ゼロの証明

 漫画もあるけど、多くは文字の創作や評論の同人誌が頒布される「第27回文学フリマ」が2019年11月25日に開かれて、「キネマ探偵カレイドミステリー」や「私が大好きな小説家を殺すまで」といったミステリ作品をメディアワークス文庫から出している斜線堂有紀が、「ゼロの証明」という短編を寄せている『強力な零』2という同人誌も売られていた。

 そして読んでみた斜線堂有紀による短編「ゼロの証明」は、大学生のとある日常を切り取り、性的な指向について女子や男子が思索するといった現代性を持った作品で、同時にサントリーの缶チューハイ「−196℃ストロングゼロ」のすさまじさも感じさせてくれる作品だった。そもそもがタイトルに「ゼロ」とあり、誌名にも『零』が使われているように、缶チューハイの「ストロングゼロ」に捧げられたアンソロジー。それぞれの作品で「ストロングゼロ」がモチーフとして登場し、ストーリーに絡んでくる。

 もちろん「ゼロの証明」でも同様。藤村という大学生の男子が小学校からの知り合いだったけれど中学校を過ぎて疎遠になっていた塔名壮一という名の友人に大学のキャンパスで再会。その塔名が過去に部屋から消えてみせる芸当をやって見せて、それがひっかかっていたらしい藤村は、もやもやとした感情を晴らそうとして再会後に塔名が部屋に転がり込んできても厭わずにいた。

 そして、塔名と部屋でストロングゼロを飲み、アルコール度数9%の強さもあって酔っ払った挙げ句、朝になって男性どうしてヤってしまったらしいと気付く。慌てたか狼狽えたか塔名がベッドに火を部屋は火災報知器が稼働するほどの事態に。とりあえず小火で済んだもののベッドは燃えたままの中、藤村は所属している音楽サークルの宴会に行って、そこで所属している女子2人に似非レズという言葉が浴びせられる様子を目の当たりにする。

 2人のうち來山はぐみという名のロリータファッションをしてお嬢様然とした1人は悠然とお茶漬けをすすっていたけれど、もう1人の深水千代子は怒り飛び出してしまう。塔名とのこともあった藤村は深水を追って飛び出していき、なぜか燃えてしまったベッドの代わりを友人に買わせるための買い物に付きあってもらうよう頼み込む。

 ホモセクシャルな行為を意図するしないに関わらずしてしまった藤村に漂うモヤモヤが、レズビアン的カップルの女子に通じるとでも思ったか否か。そこは不明ながらも以後、繰り広げられる自己の内面の探求によって、それがストロングゼロという強烈な酒のせいだったのか、本来内面にあったものなのか、小中学生の時代にすり込まれた畏敬めいたものが噴き出したのかが問われ、紡がれていく。

 來山はぐみという、似非レズを居られながらも悠然とお茶漬けをすすっていたお嬢様も合流してくるけれど、その性格がなかなかで、友人がかつて密室めいた部屋からいなくなった謎に挑みあっさりと解き明かしつつ、2人の人間関係に容赦なく切り込んでいく。そんな展開がなかなか読ませて、セクシャリティの在処といったものを考えさせてくれる。似非レズと呼ばれ憤った深水の、けれども超えられない一線を抱えていて抱いていた疚しさめいた感情も浮かび上がって、どこからが愛なのか、どこまでも愛なのかといった問いへの思索が、「ストロングゼロ」との絡みで持ち出されるゼロという数字の持つ価値とともに示される。

 深水への藤村からのアドバイスもあったからか、深水と來山は学園祭で音楽サークルのユニットとしてステージに立ち、禁酒のはずのステージで「ストロングゼロ」を煽って飛び出しそのまま北欧へとエクソダス。そこでは「ストロングゼロ」が一種、解放の象徴のように描かれる。心のたがを緩ませ、かせを外させる効果を放つ強烈な酒。アブサンだとかバーボンといったアウトローがたしなむ酒が文学から消え、景気低迷の中でワインのようなハイセンスな酒も使われるシチュエーションを失った状況下、手軽さを持ちつつ深さも持った酒として文学に使われて相応しいのかも知れない。

 そういう意味合いもあって、各方面で誕生していると言われる“ストロングゼロ文学”の中でも、オリジナリティがあってストーリー性もある「ゼロの証明」。さすがはプロの技といったところ。これを含めて來山はぐみが登場する短編などが集められた作品集があったなら、是非に読んでみたいところだけれども、果たして可能性はあるのか。noteに掲載されている「その鳥を覚えている」なども含めて読み、今後書かれれば読んでいってその面白さを確かめたい。「ストロングゼロ」を飲みながら。いや、飲んでしまってはもう小説なんて読めなくなってしまうんだけれど。本当にクるからね、このお酒。


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