ドヴォルザーク : 交響曲第8番ト長調 作品88

1890年ケンブリッジで名誉博士号を授与されたドヴォルザーク
 ドヴォルザークの9つの交響曲の中で、第9番『新世界から』に次いで良く知られ、とりわけアマチュアオーケストラのプログラムに取り上げられることの多いのがこの第8番,通称ドヴォ8です。

 この曲は1889年、ドヴォルザークが48歳の時に作曲されました。この頃のドヴォルザークはとても幸福で、作曲家としてとても充実していたようです。元々、ドヴォルザークは楽天的な性格で愛国心に満ちた人だったと知られていますが、その彼が極貧を生き抜いて努力の末に国内外で高い評価と名声を得て、またブラームスにも注目されたことで自信を持って、もう乗りに乗って一気に書いたのでしょう、曲全体にそういう勢いが満ち溢れています。

 ちなみに私(筆者)は学生時代,在籍したオーケストラの選曲会議でドヴォ8を初めて聴き、一目惚れ(一聴き惚れ?)した経験があります。もう25年も前の話です。その時にメイン候補に上がっていた交響曲は3曲。ベートーヴェン第7番、ドヴォルザーク第8番、シベリウス第2番。この順でレコードが次々とかけられました。当時19歳、フルートのトップ奏者だった私は、最初はベト7を推しておりましたが、次にドヴォ8行きます、と選曲委員長がレコードをかけ替え、その1楽章冒頭、哀愁を帯びたチェロのメロディーが流れ出した途端、グっと来ました。と思うまもなく、あのフルートソロが流れたのです。蒼く澄みきった湖をとり囲む森から朝一番に聞こえてくる小鳥のさえずりのように。その瞬間、私はベト7を捨てました。こっちにしよう、と変心(ごめんなさいベト7,今ならそんなことは.....)。結果的にその選曲会議ではオケのほぼ全員の賛成でドヴォ8に決まったのですが、こういうやり方で決めたら、何度やってもドヴォ8に決まるのではないかという気がします.冒頭からのびのびとした親しみやすい魅力あるフレーズが次々に各楽器に与えられ、それらが渦となって、これでもかこれでもかと迫り来る構成となっており、初めてこの曲を聴く人の心をがっしりと掴む強さがドヴォ8にはあるように思います。

 私はもう1曲、こういう一目惚れというか、初めて聴いたときに『素敵だ!』と心を奪われた曲があります。モーツアルトの交響曲第40番、ト短調です。あの一度聴いたら忘れられない憂いを帯びたヴァイオリンのメロディーが流れた瞬間、体中の血液も止まるかと言うような衝撃を受けたことを覚えています。どうも、この『ト短調』という「調性」に仕掛けがあるようにも思います。ドヴォ8はト長調の曲ですが、冒頭の哀調深いチェロ&クラ&ファゴット&ホルンによる導入主題は実はト短調で「書かれて」いるのです。


【第1楽章】アレグロ・コン・ブリオ ト長調 4/4
 始まって10秒で聴き手の心を引きずり込んだ後も、フルートソロが呈示した第1主題は時に力強く時には優美に姿を変え、テンポ良く曲は進みます。軽快な足取りをふと停めて道端の花に見入ったり、そこに小鳥が2羽、違う声でさえずりを交わす(実はフルートもクラも難しいのです、このパッセージ...)など、映像的なフレーズが続きます。木管が奏でる第2主題で一旦、短調に転じますが、トゥッティで勢いを得て直ぐに明るい調子を取り戻します。

 展開部ではクラリネット、ファゴット、ホルンによる導入主題が奏された後、さわやかな弦楽器のトレモロに乗ってフルートとオーボエが掛け合いで第1主題を奏でます。この後に続く低弦による力強いリズムで区切りがついて柔らかな嬰ヘ長調へ移り変わるのですが、この辺り、陽光がキラキラと射したり翳ったり、雰囲気は朝!という感じです。

