第8章 シュトラウスの音楽の調性

   
 指揮者のウォルフガング・サヴァリッシュが日本リヒャルト・シュトラウス協会で行なった講演(『リヒャルト・シュトラウスの実像』寺本まり子訳 音楽の友社)ではシュトラウスの調性について『バラの騎士』を例にして興味深い解説を行なっています。以下、定演で演奏しない箇所にも触れますが、その要点をご紹介します。

リヒャルト・シュトラウス   ウォルフガング・サヴァリッシュ

 ホーフマンスタールがシュトラウスに送った『ばらの騎士』の第1幕に関する台本の最初の数ページを見ると、シュトラウスがそれとなく鉛筆でハ長調、ロ短調というような調性の書き込みをしているのがわかります。つまり、シュトラウスは初めて台本を読む時に、その登場人物やその人の気持ち、場面の状況などに対して、これから書く音楽の調性をこの段階でイメージしていたということです。ここでは『ばらの騎士』を例にとって調性について簡単に説明します。

 ホ長調は、シュトラウスのすべての作品において『愛』を意味する調性で、愛の官能や刹那をも含んでいます。しかも、それが意識された愛の関係だけでなく、登場人物の無意識の中でもその調性が現れたり消えたりします。例えば自問自答するときでの気持ちの変化や真剣さがない愛である場合は極めて巧妙に転調されたります。他の作品では、歌劇『アラベラ』でのアラベラとマンドリカの二重唱、家庭交響曲でのAdagio、交響詩『ドン・ファン』の冒頭と90-95小節のクラリネットによる愛の主題などがあります。

 第1幕冒頭の序奏はホ長調です。その後転調を繰り返しますが、マルシャリンが「私はあなたを愛します」とオクタヴィアンに言う(練習番号26)ではホ長調に戻ります。しかし、その後黒人の男の子が朝食を持って来ると小ワルツ(クラリネットのソロ)ではイ長調になり、ここで愛の戯れが終わりを告げます。この時マルシャリンは「さあ、朝食を食べましょう。何でも、ものにはそれぞれの時というものがあるのよ!」と意味深なことを言います。まさに、このオペラの核心に触れる重要な言葉ですが、幕が上がってわずか10分のうちに、さりげない会話の中に現れるのです。

 ホ長調は人物では若いオクタヴィアンその人を意味します。マルシャリンは通常、変ロの調性(変ロ、変ホ、変イ)ですが、第1幕の終わりでマルシャリンがオクタヴィアンに別れを告げて「私はもう教会に行くのです」というところからホ長調になります(練習番号327)。ここはマルシャリンのホ長調で、嵐のような激しさはなく、恋愛の意味も持たない、メランコリックで優しい響きがこもっています。第1幕はホ長調のまま終わりに向かいますが、最後でホ長調から変ホ長調への半音階的ずれを見せます(練習番号339 オクタヴィアンが既に行ってしまったことを家令達が告げた直後)。これはシュトラウスに特徴的なことで、いつも気分が暗くなる時の合図なのです。マルシャリンはこの時、オクタヴィアンとの恋のアヴァンチュールが終わったことを悟るのです。この第1幕の終わりの部分は「マルシャリンのモノローグ」として単独で歌われることもある名曲で、極めて精緻な音楽つくりがなされています。(ここでの旋律は第3幕の終幕でも使われていますので、ここでマルシャリンが何を歌っているかがわかれば、第3幕の終曲をどう演奏すればいいかがわかるということになります。)

 舞台は少し戻りますが、マルシャリンとオクタヴィアンのやりとりの中でト長調という調性が出てきます(練習番号317)。これは第2幕に登場する素晴らしく美しく、しかも若いゾフィーの調性です。ここで、マルシャリンはオクタヴィアンに「カンカン(オクタヴィアンの愛称)、今日か明日かは知らないけれど、あなたは去っていく。別の人のために、私よりももっと若く、もっと美しい人のために私を捨ててしまう。」と語りかけるのです。変ロ長調の途中、瞬間的にト長調の主和音を鳴らすだけでゾフィーの出現とマルシャリンのオクタヴィアンへの別れを示唆するという、シュトラウスの恐るべき作曲手腕を見ることができます。

