フランク : 交響曲ニ短調

   
  フランクはパリでその生涯の大半を過ごしましたが、生まれたのはベルギーで、父親はドイツ語圏のベルギー人、母親はドイツ人でした。20歳代の初めからパリで教会のオルガニストを勤めたフランクは、バッハとベートーヴェンを敬愛し、宗教的な雰囲気の中で日々を過ごしました。派手な活動や作風を好まず、作曲家として認められたのは50歳を過ぎてからで、その作品はフランス風と言うより構成のしっかりしたドイツ的なものを残しました。なお門弟からは、ダンディ、ショーソン、デュパルク、ピエルネなど多くの作曲家が巣立っています。

 この曲の初演は作曲者67歳の時に行われましたが、聴衆と批評家の反応は散々なものでした。曲の冒頭の大胆な転調をはじめフランクの様々な試みが批判の対象となり、「成熟した楽想と稚拙というに近い程の作曲技術の同居」とまで言われました。また、オーケストラの響きがオルガン的で、展開部はまるでオルガンの即興演奏だなどと、フランクが一介のオルガニストにすぎないことを持ち出す者もいました。その他にも 交響曲なのに3楽章しかないこと、第2楽章で使われているイングリッシュ・ホルンは交響曲にふさわしくない(フランスを代表する作曲家ベルリオーズは『幻想交響曲(1830年)』に使っているのになぜ?) 等々、こじつけとも言える批判もあり、フランクの成功を好ましく思わない人々の存在が感じられなくもありません。しかし、気楽で優雅、その上ドラマティックな音楽を求めるパリの聴衆にとって、音楽そのものの本質的な美しさや革新的な音楽語法に直面することは性に合わなかったのも事実でしょう。

 ところで当のフランクは初演後帰宅して妻に「思ったとおりの響きだった」と満足していたと伝えられています。かのリストをして「バッハに匹敵する」と言わしめたすぐれたオルガン弾きであっただけに、上記の批判の可否はともかくとしてこの曲がオルガン的であるのは確かなことでしょう。初演時の悪評にも関わらず現在ではフランスを代表する交響曲として、演奏会の主要レパートリーのひとつに数えられています。

第一楽章 : Lento -- Allegro non troppo 曲の冒頭に奏される荘重な動機はこの楽章全体を支配します。この動機は「こうでなければならないか?」と自筆で譜面に書き込みがされていることで知られているベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲との類似を指摘する人もいます。

第二楽章 : Allegretto「漠然とではあるが、古き時代へのあこがれ」と作曲者自らが語った楽章で、イングリッシュ・ホルンがハープを従えて哀しげに歌います。

第三楽章 : Allegro non troppo これまでのテーマが回想されるというベートーヴェンが第九交響曲の終楽章で行ったことをさらに押し進め、それらを楽章の構成要素に取り入れることで全体をまとめあげています。  

                                     (第33回定期演奏会プログラム掲載  Vn : M. M)

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