R.シュトラウス:13管楽器のためのセレナーデ変ホ長調 作品7

R.シュトラウス(1888)  ハンス・フォン・ビューローとそのオーケストラ  ハンス・フォン・ビューロー
 リヒャルト・シュトラウスの父フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスは、王立音楽院の教授でミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者でした。シュトラウスはその父親の同僚である優れた教師から幼くして音楽の指導を受けることができ、父親の意向で16歳まで古典派音楽の中だけで育ちました。

 この曲は、モーツァルトの名曲13管セレナーデ『グラン・パルティータ』を手本にして17歳のときに完成された単一楽章の作品で、愛想のいい旋律と甘美なハーモニーに満ちています。編成は「フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ホルン4、ファゴット2,コントラ・ファゴット1、コントラバス1」となっています。

 後年シュトラウスは、この曲を「学生が書いたという価値以上のものはない」と断じていますが、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーンなどのティーンエイジャーの時に書かれたマスターピースのトップテンに入る名曲と評価する説もあります。事実この曲は、ピアニスト、指揮者として不動の名声を確立していたハンス・フォン・ビューロー(写真右)の関心を引くところとなり、初演直後に彼は自ら率いるマイニンゲンのオーケストラで演奏することを申し出ています。ビューローの演奏は成功を博しこの曲はそのオーケストラの人気演目のひとつとなります。その後シュトラウスと初めて顔をあわせたビューローは、この若者を「ブラームス以来の目を見張るような個性がある」と賞賛し、同じ編成の曲を書いてマンハイムで指揮するようシュトラウスに依頼しています。その時、シュトラウスは指揮の経験は全くなかったのですが、程なくしてそのオーケストラの指揮を任せられるようになります。ビューローはこの曲の価値を的確に捉えただけでなく、この若者から漂うただならぬ才能を嗅ぎ取ったと言えます。

 なお、シュトラウスは第二次大戦中この曲に若干の手を加えていて、それが契機となったのか新たに2曲の管楽器のためのソナチネを作曲しています。また、このセレナーデは死ぬ2年前にスイスの放送局で自らの指揮で録音を遺しています。
2004.12



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