ガーシュウィン : パリのアメリカ人

 ガーシュインは、今年で生誕100年、「パリのアメリカ人」がニューヨークのカーネギーホールで初演されて70年、立川オケは20周年とメモリアルづくしです(なお、上の写真は残念ながらカーネギーホールではなく、その近くにあるリンカーンセンターの夜景です。)。

 この曲は、ヒットソングメーカーとして頂点を極めていたガーシュインが初のクラシックの純管弦楽作品として世に問うた作品です。ガーシュインは1928年「観光とビールを飲みに(アメリカは当時禁酒法の時代でした)」と称してパリへ出かけましたが、そこで前回パリに来た時書き始めて未完のままになっていたこの曲の完成を目指し始めました。

 依頼もなく、金銭的約束も公演のあてもなく作曲をした最初の作品で、しかもガーシュインの曲で欠かすことのなかったピアノを初めて使用しないという容易ならぬ条件を自ら課していることを見ると、この曲に賭けるガーシュインの並々ならぬ意欲を感じることができます。  

 パリではプロコフィエフ、プーランク、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ミヨー、ウォルトンと接触し、その後ベルリンでヴァイル(あの「三文オペラ」を書く前です)に会い、ウィーンへ移動してアルバン・ベルクとも会っています。(ウィーンではホテル・ブリストルに2週間滞在して作曲をしていたそうです。ベルクのほかにもレハールやカールマンとも会っていて、後者にはかのカフェ・ザッハーに連れていってもらっています。ところがガーシュインがいると知れるやカフェの楽団は「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏したそうです。日本から観光客が殺到するウィーンの象徴ともいうべきカフェにしては意外ですね。)

 ガーシュインは、クラシックの世界で認められるよう当時の最先端の音楽家から様々な技法を学ぼうとしたとも考えられます。この旅行の帰途にはドビュッシーの作品集、ベルクの弦楽四重奏曲と「抒情組曲」のスコアを携えていたそうです。実際演奏しているとガーシュインでない顔に時折出くわしますが皆さんはどう感じますか。このパリ旅行の最大の目的はナディア・ブーランジェ(後にアメリアを代表する作曲家コープランド、トムスン、ハリス等を教えたことで有名)に教えを乞うことだったとの見方もありますが、彼女には「教えることはありません。このままお進みなさい。」と丁重に断られたのでした(ヨー・ヨー・マのコマーシャルでもおなじみ、今話題のピアソラもそうでした。同じくブーランジェに師事していたのですが、本来のアルゼンチン・タンゴ道を進むよう諭され、帰国後数々の名曲を残したのです。)。

 ガーシュイン自身の手稿には、「パリのアメリカ人  オーケストラのための詩曲  ジョージ・ガーシュイン作曲および管弦楽化」と書かれています。自信の表われとも、他人に管弦楽化を頼っている(「ラプソディー・イン・ブルー」がそうでした)という批判をかわし、オーケストラの世界で認められたい(音楽記号はイタリア語、打楽器にジャズ・ドラマーを使用しない等)という強い願望とも取れますね。

 1928年12月13日、ニューヨークのカーネギーホールでダムロッシュの指揮により初演され、大喝采を博しました。批評家からは散々だったそうです。なお、この時の他のプログラムは、フランクの交響曲ニ短調、ルクーの弦楽のためのアダージョ、ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』から「魔の炎の音楽」でした。余談ですが、スコアを見た大指揮者ストコフスキーは是非振らせてほしいとガーシュインに頼んだのですが断られたそうです。ガーシュインとしては二流の指揮者と組んだほうがやりやすかったのでしょう。しかし、リハーサルの過程で、ダムロッシュの助言によりいくつかのカット(計71小節)が施されました。現在はそのカットされた譜面が出版されていますが、オリジナルの譜面を復元した演奏も聴くことができます。2Pf版でラベック姉妹と、オケ版でシュワルツ指揮シアトルsoのCDです(注)。

