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気まぐれな雨

作曲・作詞:関谷 守
編曲: M. M

突然の雨に濡れた私に 傘を差しだし走り去った貴方
ちょうど二年前の事でした それが二人の出逢いでした
貴方は覚えているのでしょうか 

雨が降るとよく行ったあの店
いつも座る席は同じで いろんな夢を語り合ったね
 一緒に幸せつかもうって 言っていたのに
 気まぐれな雨はいつまでも 降り続いています



雨の中を傘もささずに はしゃぐ姿は子供の様で 
私も思わず笑顔になる そんな貴方だったのに 
雨の街並をぼんやり見ていた 

ある日二人がよく座ってた席に
椿の花を残して貴方は 突然姿を消しました 
 一緒に幸せつかもうって 言っていた貴方 
 気まぐれな雨もいつかは やむと私は信じてます 


          
気まぐれな雨  〜エピローグ〜

 真守と別れて5年の月日が流れた冬のある日、紀美代はその頃よく行った街外れの喫茶店「Sea5」に足を運んだ。雨の日となれば二人でこの店に入り、いつも同じ席に座ってコーヒー1杯で何時間も過ごしていた。コーヒーの苦みと一緒に苦しい思い出を置いてきた喫茶店「Sea5」に行くなんてこの5年間思いもよらなかった。午後にはあがった雨に誘われたのであろうか。今は陽が差しているが、また降るかもしれない気まぐれな雨…。
 傾き始めた陽を背に受けて、紀美代は思わずコートの襟に手を伸ばした。そういえばどうして白いコートを今日は選んだのか、そんなことをぼんやり考えながら歩みを進めると、程なく店の前に着いた。扉に手を掛けた時、自分が過ごした5年のつらい日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。と、次の瞬間、店員が自分のことを覚えていたらどうしよう、思わず手が停まり、顔が赤らむのを感じた。俯いたまま扉を開け、チリンチリンと鳴る。あぁ、この懐かしい音、昔と変わらない。
 店員の視線を避けドキドキしながら店内を突っ切り、迷うことなく部屋の奥にある座り慣れた椅子に座る。

 「いらっしゃいませ。」
差し出されたコップの水から目を離さず、
 「コーヒーをお願いします」
とか細い声で注文する。程なく運ばれたコーヒーにも顔を上げられなかった。コーヒーが置かれる時に、カップとソーサーが微かにカタカタと鳴った。今の人はマスターだったのか別の店員だったのかもわからずに。この時、店にはマスターと紀美代のふたりしかいない。


 紀美代は壁にかかった額に目を向けた。額の中は、上半分に「 La TRAVIATA 」と古風な書体で書かれたセピア調のポスターで、ひとりの貴婦人が描かれている。そういえばあの時もこのポスターはあったわね、でも何のポスターなのかあの頃はまったく考えもしなかった。


 カウンターの奥で電話の受話器に向かって話すくぐもった声がしばらくした後は、店内には静かな時が流れる。あの頃もこんなに音がなかったかしらと記憶をもどかしそうに手繰り寄せ始めた時、突然、チリンチリンという音と共に扉が開く。白髪交じりで丸眼鏡を掛けた初老の男がヴァイオリンと思しき楽器ケースを担いで入ってきた。マスターを一瞥すると、そのまま店内を横切り、ひとつ離れた彼女の向かいに腰をおろした。暫くするとマスターが黙ってコーヒーを男の前に置く。常連なのだろうか。店に入ってきてからこれまでの間、全く口を開いていない。コーヒーの香りに包まれた店内には時が止まるような静寂が漂う。

 紀美代は何げなく男を見つめていたが、男が顔を上げたので慌てて目をポスターに向けた。男は、表情を緩め太い眉をつり上げて口を開いた。
 「失礼じゃがお嬢さん、このポスターをご覧になっていますがオペラはお好きかな?」
 「え?」
男を見ていたことを咎められたかと思った紀美代はうろたえて、
 「ごめんなさい。あ、いえ、オペラって?」
やっと質問に追いついた紀美代が答える。そういえばポスターの左中程に「 OPERA 」の文字が見える。男は微笑んで、
 「これは、ヴェルディというイタリアの作曲家が書いたオペラのポスターなのじゃよ。実のところポスターというより楽譜の表紙といったところが正しいがね。」
 「そうなのですか。以前から観ていましたが、何のポスターなのか、書かれている文字の意味もわかりませんでした。」
男は得意げに悦明する。
 「La TRAVIATA とは、イタリア語で『道を踏み外した女』という意味じゃが、『椿姫』と言えばわかるかな?日本に入っていた時に何故か『椿姫』と訳されたのじゃよ。ほら、『乾杯の歌』って聴いたことあるじゃろう?」
男は、右手でグラスを掲げる仕草をして口笛でその歌の一節を吹いた。
 「あぁ、知っています。友人の結婚式で聴いたことがあります…。えっ!椿?」
突然、紀美代の顔が蒼ざめる。鼓動が高まり、思わず胸に手を持っていく。男は彼女の変化を目ざとく見つけつつも、
 「じゃが、これは悲しい物語なので…。」
と言葉を切り、落ち着き払って彼女を見つめた。沈黙が暫くその場を支配する間、彼女の眼は大きく見開いたままだった。やおら、紀美代は立ち上がり男に懇願した。
 「お願いです。その物語の内容を教えて下さい。お願します。」


