リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』

 
           R.シュトラウス   ニコラウス・レーナウ 
リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』
           Eulenburg 社出版の DON JUAN のポケット・スコアの一部邦訳
  (略)・・・・この作品のフォームはソナタ形式で、展開部に2つの独立した重要なエピソードが挿入されている。主要主題(以下数字は小節番号:1〜6、9〜16)はいろいろなテーマを含み、その主な動機はのちに独立して大規模な発展を見せることになる。この豊富な発想は合わさって、ドン・ファン自身の人物像すなわち彼の情熱的で華々しい数々の女性遍歴と官能的な生活への抑えがたい欲望とを表現している。

 この後に続くのは、コントラバスとファゴットで始まる猛烈に前に突っ込む音楽(40)で、ヒーローの最初の浮ついた情事へと導いていく。このエピソードはこれといった中身はなく、もし後になってドン・ファンの幻滅の場面(427以降)での情事に再び登場しなければ、あまりにも束の間の音楽であるため深く掘り下げらないのかのように思われる。また、ヒロインのテーマ(48〜49)は無邪気なほど気まぐれであり、flebile (悲しみに沈んで)という指示は彼女が心から感動している様は全く暗示していないのである。

 しかし、彼女のドン・ファンからの別離に伴う下降する半音階(53:クラリネット)はR.シュトラウスによると「ドン・ファンの心にある満足感」であり、二人の間での心からの愛慕を示している。これは(46〜47)のフォルテシモで確立されるが、このテーマは後に、ドン・ファンにとって最初の真の愛の場面を支配するメロディとなる。

 落ち着かないファンファーレで、この満足できない女性からドン・ファンは自らを引き離してしまう。ドン・ファンは踵を返すと、たちどころに新しい女性の出現にうっとりし、深く心を掻き立てられる。続いて二人のラブシーンが始まる。ここは驚くほど拡張された部分(90〜149)で、そこでの情熱は較べるとすれば唯一ワーグナー作曲の楽劇『トリスタンとイゾルデ』の第2幕でみられる官能的な愉悦だけであろう。なお、R.シュトラウスはこの女性は赤毛であることは間違いないと冗談で言っている。

 もしこの最初の戯れが移行部の役割を満たせば、この部分は第2主題に相当することになり、ドミナントのありきたりな調すら使用されている。音楽は耐え難い程の烈しさにまで上昇する。次いでドン・ファンの冒頭のモティーフが、チェロのソフトな音で問いかけるように挿入されつつ不意に静まり、ドン・ファンは愛の忘我から目覚めていく。女性は彼に夢を見つづけさせようとするがもはや彼をとどめるおく力はない。一瞬にして、ドン・ファンは手の届かないところへと、次のアドベンチャーを探しに行くのである。

 次のパッセージは純粋な展開部で、ドン・ファンのテーマを熱狂のピッチに築きあげていく。その後、突然の急停止があり(196)、新しい女性への求愛が始まる。今回は女性側の降伏はすぐには起きないが、ドン・ファンの求愛としての烈しい渇望が音符の上に実現されていく(197〜202)。ドン・ファンは次第に彼女のひ弱な抵抗に打ち勝ち、ついには彼女を屈伏させてしまうのである。

 彼女の献身的愛情が完璧であり、彼女の愛情が非常に深いために、この物語の本当の人物は誰かという疑問が生じる。しかし、レーナウ(この曲の元となった詩劇の作者)のヒロインのうちR.シュトラウスの心の内にあった女性を確定することは不可能である。というのもこのレーナウの詩のなかに、この場面に該当するエピソードはないからだ。少なくともこの伝説の別のバージョン(ダ。ポンテによるモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の台本)によるとドンナ・アンナがドン・ファンの生涯で彼の真摯な情熱を傾けたただひとりの女性ということになっているが、ダ・ポンテの作品ではドン・ファンが彼女を誘惑する試みは失敗し、レーナウの作品では彼女は全く登場してこない。しかし、どの場面においてもR.シュトラウスはドン・ファンの深い愛の体験に関心を抱いているということは疑う余地がなく、(232〜306)はあらゆる音楽の中で最も偉大なラブソングのうちのひとつに数えられよう。

 この愛の歌の終わりはこの交響詩の中の中間点に位置するが、R.シュトラウスにこの後どのように続けたらよいか苛立たせたのにちがいない。R.シュトラウスの解決策は物語をつくること、すなわちドン・ファンの新しいモティーフを生み出すことであった。4本のホルンの登場(314〜326)はあまりにショッキングなため、今日ではこれによってこの交響詩全体が直ちに連想される程のものになっている。ドン・ファンは、今や単なる猪突猛進の男でなく、英雄になったのである。

