤となっています。


◆マイヤーズ(Vn) シーマン/ロイヤルpo 1988.9.1 ★★★★★
 アン・アキコ・マイヤーズは日本人を母親にして生まれたアメリカ国籍のヴァイオリニスト。ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに習っています。このCDは彼女の2回目の来日に合わせて発売された、彼女のデビュー録音です。なお、その後の来日時にNHK交響楽団とこの曲を演奏しています。発売当時、バーバーのこの曲はカタログになかったくらい演奏される機会は少なかったのですが、マイヤーズは十分に弾き込んでいるらしく極めて安定感のあるしかも完成度の高い演奏を聴かせています。

 若々しく勢いのある音でためらうことなくバーバーの音楽を歌い上げているのを聴くと清々しさを覚えます。オケは分離のよい録音に助けられて各パートが活き活きと活躍し、バーバー特有の広々とした音場を見事に表現しています。気合も入っていてソロをサポートするだけでなく、自己主張も忘れていません。第2楽章は、冒頭のオーボエのソロをはじめ木管の各パートがくっきりと情景を描き、それを弦楽器は厳かに伴奏をつけることで開始されます。ソロが出る前にこれほど完璧なバーバーの世界を作り上げる演奏は他にはありません。ヴァイオリンは終始ドラマティックに弾かれていますが、若干力みで音が鳴り切らないときがあります。第3楽章。マイヤーズは一音一音粒を立てたスタカートで完璧に音を鳴らしつつこの楽章のもつただならぬ雰囲気を見事に表現します。オケはソロを引き立てるだけでなく自らも熱く燃えた演奏を繰り広げます。指揮者の気合のこもった唸り声でこの曲を閉じるあたり、演奏者全員のこの曲への意気込みが強く感じられます。名演です。

 ブルッフの1番の協奏曲が2曲目に配置されています。若い女性のプレイヤーがデビュー録音にバーバーを選んだことに恐れをなした日本のレコード会社がブルッフという通常名曲を組合させたのか経緯はさだかではありませんが、商業的にはまずまずのCDと思います。


◆オールディング(Vn) 岩城宏之指揮メルボルンso 1990.5 ★★★☆☆
 必ずしも世界的に活躍しているヴァイオリニストではありませんが、掘り出し物ともいうべきCDです。オーストラリア出身のオールディングはジュリアード音楽院を卒業後、フロリダ・フィルのコンマスを経てシドニー交響楽団のコンマスを勤めています。何故このCDのオケがメルボルンなのかよくわかりませんが、我が岩城宏之の演奏をこの曲で聴くとは意外でした。

 オールディングの音は、中高音域では極めて均整がとれているのですが、G線の音が妙にくぐもっていて「未調整のオールドの楽器」といった印象を受けます。この辺は好き嫌いが分かれるかもしれません。しかし、演奏は素人っぽいくらい真面目で端正、それでもバーバーらしさが漂ってくる不思議な魅力に満ちています。岩城のサポートは小沢と対照的で終始積極的。メリハリのある木管群、のびのびとした弦楽器、どの楽器もくっきり明解でソロと対等にわたりあっています。第2楽章のオーボエのソロは見事、気取らず思いのたけをぶつけて吹いているのが印象的です。迫真的ともいえるヴァイオリンソロの後方で鳴る様々な楽器も効果満点。第3楽章は書かれた通りに、バタバタ、ゴチャゴチャと演奏されていて、却ってスリルに満ちていて面白く聴けます。我々アマオケにとっていい手本になるかもしれません。

 マルタンの協奏曲、ミヨーの第2番の協奏曲、バーバーの順に収録しています。オーストラリア放送局によって作成されたCDですが、メジャーレーベルではありえない選曲と言えます。

    

◆ソネンバーグ(Vn) M.ショスタコヴィッチ指揮ロンドンso 1991.3 ★★★★☆
 ローマで生まれた後アメリカに移住したナージャ・サレルノ=ソネンバーグは、8歳の時カーチス音楽院で学び、次いでジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに師事。しかし、枠にはめられることを嫌う彼女はディレイのもとを飛び出します。この辺のことは彼女自身の著書(『ナージャわが道をゆく』晶文社)にまとめられています。その後幾多の苦労を重ねてパールマン他に師事し、1981年ナウムバーグ国際ヴァイオリンコンクールで優勝します。からだ全体を使う情熱的な演奏は彼女のトレードマークです。