 男は驚いた様子もなく、静かに立ち上がり彼女のテーブルに歩み寄った。
 「じゃ、失礼しますよ。」
と、彼女のテーブルの向かいに腰を下ろし、彼女に水を飲むようグラスを差し出した。
 「では、かいつまんで説明しよう。なんせ2時間もかかるオペラだから。」
 「パーティに明け暮れ、数多のパトロンと浮名を流すパリの高級娼婦ヴィオレッタが主人公。この女性じゃ。」 
男は、ポスターを指さす。


 「ある貴族の館での舞踏会で、青年詩人のアルフレードがヴィオレッタに愛の告白をする。実のところ彼女は『快楽から快楽へ』と遊ぶ不摂生な毎日を送っていて肺炎を患っていたのじゃが、隠れて咳き込む彼女を見た彼は、あなたをお守りします、と真実の愛を訴える。夜明けがきて別れ際に彼女は白い椿の花を渡して、この花が萎れる頃にと、再会を約束する…。」
紀美代は思わず身を乗り出す。「白い椿」という言葉に反応しているのがわかる。
 「その後二人は、パリから離れた郊外で愛の巣を営み健康で幸せな日々を送る。…少々唐突じゃがね。ところが、幸せは長く続かない…。」
紀美代の顔が曇り、次第に体が硬直していていく。
 「アルフレードが不在の時、ヴィオレッタのもとに見知らぬ紳士が訪ねてくる。自分はアルフレードの父親と名乗り…。」


 父親の登場に紀美代の目は中空を彷徨い、両膝を掴んでいた手は小刻みに震え始めた。
 「息子とは別れてくれ、故郷のプロヴァンスには許嫁が待っている、とヴィオレッタに告げる。」
 「あぁ!」
 紀美代が小さく叫んで、両手で顔を覆った。男は、慌てる様子を見せず、口を閉じて静かに彼女を見つめた。しばらくして、男は時計を見上げ、
 「おっ、時間だ。すまん、これから仕事に行かなくてはならん。なんだか悪いことを言ったみたいじゃのぉ。」
と立ちあがり、今にも崩れそうな彼女の肩に優しく手を掛けた。
 「マスターに後は頼んでおくよ。これから駅前の居酒屋で『神田川』を弾かなくてはならんのでね。そうそう、親を恨んじゃいかんよ。」
 テーブルに突っ伏し嗚咽で肩を揺らしている彼女を残し、男は楽器ケースを担いで店から出て行った。扉を開けてチリンチリンと鳴った時にマスターをチラッと見たのは言うまでもないが、その時口元から笑みがこぼれていたことを彼女は知る由もなかった。

 あれからどれだけの時間がたったのであろうか。相変わらず店には客は一人も入って来なかった。ひとり残された紀美代は、ゆっくり体を起こし壁のポスターを陶然と見つめた。何故、今まで気づかなかったのか。真守は黙って私の元を去って行った。それはパパが真守に言ったのだ。別れろ、と。紀美代は自分の不覚さに呆れ、苛立ちを覚えたが、それより、真守が私を捨てたのではと一度ならず疑った自分を恥じた。
 「ごめんなさい。」
紀美代は思わず声に出して詫びたが、その言葉は途中から嗚咽に変わっていった。
 ようやく我に帰った紀美代は、あの頃のことを懸命に思い出そうとした。でも何故?私にその頃結婚相手なんかいなかった。いや、そういえば大学を卒業した後、無理やりお見合いさせられたことがあった。すっかり忘れていたわ。2回目のデートは実現しなかった。私はその時家出しちゃったから。直ぐ家出からは戻ったけど、そういえばその時パパは憔悴しきっていた…もう二度と結婚の話しは言わなくなったっけ。

