1915年10月7日、『ニューヨーク・タイムズ』紙は「三浦環の米国デビュー」という次に記事を書いています。「シカゴ、10月6日 ―
日本人プリマドンナ、三浦環が本日、ボストン・オペラ・カンパニーで『蝶々夫人』役としてアメリカデビューを果たしました。東洋出身の若い女性が主役を歌うという斬新さが、多くの観客を魅了した。音楽評論家たちは、このディーヴァがこの役で成功を収めたと評価しました。三浦環は約1年前にロンドンで東洋以外での初舞台を踏んでいました(
The New York Times )。」 三浦環はボストンのオペラ・カンパニーと契約をして、シカゴで歌ったということがわかります。
しかし、そうした諸々の点はある事実の前では吹き飛んでしまいました。すなわち、その小柄な日本人女性がまず人々の好奇心をそそったこと、聴衆の共感を勝ち取るに足る人間的な魅力を備えていたこと、そしてその関心に応えるだけの十分な芸術性を有していたことです。彼女が別のオペラの役を歌う姿は想像しがたく、また繰り返し聴きたいと思うかどうかも疑問ですが、最初に耳にしたその体験は興味深く、かつ一風変わったものでした(
The New York Times )。」
「『蝶々さん』はファーラーの当たり役です。歌唱という点では、三浦がファーラーに一歩譲らざるを得ないことは否定できません。しかし、『蝶々さん』は日本人女性なのです。たとえファラーが世界最高のオペラ歌手であったとしても、全く異なる風俗や習慣を持つ異民族の役柄を演じきり、日本人である三浦が演じる『蝶々さん』と舞台上で競い合うことがなどできようはずもありません。着物の着こなし、扇子の扱い、草履での歩き方――日本人女性ならではの優雅な所作の数々は、白人には到底真似のできるものではなく、三浦にしか演じられない役なのです。どんなに努力したところで、こうした点においてファーラーが三浦には遠く及ばないでしょう(吉原真里著
"The Flight of the Japanese Butterfly: Orientalism, Nationalism, and
Performances of Japanese Womanhood ")。」
1918年5月27-28日に開催されたアメリカ赤十字社のための大規模なチャリティコンサートに、三浦環は客演アーティストとしてメトロポリタン歌劇場に出演して『蝶々夫人』のアリアを歌っています。主演はエンリコ・カルーソーでしたが、彼女とカルーソーはコンサート終了後、ホテル・ニッカーボッカーで開かれた打ち上げの席で、二人は他の出席者から離れて時間を過ごし、発声法や喉のケアについて語り合ったとされています。メトロポリタン歌劇場のアーカイヴには三浦環の名前が記録されていないのですが、それは主催が赤十字社で、会場としてシーズン・オフのメトロポリタン歌劇場を使用したためと考えられます。1917年に録音された三浦環が歌うアリア『ある晴れた日に』は
YouTube で聴けます。
Un bel dì vedremo (Tamaki Miura)