E. サケッティが描いた『蝶々夫人』初演のリハーサルに臨むプッチーニと歌手たち
左から、ジョヴァンニ・ゼナテッロ(ピンカートン) ロージーナ・ストルキオ(蝶々さん)、ジュゼッペ・デ・ルカ(シャープレス)
「F.B.ピンカートン」 vs 「B.F.ピンカートン」どっちが正しい?
第1幕で、蝶々さんがお友達にピンカートンを紹介する時、「F.B.ピンカートン様よ、おじぎして!」と声をかけます。また、ピンカートンに自分の持ち物のことで話しかける時も、「F.B.ピンカートン様」と言います。しかしその直ぐ後、帝国の役人(神官)が婚礼の儀式の中で、「新郎、ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン(
Benjamin Franklin Pinkerton )
砲艦リンカーン号の副官、北アメリカ合衆国海軍」と新郎の名を呼び上げるのですが、これですと「B.F.ピンカートン」で「F.B.」は逆であり間違いとなります。ところが、この婚礼の儀が終わった直後にお友達から「マダム・バタフライ」と声を掛けられると、蝶々さんは相変わらず「マダム、F.B.ピンカートンよ」と応えるのです。これはどういうことなのでしょうか。
アルファベットが苦手な蝶々さんの言い間違いと思いきや、なんとこの第1版の婚礼の場面では、ピンカートンの名前は「フランシス・ブラミー・ピンカートン(
Sir Francis Blummy Pinkerton
)」と呼ばれているのです(第1版ではこの婚礼の儀でピンカートンの名前が言われるのは帝国の役人(神官)とシャープレスによる2回ですが、現行版では役人のみの1回きりです。余談ながら第1版では、役人がこれに続いて「タカサゴ」と「ハナコ」という謎の二言を発します。)つまりピンカートンの名前は「 F.B.ピンカートン」であり、蝶々さんは間違っていなかったのでした。第1版の後の版で、婚礼の儀での祝詞では名前を「ベンジャミン・フランクリン」に変更したのに、その前後で蝶々さんが発するピンカートンの名前のイニシャルを直し忘れたと考えられるのです。
ところがさらに混乱させることが判明しまして、アメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが書いたこのオペラの原作である戯曲『蝶々夫人』の配役表には、ピンカートンの名前はなんと、「中尉
B.F.ピンカートン」となっているのです。但し、イニシャルだけで「ベンジャミン・フランクリン」とは書かれてはいないようです。またその戯曲の原作であるジョン・ルーサー・ロングの小説においても「Mr.
B. F. Pikkerton(B. F. ピンカートン氏)」と記されているとのことです(ポール・ドーガン著『「蝶々夫人」の誕生』
、なお、ポール・ドーガンは、英国の国王からナイトの称号を授与された人物に付く敬称だとは知らずにイリッカが「Sir(サー)」をピンカートに付けてしまったとも指摘しています。「Sir」はパリ版からは削除されます。)。これについて、ルカ・G・ロージによると、「イッリカがなぜかイニシャルの「B.F.」を「F.B.」と入れ替えてしまった」、と述べています。ロージはさらに続けます。
「1907年2月12日付のニューヨーク・タイムズ紙は、アメリカ海軍中尉(すなわちカルーソーが歌った役)の名が「サー・フランシス・ブラミー・ピンカートン(Sir
Francis Blummy Pinkerton)」であったと報じています(New York
Times)。このことから、メトロポリタン歌劇場のカンパニーは、ブレシア版の最初期の刷り(初版)の楽譜を使用していたものと考えられます(ルカ・G・ロージ
著 『ファーラー版「蝶々夫人」?』 )。」
全曲中でこの箇所でしか「ベンジャミン・フランクリン」と発せられないのですが、配役表には現在でも「 F.B.Pinkerton
」と書かれることが多く、意外とこの違いについてはスルーされているようです。海外で録音されたCDやビデオ収録における蝶々さんの多くは、帝国の役人(神官)が「
Benjamin Franklin Pinkerton 」と言っているのにも関わらず「 F.B.Pinkerton
」と歌っています。
なお現行版では、「桜(ciliegio)」という台詞は全曲中わずか1回しか出てきません。第2幕で蝶々さんがスズキに「その桜の枝(ronda
di
ciliegio)を揺らすと、花びらが私に降り注ぐわ。」と言う時だけです。この後、部屋に花びらを撒いたり花束を生けたりする時も「桜」ではなく「花(fior)」としています。このシーンでは蝶々さんは「桃、スミレ、ジャスミン・・・低木や草、それに木に咲き誇ったものすべてよ。」と言うことから花は「桜」に限ってはいないことがわかります。プッチーニは「桜」に対して何かイメージを持っていたというより、「花」であれば何でも良かったのではないでしょうか。まさか平安時代以降の日本では「花」と「桜」を同義語として扱われていたことをプッチーニが知っていたとは思えませんから。日本人にとって「桜」といえば淡いピンク色で咲き乱れる春の風物詩とし、桜が吹雪くさままでも美意識の中で捉え、さらにはそれを死生観にまで結び付けてしまいますが、外国人にとってはあくまで数ある「花」のひとつにすぎなかったのでしょう。