ビゼー : 歌劇 『カルメン』

ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875) カルメン(原作の挿絵) プロスペル・メリメ(1803〜1870) カルメン(原作の挿絵) ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875)
 作品とあらすじ
  フランスの作曲家ビゼー(1838〜1875年)の歌劇『カルメン』は、クラシック音楽の枠を超えて広く親しまれている傑作と言えます。わずか19歳でローマ大勝を受賞した天才ビゼーですが、周囲の期待に反して作曲したオペラはほとんど成功を収めることはなく(途中放棄を含めると20数曲!)、その36歳という若さで死ぬ直前に書かれた『カルメン』が一大ブレイクしたという極めて特異な作曲家と言えます。しかし、躍動的な生命力、鮮烈な色彩感、劇的効果、ユニークな登場人物たちの性格や感情を活き活きと描写する音楽、ドラマティックな構成、このすべてにおいて抜きん出た作品として今日に至るまで繰り返し演奏され続けています。

 原作はプロスペル・メリメの同名の小説(1845年)に拠っています。この小説は発表当時こそほとんどの話題にならなかったそうですが、このオペラのせいか日本では早くから訳本が出され、文庫本でも手に入れることができます。メリメがスペインに旅したときに実際にジプシーたち会った体験や、土地の人から聞いた嫉妬に狂った男に殺されたジプシー女の話しなどをまとめたものです。なお、ビゼーはスペインの地に足を踏み入れたことはなかったそうです。図書館でスペイン音楽を調べたり、友人だったサラサーテから話を聞いたりする程度だったにもかかわらず、これほど見事にスペイン色豊かな音楽を作ったということこそ、彼の天才のなせる業に他なりません。なお、カルメンが歌う有名な『ハバネラ』は、もともとキューバのハバナの音楽で、それを歌にしたスペイン出身の作曲家イラディエール(1809〜1865年代表作「ラ・パロマ(娘)」)の作品と酷似しているとビゼーは出版社から訴えられ、ビゼーはそれを認めています(スコアにそのことが明記されています。)。

 この曲の初演(1875.3.3)はオペラの歴史に残る大失敗であったとされています。浮き世離れした豪華な舞台を予想した聴衆が、幕開きから決して美しいとはいえない舞台を見せられ、登場人物といえば煙草工場の女工やジプシー、密輸業者といったいわば社会の落伍者たちばかりだし、しかも嫉妬に狂った挙句の刃傷沙汰で幕を閉じるという陰惨な内容に拒絶反応を示したという説明が一般的です。

 しかし、実際は劣悪なオーケストラや主役カルメンを除いた歌手たちのレベルの低さにあったと考えられ、当時の記録によれば少なくとも第1幕は大喝采だったようで、しかし幕が進むにつれ拍手が少なくなったとされています。ところが、上演を重ねる毎に尻上がりに好評を博し始め、フランス国外でも盛んに取り上げられるようになります。決してこの作品の反社会性やエキゾチズムに聴衆は背を向けたのではないと言えます。この初演のわずか3ケ月後にビゼーは亡くなりますが、同じ年の10月には早くもウィーンで初演され、翌年にはブラッセル、ブダペスト、1878年にはペテルブルグ、ストックホルム、ロンドン、ダブリン、ニューヨーク、1879年にはメルボルンと海を渡って瞬く間に世界を席巻していきます。ちなみに、上海は1918年、我が国では横浜において1919年初演となっています。確かなのは、この作品が後世に勝ち取った成功をビゼーは知らずに世を去ったということです。

