僕は野球に恋をした

 2003年の話。大学野球で活躍してドラフト1位でプロ入りは確実と見られていた投手が、学生時代にホモセクシャルな男性が出てくるビデオに出演していたことが発覚して、プロからの指名を受けられなくなったことがあった。逆指名を予定していた球団が指名を取りやめた表向きの理由は、その選手の腕に故障が見つかったというものだったけど、AV出演が理由の大きな部分を占めていただろうことは想像に難くない。

 というのもその選手。翌年に米国へとわたって大リーグ傘下のマイナー球団と契約して、そこで活躍を見せてメジャーに昇格して、さらには1勝を挙げる快挙を見せたのだ。百戦錬磨のプレーヤーがそれこぞ何百何千の単位で世界中から集まるのが大リーグ。チームに入ることすら困難を極めるというのに、勝利まで挙げてしまった選手が故障持ちのはずがない。持っていたとしても入団させてから回復を待つという選択肢はあったはず。にも関わらずの門前払いはそれだけ日本の球団が、体面を重んじているということを現している。

 だったらその投手を採用した大リーグが偉いのかというとそうでもない。ホモセクシャルのAVに出演していたからといってホモセクシャルではないと考えたから採用しただけ。そう考えるのが妥当だろう。ゲイの人権が認められ、同性どうしの結婚すら認める認めないといった議論がされるくらいに(日本では議論すら起こり得ない)開明的な国情だけど、ことプロスポーツの世界ではゲイである、ホモセクシャルであることを認めた選手はあまりいない。表向きはゼロかもしれない。

 定められてのことではないだろう。そんなことをしたら訴えられる。むしろ選手間にそうした選手を認めない風潮があってカミングアウトできないらしい。カミングアウトすればチームメイトたちから排除され、リンチすらされかねないとある大リーガーも言っていた。むしろ日本の方が、ゲイであってもプロとして認めやすいかもしれない。戦国大名たちの衆道は有名だし、日本が誇る歌舞伎という伝統芸能は女形なくしては成立しない。AVという外道でフリをしたから排除されただけ。心底よりの性癖であると主張すればあるいは認められたかもしれない。無理かなあ。

 無理だろう。そんな前提から筆を起こして世間的にはマイノリティに属する性向の持ち主たちが、己を貫き通そうとする姿を描こうとしたのが樹生かなめの「僕は野球に恋をした」(講談社X文庫ホワイトハート、600円)。東大を出て官僚となりながらも、事なかれ主義を貫き上司を陥れても平気な周りの官僚達の姿に体を壊し心を破られた及川大周は、官僚に見切りを付けて高校時代まで野球に明け暮れた体力を支えに肉体労働をしていた。そこに訪ねてきたのが飛鳥井グループの御曹司でIT企業の社長を務める飛鳥井泰明。大周の実直な性格を買って彼を秘書として採用し、大周も泰明の期待に応えようと一所懸命働き始めたそんなある日。

 同僚たちの目に妙な感情がこもっていたことに気がついた。避ける人がいる。逆にじろじろ見る人がいる。泰明の会社を実質的に切り盛りしている風間という男は「大周くん、私は人の趣味についてあれこれ言うつもりはありません。偏見も持っていません。ただ、少しくらい自粛してほしい」と冷たく告げる。身に覚えのない大周。すると風間は証拠だと言ってあるゲイバーのホームページを大周に見せる。そこには大周と同じ顔をした長身の男が女装している姿が何枚も映し出されていた。こいつは誰だ? 考えて大周は思い至る。そしてテレビに出演しているその女装した男を見て確信する。かつて甲子園をわかせた剛球投手。けれども大学進学後に野球をやめてしまって行方をくらました従姉妹の大河であることを。

 そこから物語は急展開。大河を大周といっしょに訪ねた泰明は大河の捨てられない野球への想いを知り、けれども捨てざるを得なかった境遇を聞いて大河が、というより源氏名”江梨子”がそのままの形でいられる球団を作ると言って、本当にプロ野球チームを作ってしまう。大河の働く店には高校球界を湧かせながらも大河と同じ性癖からプロ入りを諦めた2人の選手もいて、大河とともに泰明の作ったチームに入団する。もっともそれで成り立つほどプロの世界は甘くない。ゼネラルマネジャーに就任させられた大周は普通の選手を採用しようと駆け回り、監督やコーチの候補にも声をかけたもののことごとくに断られてしまう。

 けれども大周は諦めない。大河のためという訳ではないし大河の性癖を認めた訳でもない。むしろ忌避すらしていたけれどそうした感情を超えて野球が好きだったこと、けれども官僚になるため野球を諦めなくてはいけなかったことが大周を動かした。テコでも動きそうもない監督候補を引っ張り出し、球団がフリーエージェントとなった大物ばかりを採用するため棚上げされてしまっていたかつての名選手に真正面から挑んで理解を得、不可能だと思われていた新しい球団を形にしていくその行動が、策謀と打算にあふれていたことが分かってしまった現実のプロ野球界への批判となり、また出る杭は打ち伸びた足は引っ張ることが仕事になっている官界政界への批判となって感銘を与える。真っ直ぐで真っ正直の強さを教えてくれる。

 ことあるごとに性癖を罵倒し世間から受けている差別も並べ立てる大周の言動に、ゲイへの理解や愛があるとはちょっと言えない。読んで不愉快に思うゲイの人ホモセクシャルの人もいるかもしれないけれど、そんな大周を改心させ啓蒙させる泰明という存在がここで大きな意味を持つ。幼い自分から長くは生きられないと言われながらも成人し、ひとつの会社を任されるまでになった泰明の何事にも動ぜずあるがままを受け入れようとする態度に、いろいろな人たちがいることを認め受け入れてみるのも良いんじゃないか、むしろ素晴らしいことなんじゃないかと思えてくる。

 球団が出来上がるところまでで巻は終わって、同じようにオカマの名投手がプロの世界で大活躍する川原泉の「メイプル戦記」のような展開には至らない。けれどもせっかく出来上がった球団だ。メンバーも有力選手でいっぱいだ。ここは是非にもシーズンへと臨ませ既存の古い慣習や思考に染まった球団を叩き斬る様を見せて欲しい。女性である心を肉体にも反映させたいという思いと、一流のアスリートでなくてはいけないプロ野球選手という立場の狭間で悩む大河の姿を描いて欲しい。自由な魂が躍動する姿の美しさを満天下に広めることで、ホモセクシャルの人と疑われた投手がアメリカへと渡らざるを得ないような事態が2度と起こらず、カミングアウトだって現役中に出来てそれが誰の気に止まらず、ただひたすらに純粋にプロ野球の、スポーツの面白さが選手たちの活躍する姿から堪能できる社会の訪れを期待したい。


積ん読パラダイスへ戻る