 遅めのテンポと変幻自在の音色ですすり泣くように演奏されるこのCDはバーバーの叙情的な面を見事に捉えています。彼女自身の感情の様々な動きをヴァイオリンの音色に投影させつつ丹念に歌い込むところと、猛烈な勢いで爆発するところとがあってとても楽しめる1枚です。オケはやや不鮮明なところのある録音ながらソロのフレーズ毎に変わる気分によくつけています。第2楽章では最初は大人しい弾き方ですが、次第に熱を帯びてきます。思いっきりG線を鳴らすのは後半のクライマックスまでとっておくなど、周到な計算もしているようです。第3楽章でのナージャは腰がしっかり据わっていると同時に、めまぐるしく変わる風景に敏感に反応する鋭い動きと軽さも併せ持った弾き方です。ヴァイオリンによる表現力の限りを尽くして、まるで魔術師のようにあらゆる姿に次から次へと変身させつつクライマックスへと駆け上ります。ここでのオケはスケールの大きいダイナミックな演奏をしています。

 2曲目にはショスタコヴィッチの第2番の協奏曲。指揮が息子ドミトリということもあり、興味深い選曲になっていますが、一般ウケはしない渋い組み合わせとも言えます。


◆フー・クン(Vn) ボートン/イングリッシュ弦楽o 1992 ★★★☆☆
 文化大革命のさなか3歳でヴァイオリンを始め、渡欧後メニューインに師事。現在メニューイン音楽院で教鞭を取りつつ演奏活動を行なっています。確かユニセフのコンサートでメニューインと共にバッハの3つヴァイオリンのための協奏曲で3番ソロを演奏していたのを見たことがあります。

 室内オーケストラということもあって、時折オーケストラの弦楽器の音の薄さがバーバーの意図と噛み合わないような箇所があります。しかし、クンの演奏は派手さはありませんが、安定した技術に支えられつつ、クセのない素直なスタイルで丁寧に弾いている姿には好感が持てます。また、全音域に渡って均質な音で演奏するバランスの良さもあります。同じ東洋人でも大陸の乾いた風土の中国人とウエットな日本人の違いを、こうしたアメリカの作品を通じて感じさせるのは非常に興味深いところです(五嶋みどり、キョン・ファ・チョンにぜひとも録音してほしいものです)。第2楽章のオーケストラはいかにもイギリスの団体らしく端正に淡々と音楽を進めます。クンのヴァイオリンも紳士然としていてそこには慟哭のかけらも激情のみじんもありません。この辺は物足りなさを覚える向きもあるかもしれません。第3楽章も遅めのテンポで慎重に弾き進めますが、他の奏者のようにテンポを大きく変化させないために、この楽章の良さが出てこない印象を受けます。

 同じアメリカの作品、バーンスタインの『セレナーデ』が後半にカップリングされています。


◆シャハム(Vn) プレヴィン/ロンドンso 1993.6 ★★★★☆
 両親とも科学者(アメリカ人とユダヤ人)という家庭に生まれたギル・シャハムは、アメリカはイリノイ出身。ジュリアード音楽院で学んでいましたが、その在学中の試験の時、病気でダウンしたパールマンの代役として急遽ロンドンに呼び出されてそのまま演奏活動に入ったという逸話の持ち主。新世紀はゲンゲーロフと共にヴァイオリン界をしょって立つことでしょう。パールマンほどではないけれどもいつもニコニコしながら超難曲を弾く楽天的なシャハムにとってこの曲はピッタリ合っています。

 この手の曲を振らせたら右に出る者がないプレヴィンの伴奏を得たシャハムはその澄みきった音色と爽やかな歌いまわしで起伏と陰影のある大人の音楽を展開します。プレヴィンの深刻ぶらない指揮は、メルヘン的で豊かなイメージに溢れています。第2楽章はまるで映画のワンシーンが目の前に広がるようで、その冒頭の部分だけを聴いてもこの曲の素晴らしさを思い知らせてくれます。シャハムはG線をたっぷり歌わせますが、決して押し付けがましく弾かないところが彼らしいところです。さらに、切れ味を失わずにオケにピッタリと寄り添って弾いているのも印象的です。第3楽章では肩の力を抜いてオケとの掛け合いを楽しみながら弾いています。各パートの細かい動きが手にとるように聴き取れるのも魅力的で室内楽ともコンチェルタンテとも思える見事な楽章に仕立てています。

