チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74『悲愴』

チャイコフスキー(1840〜1893)


作曲期間: 1893年2月から1893年8月
初   演: 1893年10月29日 ペテルブルグ

●第1楽章 ロ短調 4/4拍子 Adagio - Allegro non troppo
●第2楽章 ニ長調 5/4拍子 Allegro con grazia
●第3楽章 ト長調 4/4拍子 Allegro molto vivace
●第4楽章 ロ短調 3/4拍子 Adagio lamentoso  

 チャイコフスキーは1893年2月の書簡の中で「…この旅行中にもうひとつの交響曲を着想した。今度は標題交響曲だ。だが、標題については謎のままにしておく。それぞれが勝手に当て推量すればいい。この曲はただ単に「標題交響曲」とだけ、呼ばれることになるだろう…」と書いています。(「標題音楽(programme music)」とは文学作品や風景などに触発されて作曲されたもの、ストーリー性や写実性をもった音楽を指します。「田園」「幻想」などといったタイトルを持つものを「標題音楽」と呼ぶことも多いのですが、厳密には音楽の内容と密接なつながりがある、作曲者自身による標題を持ったものでなければなりません。しかし、実際にはそのタイトルをつけたのが作曲者自身なのか弟子や友人なのか、また作曲者の意図を反映しているのかどうかはっきりしないことが多く、後世の人間が勝手につけた「ニックネーム」であることも多いので、本当に「標題音楽」なのかどうかは常に議論の的になります。)が、ペテルブルグでの初演の翌日、具体的な標題なしに「標題交響曲」と呼ぶというアイディアに飽き足らなくなり、さりとて単なる番号だけで呼ぶことも承知できなかったチャイコフスキーは曲のタイトルについて悩みはじめました。弟のモデストは「悲劇的」というタイトルを提案しますがチャイコフスキーの気にいらず、次に提案された「悲愴」が「すばらしい!モデスト、ブラヴォー」と好評で、めでたく採用されたようです(もっとも実際に楽譜に印刷されたのは第2版以降でした)。

 この曲について作曲者は「…形式については多くの新機軸を含んだものとなるだろう。中でも終楽章だ。騒々しいアレグロではなくて、反対にとてもゆっくりとしたアダージョなんだ。」と先ほどの書簡で述べています。また第2楽章は、直前に作曲されたピアノ曲集(作品72)の中の「五拍子のワルツ」という曲にその着想の片鱗が見える、変拍子の個性的で優雅なワルツとなっています。

 チャイコフスキーはこの斬新な交響曲のペテルブルク初演について、モスクワの出版業者に「嫌われてはいないと思うのだが、聴衆を少々当惑させたようだ。それでも私自身は今までの私の作品のなかでも最高のものだと信じている。まあ、そのことについてはモスクワに帰ったら話し合おう」と書き送っています。しかし、この話し合いは実現しませんでした。この直後に体調をくずしたチャイコフスキーはコレラでこの世を去ったのです。
「人生」、それに続く「死」を表現したといわれるこの曲の、初演のわずか9日後のことでした。     ( by Tokumei )


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