 ひとしきり音楽が落ち着いた後、玉を転がすようなフルートのソロが始まります(174小節)。この愛らしいフルートは私が最も愛する、早く吹きたいな、と待ち遠しいメロディーです。注目すべきは旋律をヴィオラが担当しているということ。ここは何としてもクラに任せずに身を乗り出してひいて頂きたいところです。フルート奏者はここで必ず、ヴィオラの弓のかえしを目の隅に入れてテンポを取っているのです。ここだけではなく、この曲では他の楽章でもヴィオラに美しい旋律や目立つリズムをひかせます。これはドヴォルザークが若い頃,ヴィオラ奏者だったからかも(こうして、大概の場合は選曲は何でも良いよと鷹揚に構えているビオラ奏者の人々の気持ちも捉えるわけです)。

 いよいよ曲は盛り上がって再現部に突入します。導入主題の再現としてトランペットが吹き鳴らす2オクターブの響きと、伴奏とはいえ腰を浮かせて弾きまくるバイオリンとビオラ、また、低弦による3連符の合いの手も聴き逃せません。嵐が去って静まった後、イングリッシュホルンが牧歌的に歌い上げた第1主題を木管楽器がのどかに交わし合います。ここからは緊張を持続したままコーダまで一気です。トロンボーンとホルンの開放的なファンファーレから『強奏』とも言うべきトゥッティが怒涛のように進みます。もたもたしてると置いて行かれる、そんな圧倒的な勢いの中、決然としてこの楽章は終わります。


【第2楽章】アダージョ ハ短調 2/4
 叙情的な弦奏で始まるアダージョは、広々としたボヘミアの自然を深く感じさせます。この幅広い和音は多少、調を掴みにくいような移行を見せるのですが、これがまた、本HPのCD評にもあるマゼール/ウイーンフィルの演奏などを聴くと、例えようもない存在感を持って迫るものがあります。ドヴォルザークを大きく見直す瞬間です。

 ティンパニの絶妙な誘導に応えて、フルートとクラリネットが森の中で互いを呼び合うようにひそやかに歌います。 あくまでも美しい音色とニュアンスを合わせることで一層、神聖な雰囲気が高まります。この曲の特徴だと思うのですが、1楽章もそうだったように、楽器の間で美しいメロディーがしばしば交わされます。この、命あるものが言葉を掛け合うような息づかいと暖かみのある交流が、この曲が人々に愛されるひとつの所以であるように思われてなりません。

 また、もう一つの特徴として、新しく登場する旋律のその前部に『導き』があるように思います。低弦に導かれてフルートとオーボエが歌い出す次の場面は特にそうです。1楽章の雰囲気が朝なら、こののどかさは田園の昼下がりでしょうか。私もここを吹くたびに,ああ、この瞬間からでも遅くはない、心静かに人生を考え直したいと思うのですが、実際は、どこで息を継ぐかとかクライマックスはどこに持ってくるか、木管のセカンド群がうまく入ってくれるか等々、問題は山積みでなかなか雰囲気に浸れません。

 さて、水面にたゆたうような穏やかさの中、ヴァイオリンソロが清らかに凛々しく歌います。木管の伴奏と絡み合って音は大きく跳躍し,重音による下降分散和音が終始わかりやすいこの曲の中にあって唯一解決を見ない複雑な模様を描きます。音楽はここで一瞬終息したかに見えますが、突然のアウフタクトで景色がガラッと変わり、スケールの大きなフレーズ歌われみるみる盛り上がっていきます。クライマックスでは低弦が迫力の下行音型をひき鳴らす中、金管がそれぞれの特徴を生かして力強く咆哮します。

 一旦静まった後にホルンの動機をきっかけに転調が繰り返されて緊張が高まります(100小節目を越えるあたり)。バイオリンとオーボエ、ホルンの不安をかき立てるメロディーに対し、それに立ち向かうようにティンパニが確固たる意志を以て撃破し、曲を支えきります。この楽章のティンパニに関しては、CD評にあるドホナーニ/クリーブランドの演奏を聴くと、ティンパニってこんなに際立った表現力のある素晴らしい楽器だったのか、と新たに敬意を感じます。