 これまでに登場した女性と同様、この可憐な女性はドン・ファンに寄り添ってはいるが、他の女性と較べるとドン・ファンへ及ぼす力は全くない。目も眩むばかりの色とりどりのオーケストラの表出はドン・ファンを荒々しいお祭り騒ぎの真っ只中に放り込む。

 この2番目の展開部(351〜423)は、一般的にカーニバルの場面として知られていて、レーナウの詩での仮面舞踏会の場面が一番近い。ここにはドン・ファンのホルンのモティーフ(ここではグロッケンシュピーゲルとトランペット)に伴って輝くばかりの新しいテーマが出てくる(351〜352)。音楽は押し流され、威厳溢れるモティーフの提示が力強く続き、力と勢いの爆発はとどまるところを知らず、その頂点に激流となって恐ろしい瞬間めがけてなだれ込む(423)。

 この崩壊は心理的なものなので、このドラマティックなオーケストラの語り口から、作品の終曲に向けてのクライマックスに平行して描かれる物語を見分けることは困難である。ドン・ファンのモラルは突然どん底に達し、3人の女性の亡霊が彼の意識を弄ぶ。意気消沈したドン・ファンは彷徨しながら教会の墓地に赴き、ダ・ポンテと同様レーナウも、かつてドン・ファンが殺した高貴な人物にドン・ファンをディナーに招待させている。

 しかし、レーナウの関心事は超自然的なことではなく(ダ・ポンテは死んだはずの人物が現れてドン・ファンを食事に招待して地獄に引きずり込む:訳者注)、より現実的であり、招待するのはその人物の息子(ドン・ペドロ)ということになっている。ペドロはこの冒しがたい放蕩者に決闘で挑む。冒頭のモティーフは属音でそれぞれの弦楽器の各セクションによって一時的に手がかりをなくしたように現れながらも(458)、――シンフォニックなソナタ形式としては不完全ではあるが――再現部を迎える。

 この筋の通った構成は見事で、その波状的に膨れ上がる力は圧倒的である。再現部の始まりから音楽は一瞬の躊躇いもなく邁進し、いくつものピークを形成し、ついにはぞっとするような中断を迎える(585)。ここでドン・ファンはその力を完全に回復した高みにあったが、勝利の無意味さに思い当たりペドロに対して情けをかけて剣を引く。青ざめた短調の和音の中、トランペットが抉り出すように不協和音を吹き鳴らす(587)。これは身の毛もよだつほどの明瞭さで運命の一撃を表し、続いての震えるような弦楽器の下降するトリルはドン・ファンの命の衰えを表現している。この作品は暗い音で終わっているが、前代未聞の輝きと歓喜の場面の後だけに一層荒廃した雰囲気を作り出している。(以下略)

 以上は、Eulenburg 社出版の DON JUAN のポケット・スコアに引用されている Norman Del Mer(ノーマン・デル・マー)著『Richard Strauss – A critical survey of his life and works』からの無断邦訳です。ノーマン・デル・マーはリヒャルト・シュトラウスの著名な研究家で、ボーンマス・シンフォニエッタ、オルフス交響楽団を指揮したリヒャルト・シュトラウスの作品の録音もあります。)

 1980〜1990年代のCDの名演のご紹介。
・クリスト・フォン・ドホナーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1989)
                弦楽器の優美にして完璧な演奏と管打楽器の絶妙なバランスが素晴らしい。
・アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1990)
                繊細かつ豊麗な響きと随所に光る美しいアンサンブルが見事。
・ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1983)
                極めて重厚な響きと自信に満ちたテンポの動きが印象的な演奏。
・リッカルド・ムーティ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1989)
                金管のパワーと木管の名人芸。余裕に満ち溢れた演奏。
・ネヴィル・マリナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団(1990)
                明るい響きと解放感のあるフレージングが印象的。肩の張らない異色な演奏。 
    ドホナーニ ドン・ファン   プレヴィン ドン・ファン   カラヤン ドン・ファン
             ムーティ ドン・ファン   マリナー ドン・ファン

  以上、練習開始にあたって曲を理解する参考にしてください。交響詩は交響曲と異なり、物語をベースにして作曲されていますので、音符に対して共通のイメージを持つことが大切です。【 1993年4月14日 】


 その後、2006年12月11日に全音楽譜出版社から日本語解説付きで発刊された『ドン・ファン』のポケット・スコアには石川亮子氏による邦訳が掲載されています。


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