■主な登場人物:カルメン ジプシーの女(メゾ・ソプラノ)/ドン・ホセ 伍長(テノール)/エスカミーリョ 闘牛士(バリトン)/ミカエラ ホセの許婚(ソプラノ)/フラスキータ ジプシーの女(ソプラノ)/メルセデス ジプシーの女(メゾ・ソプラノ)/スニーガ 竜騎兵の隊長(バス)/モラレス 竜騎兵の士官(バリトン)/ダン・カイロ 密輸業者(バリトン)/レメンタード 密輸業者(テノール)、など 。
■時と場所:1820年頃(エーザー校訂版では1830年頃)。南スペイン、アンダルシア地方のセヴィリアとその周辺。
■台本作家:H.メイヤックとL.アレヴィ。
■版の問題:初演は会話を多く取り入れたもの。海外で上演用できるように会話をレチタティーヴォに入れ替えたのがギローによるグランド・オペラ版(今回はこれで演奏します。)。現在は、初演版に基づいて改定されたアルコア社(エーザー校訂)の版が主流になっています。

第1幕 《初秋のある日の昼前 セヴィリアの煙草工場前の広場》
広場で衛兵たちがのんびりと行き交う人々を眺めています。セヴィリアの中心部にある旧王宮の近くには煙草工場跡が現存(現在は女子大学に使われている)していますが、この兵士たちは王宮を警護していたものと思われます。そこへ、青いスカートはき、髪をお下げにした田舎娘が現れ、おずおずとドン・ホセという伍長はいないかと竜騎兵のひとりモラレスに尋ねます。モラレスはもうすぐ交替でここへ来るからと、彼女を引き止めますが、彼女はその誘いを振り切って姿を消します。

 まもなく、ラッパの合図と共に町の少年たちの行進を伴って隊長スニーガ率いる交替部隊が登場。その中の伍長ドン・ホセがモラレスから自分を訪ねてきた娘のことを聞いて、それが許婚のミカエラであることを知ります。ホセはスニーガに、ミカエラは自分の母が引き取って育てた孤児で、現在17歳、いずれ自分と結婚することになっていること、青いスカートとお下げ髪は自分の故郷ナバラ(北スペインのバスク地方)独特の恰好であること、自分は争って人を傷つけ故郷にいられなくなって軍隊に入ったことなどの身の上話しをします(今回上演の版では短く話します。)。

 正午の鐘が鳴ると煙草工場から女工たちが三々五々休憩に出てきます。町の男たちも集まってきますが、どうやらお目当てはカルメンらしく、彼らはカルメンを捜します。高まる期待の中、いよいよカルメンが登場し、皆が「いったい何時になったら俺たちを好きになるのか?」という問いに「何時になったら好きなるのか、わかるものか!」と啖呵をきります。続いてハバネラ『恋は野の鳥』というあまりに有名なアリアで、気まぐれでままならぬ恋の行方を歌います。カルメンはとりまく男どもではなく、ひとりカルメンに無関心なホセ伍長に目をとめ、盛んに誘惑したあげく胸につけていたアカシアの花をホセに投げつけ、工場に走り去ります。

 昼休みが終わって人々が舞台からいなくなると、ミカエラが登場し、カルメンが投げた花を拾ってドギマギしているホセに「伍長さん!」と声をかけます。慌てて花をポケットにねじ込んだホセは、ミカエラと共に再会を喜び合います。ここのニ重唱はこのオペラで唯一甘くリリシズムに満ちた曲です。彼女はホセの母親からの手紙と少しばかりのお金を渡し、それと母からことづかったというキスをして恥ずかしそうに帰っていきます。

 そのとき、工場の中から悲鳴が聞こえ、女工たちが大喧嘩をしながら外に出てきます。どうやらカルメンが他の女工と口論のあげくナイフで顔に傷をつけたらしいのです。早速、ホセはスニーガの命令で首謀者のカルメンを捕らえます。しかし、ホセがカルメンを見張っている間、カルメンは『セギディーリアの歌』を歌ってホセを誘惑し、縛った縄をほどかせてしまいます。しばらく連行されるふりをしたカルメンですが、突然ホセを突き飛ばし逃げ出します。人々は大歓声をあげ、ホセは他の兵士によって捕らえられます。