 再びハ長調に明るく転じて今度は弦楽器によって穏やかな主題を再現した後、コーダに入ります。フルートとオーボエによるG音の2小節吹き伸ばしに続いてヴァイオリンが下降と上降音階を美しく奏でるところ(149小節)は、私が秘かに、この曲の一番良いところだ、と考えて気持ちを込めたいフレーズです。最後はトランペットの印象的なディミニエンドでpppに収束して終わります。


【第3楽章】アレグレット・グラツイオーソ ト短調 3/8
 アウフタクトも物憂げに、第1ヴァイオリンの優雅な3拍子のワルツ風旋律が流れるやいなや、またまた『ト短調』の風情に魅了されます。美しい旋律の裏で3連符やトリルで上昇下行を繰り返すクラとフルートの掛け合い修飾的な伴奏にも是非、耳を澄ましたいところです。

 メロディーはのびやかに木管に歌い継がれ、魅惑的なクラリネットの和音を経た後、木管がスタッカートで繋がり合う音型に、弦楽器のピッツイカートが分け入ります。ピンと張りつめた透明な水面に一滴、冷水が弾けるようにここが決まれば、次にはのどかな田園の風景を思わせるような素朴な中間部が待っています。

 ドヴォルザークの歌劇『がんこ者たち』から取られたとされるこのメロディーの素朴さをどのように表現すれば良いか、最初に奏でるフルートとオーボエにはありったけの想像力が要求されます。数々のCDを聴いても,本当に歌い方はバラエティに富んでいます。有名なオーケストラによるものでも中には、ちょっと違うんじゃないかという演奏もあります(HPで紹介されている中で,マズア/ニューヨークフィルなど)。思い悩みつつも結局,この旋律を吹くには気持ちを素直に、真面目に、というところに行き着く気がします。

 続いてヴァイオリンもこのメロディーを歌い上げますが、ここでもティンパニが曲の流れを叙情に流されすぎないようにしっかりと引き締めているのが注目どころでしょう。繰り返しの後のモルト・ヴィヴァーチェのコーダはうってかわって活発な雰囲気に変わります。テンポの良い的確なリズムが4分の2拍子の闊達さをかもしだしますが。ダブルリードのオーボエにとって、ここは意外な難所。何とか乗り切って軽やかにディミニエンドを利かせた後、弦のフェルマータが余韻を残して次への予感を抱かせつつ、楽章を閉じます。


【第4楽章】アレグロ・マ・ノン・トロッポ ト長調 2/4
 若々しいトランペットのファンファーレで始まるこの楽章、構成は実に、あのベートーヴェン交響曲第3番『英雄』の4楽章に似ています。激しい導入部に続いて弦楽器によって穏やかに呈示された主題が華やかな変奏を繰り返して盛り上がり、クライマックスの後には緩徐な弦奏とクラリネットの懐かしいメロディーで回想するかのように一旦静まり、フルートとオーボエによる絶え入るような音階のあとで(エロイカではフルートとファゴットですが)、爆発的な全合奏で曲が閉じます。表現している対象が、エロイカでは人間であり、ドヴォ8では自然である、と私が認識するイメージは異なりますが,形式はそっくりです。1楽章のソナタ形式もそうですが、ドヴォルザークが古典を自分なりに解釈して独自の表現に挑戦して行った真面目な姿勢にふと感動を覚えます。

 さて、あの華麗なフルートソロについては何としてもフルート奏者として私は述べねばなりません。プロオケのオーディションにしばしば使われると言うだけあって、1分にも満たないパッセージながら実に沢山の要素を含んでいます。まず、高音から中音、低音までムラなく楽器が鳴っていること、アクロバットをこなすテクニック、的確巧妙な息づかい、どんなテンポにも乗れるフィージビリティ。そして、これが一番重要なのですが、このような高難易度のパッセージにおいても充分に歌える表現力。大体、アマチュアの場合、高音域の替え指とブレスの工夫をしている辺りで力尽きてしまうのかも知れません。沢山のプロの演奏を聴いても、全く同じブレス、というのはないくらい、プロでも必死!という場面です。アマチュアの演奏会でも、大体、このソロの前にあるアップテンポのトウッティが始まった辺りで、よし、行くぞ!と気合いを入れて姿勢を正している姿を良く見ます。しかしながら、やはりフルート奏者として、こういうソロに挑戦できるというのは、本当に幸せな事だと言わざるを得ません。