 ガーシュインは2台のピアノ版の草稿に「女の子を見る」、「カフェの中へ」、「おしゃべり、ゆっくりしたブルースに移る」などといった箇条書き風のメモを残していますが、後にこの曲は「ラプソディ風のバレエ」で特定の情景を描写したシーンはなく、基本的な印象に関してだけが標題音楽的で、誰もが自分の想像するものを音楽の中に聴き出すことができると述べています。しかし、それにもかかわらずコンサートのプログラムやスコアの序文に細かなストーリーを持つ紹介文が掲載されています。内容はおよそ以下の通りです。

 あるうららかな春の朝、アメリカ人の旅行者がパリのシャンゼリゼ通りをぶらぶら歩いています。古めかしいタクシーの警笛が鳴る活気に満ちた街の雰囲気を味わっていた彼はカフェの前で立ち止まります。中から流行歌「ラ・マシーシュ」が聴こえてきます(ガーシュインは子供の頃この歌を知っていたそうです。)。再び旅行者は歩き始め、セーヌ河を渡り、ボヘミアンの街に入ります。女の子に会うかもしれないし、道端のカフェに入って静かにコーヒーを飲むかもしれません。ふと、理由もなしにひどいホームシックに襲われ(スローなブルース)、この街の美しさのすべてが無意味に思われて無性に国に帰りたくなります。しかしここで突然ムードが変わり、オーケストラは明るく陽気なチャールストンを賑やかに鳴らします。ちょっとフランス訛りがありますが。旅行者は別のアメリカ人に出会い、やはりパリは世界一の街だと意気投合して街にくりだそうということになります。一瞬、ブルースが戻ってきますが、それもつかの間、曲は陽気なフィナーレへとなだれ込みます。

 ここで余談をひとつ。フランスの作曲家ミヨーは、1962年に「ニューヨークのフランス人」という管弦楽曲を書いています。明らかにガーシュインのこの曲をもじったものだと思いますが、残念ながら筆者はこのミヨーの曲を聞いたことがありません。どんな曲かご存知の方教えてください。

 様々なオケが録音していますが、大半はアメリカのオケです。上記のほとんどがガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」のオマケに入っています。けっして「刺し身のつま」的な曲ではないのですが・・。
 ガーシュインはオーケストレーションする前に2台のピアノ版を書いています。ラベック姉妹によるオリジナル版の他に、輸入盤ですが(CARLTON)ドノホー&ラスコーの演奏があります。また、1929年にウィリアム・デイリーなる人が1台のピアノ用に編曲した譜面もあり、ユージニー・ルッソというニューヨーク生まれの女流ピアニスト(輸入盤 DIVERTIMENTO)とジャック・ギボンズ(輸入盤 ASV)の演奏で聴くことができます。また、マニア向けの演奏ですが、ガーシュイン自身がチェレスタを受け持った演奏も遺されています(シルカート指揮ヴィクター交響楽団 輸入盤 Magic Talent)。

 また、ジーン・ケリー振付主演のミュージカル映画「巴里のアメリカ人」(1951)も忘れてはなりません。物語のストーリーはガーシュインの音楽とは関係ありませんが、巴里で、売れない絵を書いて暮らしている陽気なアメリカ人の恋の物語という、なんとなくこの曲の雰囲気に合ったミュージカルです。せっかくの恋が実らず傷心の主人公が空想の中でこの曲をバックに巴里の街角を踊りまくるシーンは必見です。しかし、そこはアメリカ映画、ラストは大逆転でめでたくハッピーエンドとなります。

 初演時のスコアを復元して行なわれているCDがあります。シュワルツ指揮シアトル交響楽団(輸入盤 DELOS)で、ブックレットには詳しい解説が書かれています。初演を指揮したダムロッシュの助言でガーシュインは後に4ケ所のカットを行なって出版しましたが、そのカットした個所は次の通りです。

1. 練習番号67(ヴァイオリンのソロ)の直前の約1分半。しつこい繰り返しをカット。
2. 練習番号68と69の間のAdagioでのバスクラのソロの後の約45秒間。ガーシュインらしからぬ映画音楽風のフレーズをカット。
3. 練習番号70の前のフルートのメロディの後の約30秒間。フルートの活躍がするところを大幅にカット。
4. 練習番号72直前の約5秒間。シロフォンのひとくさりをカット。


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