 コルンゴルトの協奏曲(1946年)と指揮者プレヴィンのピアノ伴奏で同じくコルンゴルトの『空騒ぎ』を収録しています。同時代にアメリカで書かれた協奏曲を組み合わせるという、ありそうで意外にもこれしかない組み合わせとなっています。

    

◆竹澤恭子(Vn) スラトキン/セントルイスso 1994.4.24 ★★★★☆
 スズキメソッドの主催で7歳で世界ツアーに出かけた後、11歳でコンサート・デビュー。その後、アスペンとニューヨークでドロシー・ディレイに師事(ソネンバーグと同門ですね)、BMGと専属契約を結んで次々と録音を行なっています。竹澤恭子とスラトキンは来日時もこの曲をNHK交響楽団と演奏しています。日本人特有の抒情性を武器にしつつ、しかしいたずらにテンポを遅くしたり、ルバートをかけるといった常套手段に訴えないスタイルは、さすが世界を舞台にして活躍する竹澤ならではといえます。

 弾き始めこそためらいがちではありますが、力強さと情熱を十分に発揮してこの曲を自分の音楽として歌い綴ります。バーバーの録音が多いスラトキン(この曲の録音は2回目)はさすが自信たっぷりの堂々とした指揮ぶりで彼女を支え、見事な頂点を築いています。第2楽章では変化に富む音色を駆使しながらも女性とは思えない激しさと高いテンションを維持します。スラトキンの指揮は相変わらず確固とした音楽運びで、シンフォニックでかつ色彩豊かなサポートをしていて、極めてスケールの大きな世界を作り上げています。終楽章でもヴァイオリンの力強さは衰えず、パワー全開で鳴らしまくるオケと一体となった渾身の演奏を繰り広げます。

 同じくバーバーのチェロ協奏曲(イッサリース)、カプリコーン協奏曲(フルート・オーボエ・トランペット独奏)とカップリングされています。バーバー・ファン(いるかな?)向けのCDといいましょうか。


◆パールマン(Vn) 小沢征爾指揮ボストンso 1994.10 ★★★☆☆
 パールマンのメンタリティに最も合った曲、というと他の協奏曲はまるで合っていないような誤解を与えますが、数多くのヴァイオリン協奏曲がもつある種のメランコリーなる部分を本能的に嗅ぎつけてストレートに聴き手に伝えることにかけては第一人者であるパールマンにとって、そのメランコリーの集大成ともいうべきこのバーバーの協奏曲は安心して演奏できる曲といえます。バッハやベートーヴェンの権威、ブラームスの謹厳さ、チャイコフスキーやシベリウスの民族性等などいった月並みな枠組とパールマンのヴァイオリン弾きとしての本能は根底では相容れないところがあるからです。

 このCDでパールマンは余裕ある構えから、フレーズ毎に変える音色や多用されるポルタメントをもって濃厚な歌い口で語りかけます。綿々と歌うところと激しく爆発するところの落差は極めて大きく、スケール感のある演奏を築き上げます。しかし残念なことに、小沢征爾の棒はきっちりまとめることしか考えていないのか、いつも遠慮がちでせっかくパールマンが築いた頂点を掻き消しながら進んでいるように聴こえます。第2楽章でもパールマン入魂の演奏にもかかわらずオケは抑制されすぎています。もっと開放感のあるバックがほしいところです。第3楽章はとりとめのない無窮動の曲で、ともすると無表情で冷たい演奏になりがちですが、そこはサービス精神旺盛なパールマン、変化とスリルに富む面白い音楽に仕立てくれています。オケは相変わらず弱音に拘って上品でスマートな伴奏に終始しています。ソロの素晴らしい演奏にしてはなんとも残念な伴奏です。

 『アメリカン・アルバム』と題され、バーンスタインの『セレナーデ』、フォスの『3つのアメリカの小品』と組み合わされています。オールマイティ・プレイヤー、パールマンならではのカップリングといえます。


◆ベル(Vn) ジンマン/ボルティモアso 1996.1 ★★★☆☆
 2000年に公開された映画『レッド・ヴァイオリン』でヴァイオリン演奏を担当して話題になったジョシア・ベルはアメリカのインディアナ州生まれ。デビュー後は協奏曲の名曲を次々と録音していましたが、最近は室内楽やガーシュインの作品などにも手を出しています。

