ケイリン探偵ゆらち 女流漫画家殺人事件

 「クラッシャージョウ」や「ダーティペア」シリーズで人気の高千穂遙が、今は自転車乗りとなっているのは知られた話。SF関係のイベントに現れて見せるその痩身ぶりが、自転車というものがもつ体脂肪を燃やし、筋肉を付け、体を引き締める効果への信頼を与えてくれる。

 だからといって、乗れば誰もがすぐに痩せる訳ではないのは、あらゆるダイエット法に同様。続けること。そして極めることがなくてはあのボディは得られない。

 自転車に競技として乗っているプロたちは、さらにとてつもない負荷を自らに課す。どれだけでも走る。どこまででも走る。それをひたすらに繰り返す。毎日毎日。そうやって得られた肉体のみが、競輪なら急なバンクを駆け下りることを許され、ロードなら100キロを超える距離を何日も走るづけることを許される。

 もっとも、それはバンクに立つ、ロードのスタート列に並ぶための参加資格に過ぎない。そこから勝利という栄冠にたどり着くには、もっと凄まじい鍛錬と、持って生まれた才能が必要になる。

 そんな世界で勝利したいと願い、飛び込むにはいったいどれだけの決意が必要なのだろうか。高千穂遙による「ケイリン探偵ゆらち 女流漫画家殺人事件」(小学館文庫、590円)の主人公、大星由良はガールズケイリンと呼ばれる女子だけの競輪選手たちによる競技で走っているプロのひとり。そして直前までODAIBA60という国民的アイドルグループのセンターとして活躍していた。

 ニックネームは「ゆらち」。そのままでいても人気は絶対で収入も確実。けれども自分が本当にやりたいことを求めてゆらちは芸能界をあっさりと引退。叔父が競輪選手だったこと、そしてデビュー前から自転車に親しみマウンテンバイクの選手だったこともあって、ずっと憧れていた競輪の世界に飛び込んだ。

 だから覚悟は十分にあった。そして才能はともかくマウンテンバイクでの実績もあった。なおかつ芸能界は派手なようで鍛錬なくしては生き残れない世界。あれだけのステージを連日こなす体力はいったいどれほどのものなのか。そう考えれば、トップアイドルがガールズケイリンの世界に飛び込み、それなりにやっていけるのも不思議な話ではない。

 物語は、そんなゆらちが、タイトルどおりに探偵となって、女流漫画家の殺人事件に挑むというもの。競輪漫画を書きたいという漫画家の希望を受け、叔父が競輪のことを教えに通っていた女流漫画家が殺された。叔父がその日たまたま漫画家に呼ばれて、吉祥寺にある豪邸を尋ねていたこともあって疑われてしまったのを憤り、ゆらちは自分が犯人を見つけるんだといって現場に飛び込んでいく。

 現場では叔父を疑う警部が実はゆらちのファンで、会員ナンバー3ケタという古株でゆらちの捜査に協力を惜しまなかったり、女流漫画家のアシスタントたちも、古くからつき合いがある友人の漫画家もゆらちのことを知っていて、捜査に協力してくれる。何とも都合の良い話が続く。でも仕方がない、国民的アイドルグループのセンターあったゆらちなんだから。

 そこにキャラクター造形の勝利がある。元アイドルでガールズケイリンの選手で探偵物が好きな少女というキャラクターを作り上げたことで、そうでないキャラクターには無理な行動が可能になった。そんなご都合主義のカタマリのようなキャラクターがあり得ないかというと、案外にそうでもない。SMAPでも人気だった森且行は、これかという時期にSMAPを抜けてオートレースの世界に飛び込み、S級というトップクラスの選手になった。女性でも競輪でもあるかもしれない。むしろあって欲しいかもしれない。

 そして物語では、現役の競輪選手という部分がしっかりと展開に活かされている。たとえ銀座でも奥多摩でも自転車を使って走り、移動して聞き込みにまわったりする。銀座から石神井公園あたりまでプロの脚なら20分という描写などには、自ら自転車に乗って走り回っている作者の経験が生かされているのだろう。奇をてらってアイドルをガールズケイリンの選手にしてみました、といったユルい部分は微塵もない。だから読んでいて浮き上がらない。

 事件の方では、外面は良く人気もあってファンも多い女流漫画家が、アシスタントたちを絶対的に支配して自分を裏切ることを許さない頑なな性格をしていて、それを息苦しく思っているアシスタントがいたり、編集者時代に女流漫画家をプロデュースして大人気にさせ、夫の座におさまりながらも、次第に女流漫画家と対立して離婚され、編集プロダクションを開いたものの今は倒産寸前という男がいたりと、漫画の世界ならではのエピソードが重ねられる。漫画の世界にも詳しい作者だからこそ描けるシチュエーションだ。

 誰も彼もが疑わしい。とはいえ誰も彼もにアリバイがあったりする状況をいったいどう崩す? そこにゆらちがどう絡む? といったあたりが読みどころ。警察だけでは解決し得ない状況を、元アイドルで、ガールズ競輪の現役選手だからこそ突破できた部分がなくては、彼女が探偵を勤める意味がない。そのあたりをきっちりを描き込んであるから納得できる。

 もしも続きがあるのなら、ゆらちが絡む必然がやはり必要になるだろう。のべつまくなし事件に巻き込まれるような日常にはさせたくないし、自転車を愛する作者だってさせないはず。ゆらちは第一にガールズケイリンの選手であって、日々の練習は絶対に欠かさず、レースでも常に勝利を目指している。そんな一線を引かれた上で、次にどんな事件に興味を持って解決に挑んでくれるのか。そしてゆらちはどんな選手になっていくのか。読んでみたい、この先を。


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