勇者にはてない

 それは、遺伝子に刻まれた恐怖であり。それは、魂に穿たれた呪縛であり。

 「勇者には勝てない」(電撃文庫、590円)というタイトルが、そのものズバリ言い表しているように、来田志郎による第18回電撃小説大賞銀賞銀賞受賞作に綴られるのは、異世界を統べる魔王の下で、覇を唱えてきた巨人に悪魔に合成獣の長たちでも、絶対の強さを誇る勇者が相手では、易々と討ち果たされ、命を奪われてしまうという真理だ。

 なおかつ転生しても、その遺伝子に刻まれた恐怖、魂に穿たれた呪縛が魔王の配下の将たちを震えさせ、戦かせ、土下座までさせてしまう。誰に? 勇者に。その転生者に。

 巨人族最強の戦士だった北瀬鉄次郎に、悪魔族の大公爵を名乗っていた相葉源治、そして、竜の頭を持った合成獣だった浦河克昭の3人は、勇者と戦った魔王が、共に異世界へと移動した時にいっしょに引っ張られたのか、そろって現世に転生して、しがない高校生をやっていた。

 魔王の将軍だった記憶は残り、手に持てるものを高速で投げられたり、コウモリを操ったり、冷たい水を発射するくらいの力は残っているものの、世界制服なんてまるでおぼつかない弱い力で、当人たちにもその気はまるでなく、高校に作った詩吟部に集まり、喋ったりゲームをしながら、平穏無事に暮らしていた。

 そこに転校してきたのが、菅田香澄という少女。鉄次郎のクラスに来て、先生に紹介された瞬間、鉄次郎は気がついた。勇者だと。あの勇者が転生したのが香澄だと。姿はまるで違う。けれども、全身から放たれる光の波動が、勇者の証として鉄次郎たち魔将の転生者たちを震えさせる。

 そんな香澄が、最初の会話で好印象を抱いた鉄次郎を追って、詩吟部へとやって来た。近づく気配を感じ、これは拙い、これは危ないと、そう思った瞬間に鉄次郎、源治、克昭の3人が咄嗟にとったのが、「申し訳ございません」と唱えて頭を床にすりつけ行う、だひたすらの土下座だった。遺伝子の恐怖、魂の呪縛、侮り難し。

 もっとも、当の香澄には勇者だった頃の記憶がまるでなく、ただ波動だけを散らしながらも、優しげに楽しげに鉄次郎たちと接する。友人が出来た嬉しさを妹の茉那にも話して、茉那はそんな3人に興味を持って、家に連れてくるよう姉に頼んだ。どういうことだと思いながらも3人は、香澄の家へと上がって、そこで出会った茉那から発せられた言葉を聞いて、即座に意識を失った。それは……。

 魔将たちは勇者にはかなわない。そんな勇者と対当に戦った魔王にも、魔将たちはやっぱりかなわない。異世界での絶対的な関係が、現世へと持ち込まれ、ほとんど忘れかけていた頃合いになって持ち上がって、いったいどうすればいいんだと狼狽える3人の姿がまず楽しい。そして、現世という場所で、さまざまな関係が育まれた状況にあって浮かぶ、敵意を上回る好意の存在が、憎しみの連鎖によって起こる悲劇が止まないこの世界に、光明をもたらす。

 自分の前世を忘れている香澄の記憶を揺さぶって、過去の関係を甦らせようと願う、かつて勇者と親しかった女性の転生者が現れ、香澄をさらって魔法陣を使い、勇者復活の儀式を執り行う。そんな時、甦った勇者によって、自分たちが消されないようにと、そう願うのが、鉄次郎たちには相応しいのかもしれない。それが悪の意識というものだから。

 けれども違った。鉄次郎たちが願ったのは、知り合って、仲良くなって、家族とも楽しげな日々を送っている、菅田香澄という少女の人格そのもののの継続だった。封じられている勇者が甦り、上書きした人格はもはや香澄とは言えない。それで良いのか。それを香澄は望むのか。当の勇者も望んでいるのか。人と人との繋がりの大切さが、そこから浮かび上がってくる。

 とはいえ勇者の力はやはり強大で、魔王による封印だって絶対に解けないとは限らない。これから先もあるかもしれない危機に、鉄次郎や源治や克昭たち魔将の末裔たちはどう立ち向かうのか。その陳腐な力をそれでも精いっぱいに発揮して、香澄を守るのか。いやいやそんな力など頼りにしなくても、勇者に拮抗する魔王の力がある限り大丈夫だろう。

 かくして拮抗は続き、波乱は起きず、けれども洩れる波動に源治郎たちは身を震わせ、魔王の言動に心を戦かせ、条件反射の土下座を繰り返す日々を送るのだ。遺伝子にはかなわない。魂には逆らえない。勇者には、勝てない。


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