 バーバーの演奏でのベルは、音楽の起伏のつけかたや音色の変化のさせかたに色々工夫しながら弾いているといった印象を受けます。悩める若者といったところでしょうか。デビュー当時のいかにもアメリカン健康優良児といった爽やかな雰囲気からするとずいぶんと大人になったものです。ボルチモア交響楽団は必ずしも磨かれた音ではなく、しかもいくぶんクリアさに欠けますが、ジンマンの指揮はソロの逡巡に何時までも付き合うことはせずにキリリと引き締めることを忘れません。第1楽章コーダの前の短いカデンツァで、そのバックで鳴らす中低弦による持続音を恐ろしく深い音で響かせるところは、バーバー自身バリトン歌手をめざしたという事実を思い出させます。第2楽章ではヴァイオリンの持つ表現力の限りを尽くして綿々と歌いこみます。かなりやりたい放題ですが、オケは抑制の効いたサポートをつけています。第3楽章のベルは譜面に書いていない抑揚や強弱の差を大きくつけることで、作曲家の意図(難曲を書かねば・・)を極限まで追求しているようにも思えます。それでいて軽快さを失わないところは見事です。オケは最初こそ腰の重さが気になりますが、徐々にエンジンがかかりソロに負けじと積極的な演奏を展開します。

 この曲の後に、ブロッホの『バール・シェム』(1923年)、ウォルトンの協奏曲(バーバーと同じ1939年作曲)と同じ時代の作品を並べる、若い奏者にしては実に大胆なCDです。

  

◆マクダフィ(Vn) レヴィ/アトランタso 1996.7 ★★★☆☆
 ロバート・マクダフィはジョージア出身のアメリカ人。ウィリアム・シューマン、バーンスタインといった現代アメリカ作曲家の作品やクライスラー、レハール等の録音がありますが、現在のところいわゆる通常名曲の録音はありません。しかし、北米、ヨーロッパではソロと室内楽で幅広く活躍しているようです。長身でがっちりした典型的なアメリカ人の割には実に繊細な演奏を聴かせます。

 このバーバーでは、ゆったりとしたテンポで丹念に音を紡いでいきます。音色も全体的にソフトで攻撃的な面は表に出さず、高音でもきつい音はありません。やや音楽の勢いを失うことがありますが、常にスケール感ある演奏を展開します。オケは控えめではありますが、要所はきちんと押さえています。第2楽章では遅いテンポで噛みしめるように弾かれるのが印象的です。しかし、音色の変化が少ないために単調さ覚えることがあります。オケは終始雄弁でスケールの大きな演奏を行なっています。第3楽章でも潤いのある音で、決して弾き飛ばすことのない丁寧な演奏を繰り広げます。


◆ハーン(Vn) ウルフ指揮セント・ポール室内o 1999.9 ★★★★★
 弱冠19歳でこの曲を録音した、アメリカ生まれのヒラリー・ハーンはバーバーと同じカーチス音楽院出身、さらにバーバーと同音楽院で同期だったヤッシャ・ブロドスキーに師事、まさにこの曲の演奏にふさわしい奏者といえます。最初はスズキメソッドだったことで日本のお母様方に注目されていますが、まさかカーチスではスズキじゃなかったでしょう・・・。2000年のプロムスではモーツァルトの協奏曲を演奏、同年ヤンソンス指揮ベルリンフィルのソリストとして来日し、ベートーヴェンとショスタコヴィッチの協奏曲を演奏。この世界では美人何某と毎年のように売り込みがありますが、ハーンはそれらとは全く別の次元のヴァイオリニスト、ひと際抜きん出た存在といえます。

 全音域にわたって均質で透明感のある音色、とりわけ高音部における突き抜けるような切れのよさは、若い頃のパールマンやキョン・ファ・チョンを彷彿とさせます。若さからくる踏み込み不足はあるものの、バーバーの音楽を正面から真摯に見つめ、無心で取り組むひたむきさに心打たれます。伴奏も室内オケとは思えない力強さがあり、ハーンの音楽作りを見事にサポート。第2楽章はやや単調に陥ることはあるものの、今度は室内オケの特質を遺憾なく発揮することで、ソロと溶け合うように歌い込みます。ここでのハーンの歌い口はとても10代の少女の演奏とは思えません。第3楽章では早いパッセージのすべてを完全な音として鳴らしつつ自由闊達に弾きまくります。まさに天馬空を駆るが如しです。オケのバックも見事でソロ共々興奮のうちに曲を閉じます。

 エドガー・メイヤーによってハーンのために書かれた協奏曲とのカップリング。CDのブックレットにハーン自身が書いた解説がありメイヤーとの出会いなどが書かれています。
                                               2001年5月25日現在


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