フランス語の Chaussonには「スリッパ、婦人用半長靴、オーバーシューズ、バレエのトゥシューズ」と、「(フルーツ)パイ」の2つの意味があります。 Chausson aux pommes(ショソン・オ・ポンム)といえばパイ生地を餃子のように半分に折ったアップル・パイのことで、その形がスリッパの先に見えることから命名されました。ちなみに、書き損じの官製はがきを郵便局に持っていくと「書損(ショソン)」扱いで処理されますね・・。フランスの作曲家エルネスト・ショーソン、日本ではかつて「ショソン」とも発音されていましたが、セザール・フランクの弟子にしてドビュッシーを世に送り出した人物で、目立たないけれどフランス音楽の興隆に重要な役割を果たしたひとりに数えられています。
1880年の終わりには音楽性が根本的に異なるマスネとフランクの両方から学ぶことに問題を感じてフランクのみに師事します。1883年6月20日、従兄弟のアンリ・リロール
Henry Lerolleの友人であった彫刻家アルフレッド・ルノワール Alfred Lenoir(有名な印象派の画家ルノワール Pierre-Auguste
Renoirと混同している解説がありますが、ファースト・ネームも頭文字も異なりますのでもちろん別人です。)の計らいで知り合ったピアニスト、ジャンヌ・エスキュディエ
Jeanne Escudier と結婚します(写真中央)。新婚旅行ではワーグナーの聖地バイロイトを訪れ、そこで『パルジファル』を観ていますのでいかにショーソンがワーグナーに熱中していたかがわかります。彼女は作曲家の妻としては異例の良妻として知られ、5人の子供をもうけながらひっきりなしに訪れる夫の仲間たちの応対をエレガントにこなしただけでなく、作曲における豊かなインスピレーションを夫に与え続けたのでした。なおこのショーソン家の常連には、師であるフランクやフォーレをはじめとしてショブリエ、デュパルク、ダンディ、サティ、ケックラン、ドビュッシーといった作曲家、ヴァイオリニストのイザイやティボー、ピアニストのコルトーらが名を連ねていました。
参考文献:Ernest Chausson The Composer’s Life and Works by Jean-Pierre Barrucelli, Leo Winstein : Greenwood Press
Ernest Chausson The Man and his Music by Ralph Scott Grover : Bucknell University Press
『ショーソン』ジャン・ガロワ著 西村六郎訳 音楽之友社 1974
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