 ふと涙が洗い流した自分の顔に思いが至り、慌てて洗面所に駆け込んだ。顔を手短に整えて席に戻る。もう家に帰ろうと思い伝票を取ろうとテーブルの脇に来たところ、そこには白いものが置いてあった。白い椿の花が一輪…。
 「あっ。」
紀美代は自分の目の前が真っ白になるのと体が上の方にぐるっと回っていくのを同時に感じた。倒れると思ったその時、自分の左右の腰と片膝が何かに支えられ、背中が柔らかくて暖かい、しかし頑丈なものに包み込まれるような気がした。続いて体が右回りにゆっくり回転し、膝を緩め、腰を折るよう誘導されて椅子に深く収まった。この一連の動きは夢心地のうちにうっとりするような滑らかさがあった。次第に視界が戻ってくると自分の正面には誰かが中腰になって、まだ自分の腰を左右の手のひらで挟むように支えているのが目に入ってきた。
 「気分は悪くないですか?」
 若い男の声に我に返った紀美代は、その声が懐かしい響きで心地よい調べに聴こえた。彼女はおずおずと目を上げ、男の顔を見る。 
と、その驚きは極地に達した。
 「真守? 真守でしょ? うそ? そうでしょ?」
紀美代は泣き出すのを懸命にこらえた。椿(白)
 「そうさ、紀美代。オレさ。会いたかったよ。」
 「何処にいたの?今まで何処にいたの?私も会いたかった。」
「そこのカウンターさ。ここは俺の店さ。さぁ、これで顔拭いたら?」
と真守はテーブルに置いてあったおしぼりを取り上げ、
彼女に手渡した。
 「あれっ?白い花は?椿の花がここになかった?」
 「いや、おしぼりしかなかったよ。」
     

                                  おしまい




       
気まぐれな雨  〜エピローグ2 編曲に寄せて〜

 『気まぐれな雨』は、40数年の月日を経てこの浦和で蘇ることになった関谷氏入魂の作品です。歌詞に描かれる男女は一体誰なのかはともかく、せめて何故男は黙って去ってしまったのかを示唆したいと考え、気まぐれな関谷氏が口にするいくつかの言葉を元に、あれこれ尾ひれをつけてストーリーを組み立てていきました。男が去ったのは、「女性の親が娘の交際に反対していた」というありがちな、しかし当事者にとっては大きな壁があったからとしました。そこでたちどころに思い浮かんだのがオペラ『椿姫』。ここで登場するのは男性側の親という違いはあるものの、まさに親の意向から二人は引き裂かれ悲劇へと物語が展開します。さらに、「白い椿の花」や「セピアがかったポスター」が効果的な小道具として使われ、さらに雰囲気を作り出すことに利用できたのでした。

 歌劇(オペラ)『椿姫』(原題 La Traviata )は、イタリアの作曲家ヴェルディの代表作で、アレクサンドル・デュマ・フィスのパリを舞台とした小説を元に作曲されました。映画『プリティ・ウーマン』(ジュリア・ロバーツ,リチャード・ギア主演)の中で、オペラを2人で見に行くシーンで使われていることでも知られています。

 『気まぐれな雨』の編曲でこの『椿姫』のモティーフを盛り込むことにしました。『椿姫』には、「乾杯の歌」、「ああ、そは彼の人か」、「花から花へ」、「燃える心を」、「天使のように清らかな娘が」といったアリアの名作がちりばめられていて、そこから選ぶのはひと苦労でした。悩んだ挙句それらは使用せずに、このオペラのちょうど真ん中あたりで二人の別れに関係するシーンから拝借することにしました。アルフレードの父親から息子と別れることを強いられたヴィオレッタが抑えていた感情を爆発させる場面、Ah, no giammai! Non sapete quale affetto 「ああ、嫌です絶対に! ご存じないのですね、どれほど・・・」と歌う時のモティーフ(動機)を使いました。歌手としての歌唱力と演技力の両方を試される難所でもあります(かなりオタク的な選択ですが…。)。

 私が関谷氏と巡り合ったのは介護労働安定センターの与野での講習会でした。この出会いも編曲に盛り込みたいと思い、W先生が講義で使われたDVD『驚異の小宇宙 人体』で耳にした久石譲のBGM「INNERS〜遥かなる時間の彼方へ〜」という作品からメロディを拝借しました。また、ちょうどのこの編曲をしていた時に私がオーケストラで演奏していたアルメニアの作曲家ハチャトリアンの『ガイーヌ』というバレエ音楽から民族音楽を少しばかり借用しました。

 日本、アルメニア、イタリア、パリと世界の各地を旅してまわる気分になれる作品、青春時代に戻って甘酸っぱい思い出に浸れる作品になったらいいなという思いで曲をまとめてみました。いかがでしたでしょうか?

この曲はこちらで聴くことができます。

https://www.youtube.com/watch?v=3R-l3H-f3Rk




       
バンク・ミケルセン【Neils Erik Bank-Mikkelsen】

 デンマークの社会運動家バンク・ミケルセン(Neils Erik Bank-Mikkelsen 1919〜1990)の名前を1文字だけ替えて名付けたのが『バンド・ミケルセン』です。
 バンク・ミケルセンによって提唱されたノーマライゼーションは、社会的・福祉的な支援や世話を必要とする『障害者・高齢者』を区別して隔離するのではなくて、健常者と一緒に自然に共生できるような社会基盤を整えていこうとする実践的な福祉思想であり、『隔離施設でのサービスから地域社会での共生へ』が中心理念となっています。


            
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