実際のところその依頼主の名は、フランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵 Count Franz von Wallsegg 、その若くして亡くなった妻アンナのためにレクイエムを必要としたことが後年明らかになりました。実はこの伯爵には奇妙な趣味があり、プロの作曲家に曲を書かせた後、それを自分で写譜して自作と偽って演奏するというものでした。金持ちの道楽にしてはかなり手の込んだものですが、困った御仁とはいえモーツァルトに稀代の傑作を書かせたのですから責めてばかりでは気の毒かもしれません。伯爵がモーツァルトに白羽の矢を立てたのは、その年の6月頃にモーツァルトがウィーンのシュテファン大聖堂の副楽長に就任した(但し無給)ことを知ったからという説と、当時ウィーンの教会音楽の作曲家としてモーツァルトは全くの無名だったため伯爵の企みがばれないという判断があったという説などがあります(それまで書いたモーツァルトの教会音楽はすべてザルツブルク時代のものでした。)。