 これ以降の変奏では、副主題の形でいよいよあの、コガネムシのテーマが登場します。【イギリス交響曲】と呼ばれることもあるドヴォ8ですが、ここまで来なくても、誰が聴いてもイギリスとは何の関係もないことは明らかです(これは当時,契約のトラブルからこの曲が例外的にイギリスの出版社から出版されたというだけの理由らしく、音楽上、全く意味がないようです)。ここまで私は敢えて民族的、という言葉を使わずに来ましたが、ヴィオラの刻むリズムを聴くに至っては遂に、【ボヘミア交響曲】と呼びたいような民族音楽的な雰囲気が満ち溢れます。この箇所、時にはプロの演奏でさえ、ダサイのがありますから、どうすればこのメロディーをダサくなく表現出来るか、本当に困難です。ダイナミクスに変化を付け、短い間にギアを何度もチェンジするフットワークとセンスが問われるところです。

 変奏がパートを変えて移り変わりつつ激しさを増し、冒頭のトランペットのファンファーレが響いて最高潮を迎えます。ここを越えて、トロンボーンからホルン、木管へと同じ音型が継がれつつ奔流がおさまっていく様子は、実にドラマチックです。不思議に御当地欧州のオケよりも、アメリカのオケのようなどんな時にも我を忘れないクレバー且つ体力ある金管の激奏がぴったりはまります。

 終焉を感じさせつつ冒頭と同じ弦奏が戻ってきますが、フルートのオブリガートがはかない彩りを添えます。その後の弦奏、クラリネット、オーボエ、ファゴットと続く静謐な変奏は穏やかな諦観に満ちて、何もかもを押し流す自然の大きさを感じます。そして、この曲の究極のテーマ、ト長調のドミソをフルート、オーボエが朗々と清潔に歌い上げる、そこに突如と興奮と熱狂に満ちた大合奏が割って始まります。一旦、リタルダンドで勢いを矯めてから怒涛のフィナーレが再びばく進して幕を閉じます。

 ドヴォルザークの作品の中では、交響曲第9番『新世界から』や弦楽四重奏曲『アメリカ』、チェロ協奏曲ロ短調など、アメリカ時代の曲が世の中では親しまれています。しかしながらドヴォ8の印象的なメロディーの数々を思うとき、彼の本能的な独創性や生命力溢れる躍動感は、アメリカに渡る前に作曲されたこの曲にこそ最も深く追求され表現されているのではないかと感じられます。渡米以降の曲は、ドヴォ8で結晶化した個性の応用編であると言ったら言い過ぎでしょうか。

 さて余談ながら、本稿の最初に述べた学生時代の選曲会議に話は戻ります。喜ばしくも100人余りの人々の全員一致で決まったドヴォ8ではあったのですが...。 一目惚れした人と必ず添い遂げるとは限らぬように、それからの半年間の練習は決して順風満帆ではありませんでした。実を言うと大変楽しかったという記憶は余りありません。ト長調で組し易しと思ったのは当初のことだけで、フルートに関しては,どこでブレスするか、とか低音から高音まで跳ね回るようなアンブシュアに悩み、超絶技巧は替え指頼り、と初歩的な技術面で躓いていました。他のパートもキメルべきところがキメられず、ただ騒々しい雰囲気に支配されがちでした。結局、ドヴォ8の持つ幅広く深みのある曲想を20歳前後の若者達は表現出来ずに終わったように覚えています。

あれから25年を経て、またドヴォ8をやることになりました。当時よりも体力は衰え曲芸を乗り切る運動神経も失われましたが、経験と知識と理解力だけは確実に培われている筈、それだけが頼りです。

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