第2幕  《第1幕から1ケ月後 下町にあるリーリャス・パスティアの酒場》        
 店の中には隊長スニーガとその兵士たちをはじめ大勢の男たちがジプシー女と戯れながら酒を飲んでいます。舞台の中央ではカルメンがタンバリンを手に歌と踊りを披露します。カルメンに気のあるスニーガは禁固を食らったホセが今日牢から出ることをカルメンに伝えます。そこへ、グラナダからやってきた闘牛士エスカミーリョが店に入ってきて、一同の乾杯に応えて『闘牛士の歌』を歌います。エスカミーリョは早くもカルメンに目をつけて声を掛けますが、ホセに惹かれているカルメンは軽くいなします。

 閉店の時間になって一同いなくなると、密輸業者のダンカイロ、レメンダードが入ってきてカルメンや他のジプシー女のフラスキータ、メルセデスを仲間に誘います(五重唱)。計画している密輸の仕事にどうしても女性の助けがいるというのですが、カルメンは今恋をしているからと断ります。相手がカルメンを助けた伍長だと聞いて一層驚く仲間は、彼氏も仲間に入れればいいと言ううちに、当のホセが『アルカラの竜騎兵』の歌を口ずさみながら店にやってきます。気をきかせた4人はカルメンを残して奥の部屋に隠れます。ホセが来てくれて嬉しいカルメンは彼のために踊りを披露しますが、帰営ラッパが聞こえたとたん帰ろうとするホセにカルメンは怒り出します。慌てたホセはカルメンに対する気持ちをこめたアリア『花の歌』を歌います。初めて会ったときにカルメンが投げつけた花を取り出し、しぼんでしまっても牢獄でずっとその花を手にしてカルメンを想っていたことを訴えます。しかし、もはやカルメンの失望と怒りを静めることはできず、ホセが諦めて店を出ようとしたそのとき、隊長のスニーガと鉢合わせになります。争いを始めた二人は奥から出てきた密輸業者に取り押さえられます。上官に反抗して、もはや隊には戻れなくなったホセは彼らの仲間になってしまいます。 

第3幕 《1,2ヶ月ほどたったある日 セヴィリアから程遠くないシエラ・ネバタ山中》
 幕が開くとそこは寂しい岩山。暗闇の中、荷物を運んでいた密輸業者たちが休憩を取ります。カルメンはすでにホセへの愛情は失せてしまっていますが、ホセはしつこく仲直りを迫っています。ジプシー女のフラスキータとメルセデスはトランプ占いを始め、カルメンもそれに加わります(三重唱『混ぜて、切って』とカルメンのソロ『カルタの歌』)。カルメンが自分の運勢を占うと、出るカードは死をあらわすものばかりで不吉な思いに囚われます。やがて税関役人を色仕掛けで丸め込もうとジプシー女たちは出かけていきます。

 するとホセを捜して山を登ってきたミカエラが暗がりに現われ、アリア『何が出たって怖くないわ』を歌います。人の気配にミカエラが隠れると、今度は闘牛士エスカミーリョがカルメンを訪ねてきます。見張りをしていたホセは彼が恋敵と知って決闘を挑みます。仕事の邪魔をされてはかなわないダンカイロは二人を引き離し、エスカミーリョを追い返しますが、その際エスカミーリョは一同をセヴィリアで行なわれる闘牛に招待します。

 そのとき、隠れていたミカエラが見つかって連れてこられます。驚くホセに、彼女は母親が危篤であることを伝え、いっしょに故郷に帰るよう懇願します。カルメンのことを諦めきれないホセではありましたが、カルメンを始め一同の冷笑を背に、渋々ミカエラと故郷へ向かうことになります。

第4幕 《およそ1ケ月後という説が有力。 セヴィリアの闘牛場の入り口前》 *エーザー校訂版では第3幕第2場
 今日は闘牛の日。舞台では大勢の着飾った人々が集まり、闘牛士たちの華やかな入場行進に歓声を上げています。その行進のしんがりではエスカミーリョが得意満面でカルメンをエスコートし、二人の熱愛ぶりをアピールしているのは言うまでもありません。そこへフラスキータとメルセデスがカルメンに近寄り、ホセがセヴィリアに来ているので気をつけるよう忠告しますがカルメンは気にもとめません。人々がカルメンひとり残して闘牛場に入ると、そこへやつれ果てた姿のホセが現れ、カルメンにもういちど昔の愛の生活に戻ってほしいと頼みます。もちろんカルメンはキッパリと断ります。カルメンが昔ホセから貰った指輪を指から抜いてホセに投げ返し、「エスカミーリョ万歳!」と歓声が上がる闘牛場に向かおうとするに及び、ついに逆上したホセはカルメンを刺し殺してしまいます。カルメンの亡骸の傍らに茫然と立ちすくむホセ、折しも闘牛場では大歓声が沸き起こるのでした。  −幕−