 次はト長調です。この調性はシュトラウスではしばしば素朴さ、無邪気さ、単純さを表わします。第2幕の冒頭はこのト長調です。つまりこの第2幕はゾフィーが中心であることを示しています。ゾフィーを暗示するのは、単純なト長調の三和音と民謡風な素朴な旋律です。

 練習番号2番では突然変ニ長調になりますが、ここはゾフィーの父親ファニナルが出てきて「おごそかなる日じゃ、おおいなる日じゃ、名誉の日じゃ、聖なる日じゃ」と歌うシーンです。シュトラウスの場合、変ニ長調にはいつも華やかさや威厳があります。ここのオーケストラだけの最初の10小節は組曲にも採用されていますが、その直後に歌うファニナルの「おごそかなる日」と歌う箇所では一瞬音楽はゾフィーの調性であるト長調になります。しかも、先に触れたマルシャリンが第1幕で「・・・もっと美しい人が」と歌う音型と完全に一致します。なんと細部までこだわった曲つくりであるかことか!

 嬰ヘ長調は「銀のばら」の調性です。シュトラウスでは、この世のものとは思えない美しさ、夢想、願い、うっとりした気分が関係しているときに使われます。例えば交響詩『ドン・キホーテ』第3変奏で主人公が夢や憧れや願いに浸っているシーンに使われています。ばらの献呈の儀式が終わると、再びゾフィーのト長調に戻り(練習番号39の8小節前)、「従兄さま、私はあなたを前からよく存じていました」と、素朴な旋律で歌います。(我々はこの小節でフェルマータで終わりますが、それはト長調の三和音ということになります。)

 さて、第2幕の終わりで再びホ長調が現れます(練習番号250 男爵のワルツの後半)。これは、傷を負ったオックス男爵がマリアンデル(実はオクタヴィアン)と逢引を約束した時の気持ち、つまり、これから予想される楽しさ溢れるときを表現しています。

 第3幕終幕にある三重唱は、先に述べたようにいつも華やかで威厳のある変ニ長調で書かれていますが、サヴァリッシュは「シュトラウスの調性の宝庫」と指摘するのみで途中の詳しい分析は行なっていません。そのクライマックスでゾフィーがオクタヴィアンに「あなたを愛していることを」と歌う4小節間(練習番号292から4小節)は、輝くばかりに美しいホ長調です。その後は転調して変ニ長調に戻り、威厳あるマルシャリンの別れを描きます。マルシャリンが二人を残して舞台を去ると、そこはゾフィーの世界、ト長調です(練習番号295の5小節目)。二人はこの調性で小さな二重唱を歌い、素朴で単純な調性のまま幕が下ります。

 なお、この三重唱に入る直前の調性の変化について補足させていただきます。オクタヴィアンがゾフィーとマルシャリンの間にはさまってオロオロしている間は概ねホ長調で進行します。マルシャリンがそれを見かねてゾフィーに声を掛け、自ら身を翻してドアに向かうその時(練習番号282)、オクタヴィアンが「マリー・テレーズ・・・僕にはわからないけど・・」と感極まった声でマルシャリンに呼びかけます。ここでホ長調から変ホ長調へと半音下がります(バス・クラリネット)。途中クラリネットに旋律が移り、練習番号283とその3小節目(フルートIII)で経過和音を経て、練習番号283の5小節目でニ長調に落ち着きます。半音で進行するなんと手の込んだ調性の変化でしょう。このニ長調の和音も8分音符の ppp で切り上げさせているところも心憎い演出です。是非とも音が残らないように、しかも丁寧にこの和音を奏してください。この後、間髪入れずにマルシャリンに「私にもわからないわ」と呟かせるためです。この次に一旦変ホ長調に戻って(練習番号284)、トランペットが象徴的なフレーズ(第2幕のばらの献呈でも同じ音型)を奏し、その途中でホ長調を経てから変ニ長調に転じ、三重唱へと突入します。




Copyright (C) Libraria Musica. All rights reserved.