幽霊作家は慶應ボーイ


 朝日ジャーナルの記者だった川本三郎氏が、1971年に発生した自衛隊朝霞駐屯地の自衛隊員刺殺事件に関連していたとして裁判で有罪となり、会社を解雇された経緯は、事件から約20年を経て刊行された自叙伝「マイ・バック・ページ」に詳しい。

 ジャーナリストがスクープを狙ってニュースソースに深入りし、結果身動きが取れなくなることは、今も少なからず起こることだが、川本氏の場合は事が殺人事件、それも過激派による公安絡みの事件であり、証拠隠滅にも関わっていたとあって、血気盛んな若者が、ちょっと行き過ぎた行動を取ったと理解してもらうには、深入りの限度を超えていた。結果川本氏は解雇、朝日ジャーナルも大幅に人員の入れ替えが行われ、少年マガジンや平凡パンチなどと並んで、若者たちの愛読誌とまでいわれた雑誌が凋落していく一因となった。

 手元に本がなく確認できないが、「マイ・バック・ページ」の中には、事件に関連して逮捕されたもう1人のジャーナリストのことが書かれてあったと記憶している。「週刊プレイボーイ」という、「朝日ジャーナル」とは対照的な雑誌の編集者もまた、自衛隊朝霞駐屯地の自衛隊員刺殺事件に関連した人物を助けたとして、逮捕されていた。

 しかし「マイ・バック・ページ」にも、産経新聞の元社会部長が著した「1970年の狂気」という本にも、逮捕された「週刊プレイボーイ」の編集者が誰で、今どうしているのかまでは書かれていなかった。川本氏が映画評論家として活躍している一方で、その「週刊プレイボーイ」編集者が今も会社に残っているのか、それとも辞めさせられて行方知れずになっているのか、ずっと謎として残っていた。

 芸能プロダクションのアミューズが母体の出版社、藝神出版社からこのほど刊行された「幽霊作家は慶應ボーイ」(1900円)という本を読んで、長い間の疑問が一気に氷塊した。著者は中原一浩氏。「週刊プレイボーイ」の編集者として活躍し、退社後は有名人のゴーストライターとしてベストセラーを何冊も手掛けた中原氏が、自衛隊員刺殺事件に関係する人物のインタビューを手掛け、逃走資金を渡したとして逮捕された人物であることを始めて知った。

 「ちょっと面白情報を提供したいのですが」という電話をたまたま取ってしまった中原氏が、事件のスポークスマンと自称する男に会い、話を聞いて記事にし、挙げ句警察の事情聴取を受けて逮捕され、裁判で有罪判決を受けるまでの経緯は、第8章の「人生は七転八起」と第9章の「極楽トンボの退社届」の2章を使って綴られている。

 ゴーストライターをしているという経歴だけを見て、中原氏も川本氏と同じように、自衛隊員刺殺事件に関連して辞めさせられたのだろうと思っていたが、実は刑が確定した後も集英社を辞めさせられることなく、別の理由で辞めていたとは意外だった。週刊誌でありながら、バックに朝日新聞社という権威を擁する「朝日ジャーナル」と、「ウソをつくなら三日持つウソを」を信条に、とにかく娯楽性を追求する「週刊プレイボーイ」との、そこが大きな違いなのだろう。

 書かれている内容からは、集英社を恨んでいる様子も、警察や犯人グループを恨んでいる様子も特段感じられない。20年という歳月が氏のわだかまりを氷塊させたのか、あるいは現在も第1線で活躍する氏の処世術故なのか、そこまでの事情は解らないが、2章分を費やして叙述していることから見ても、中原氏の事件に対する思いには、結構重い物があると勝手に推測している。

 事件に関係ない部分では、ゴーストライターとなってからの中原氏の活躍に関する叙述が最高に面白い。「ベンチがアホやから」という名文句を吐いて退団させられた野球選手の本がベストセラーになったが、そのゴーストライターが中原氏だった。また霊界の宣伝マンと自称する俳優の著作も、中原氏がゴーストを引き受けていた。

 ゴーストというからには絶対に表に立たないように務める筈。敢えてゴーストであることをあからさまにした以上は、ゴーストという仕組みに些かの批判を加えているのだと思っていたが、こちらも予想を外れていた。中原氏は著作の中で、ゴーストを使うスポーツマンや芸能人に対して、非難がましい言葉をほとんど贈っていない。「いかなる優れた作家でも協力者なしで、本を創り出すことはできないのだ」(291ページ)という言葉には、ゴーストという疚しさよりも、原著者と一体になって売れる本を創り出す編集者としての、仕事への誇りのようなものが感じられた。

 権威のカタマリのような出版社の新書の中に、原著者の口述を編集者がまとめたものがあることを最近知ったが、編集者が原著者のゴーストと言われることはおそらくない。同じく原著者へのインタビューや周辺資料などをもとに仕上げた「タレント本」も、ゴーストと呼ばれる編集者の手を経た、原著者の立派な著作物なのだと考えればいい。「幽霊作家は慶應ボーイ」を読んでいて、暴露本に付き物の居心地の悪さを感じなかったのは、自分で書かない原著者を非難することなく、ゴーストとしての仕事を黙々とこなしている筆者に、ある種の謙虚さを覚えたからだろう。あるいはゴーストとして生計を立てている中原氏の処世術に、こちががはめられてしまっただけのかもしれないが。


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