カルメンの人物像
主人公のカルメンをどう演じるか、古今の大歌手たちがその難題に取り組んできました。以下はその分類と現代の歌手の言葉です。
1. 男を誘惑する魔性の女
2. 彼女の愛は刹那的でしかなく、それが他人を傷つけることになっても罪の意識を感じないほどの自然児。
3. 貧困にあえぐ環境に育ち虐げられた人々の怒れる代表者。
4. 自殺願望をもつ女性。ホセは危険な人物で、自分を殺したがっているように見えるという理由で惹かれる。
5. 恰幅のいいカルメン。自分の周りに群がる子供じみた男たちにうんざりしているお袋タイプ。

テレサ・ベルガンサ(メゾ・ソプラノ)
 「この曲の初演時、主人公の自由な女性像がフランスのブルジョワ階級を震撼させたことでしょう。彼らは自分の妻や娘がこのように解放されることを恐れたに違いありません。・・・・様々な歌手たちがカルメンをより過激で野卑な女に変えてきました。野卑で尻を振りながら歩き、煙草をくわえながらしゃべるというのが定番となりました。しかし、娼婦をイメージすることはスコアやテキストからも最も遠い解釈と言えます。自由に恋愛し、恋が終われば正直に相手に伝える、それがカルメンなのです。」スペインの名歌手、ベルガンサはこの解釈によって現代のカルメン像のひとつを確立します。その時のホセはプラシド・ドミンゴ、指揮はクラウディオ・アバドでした。なお、ベルガンサはこのプロダクションのリハーサル中に離婚を決意したとか・・・。

アグネス・バルツァ(メゾ・ソプラノ)
 「カルメンを取り巻く不穏で騒がしい雰囲気は、本人でなく周囲が作り出しています。カルメン自身は自分が他人に及ぼす魅力の度合いについては全く無自覚です。しかし、煙草工場から一歩足を踏み出すや、花に群がるミツバチのように男どもが集まってくる。最大の魅力は独立独歩の気質と気紛れ、次に何をしでかすか誰にもわからないということであり、今は貴方を愛している、でも次の瞬間はわからない・・。」

マリア・カラス(ソプラノ)
 カラスの伝記によると、彼女が8歳の時ラジオで聞いたビゼーの『カルメン』によって自分の一生が決まったとあります。幼い頃、すでにカラスの内面には歌への欲望がかなりあったようで有名な『ハバネラ』をしばしば家で歌っていたと語っています。

プラシド・ドミンゴ(テノール)
 ドミンゴはホセ役を180回近く歌っています。「ドン・ホセはナバラの出身で、私の母はバスク出身で両者の気質を私はよく知っています。両方とも誇り高くとても控えめです。だから全く正反対の性格のカルメンに出会った瞬間にホセを襲った感情が私にはわかるのです。カルメンは外向的性格で情熱的なアンダルシア娘、全く伝統に捉われない当世風の女性で、おまけにジプシーときている。だから、初めて見た時ホセには悪魔に見えたでしょう。原作では『私の田舎では、君のような女を見かけただけで十字を切るよ。』となっています。」「私の人物描写の中心にあるのは、メリメの原作には出てこないミカエラです。カルメンのライバルではなく、ホセにとっての強い影響力のある母親の代理なのです。ホセはミカエラを通じて母に語りかけ、母の願いに従うことを告白します。しかし、そうしたホセの信念や感情やタブーを足蹴にしたのがカルメンなのです。」

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