「きもさぶ」なんて言葉がちゃんと流通しているのか、それとも作者の咄嗟の判断で作られたはどちらだって良い。あるいは言葉どおりに「きもさぶ」な語感に誰も使わなかったのかもしれないが、いずれにしても女子高生が話す言葉としてこの「きもさぶ」という「きもさぶ」な言葉が登場したことが象徴しているような、世の中の少しばかりタガがはずれかかっている、もしくはすでにはずれてしまった状況を、萩原浩の最新作「噂」(講談社、1700円)は実によく現していて、読んでまさしく「きもさぶ」な気分を味わえる。

 タイトルにもなっている「噂」すなわち口コミ、英語で言うならWOM(ワード・オブ・マウスの略)が、マーケティングの上で情報の伝播手段として有効なことに着目した、新しい化粧品の宣伝を担当した広告代理店と企画会社が、女子高生を使って「その香水をつけていないと怪人に襲われて足を切られてしまう」という噂を流し始める。

 なるほど確かに噂は広まり、香水も売れるようになって来たが、しばらくして本当に女子高生が足を切られて殺害される事件が発生して、刑事たちが捜査へと乗り出す。担当したのは妻に先立たれて高校生の娘と暮らす所轄の刑事と、こちらは同業の夫を亡くした本庁勤務の美人刑事の2人がペアとなり、最初は被害者がよく行っていたという渋谷界隈を訪ね歩く。

 名前も住所も知らず、ただ顔と携帯の番号だけでつながった渋谷に集まる少女たちの間をたどっていった2人の刑事は、やがて例の「香水をつけないとレインマンに足を切られてしまう」という謎めいた噂にぶつかる。いったいどこから出た噂なのか。事件と何かしらの関係があるものなのか。広告を請け負った広告代理店を突き止め、企画を立案した企画会社へと出向き、少女たちから話を聞きながら事件の秘密を解き明かしていく。

 広告に関わる人たちの、罪悪感を抱いているのかそれとも抱いている暇なんてないのか、そもそもが罪悪感なんてものが存在しないのか分からないままに、社会的に決して誉められたものではないことでも平気でやってしまう状況には、この資本主義社会で仕方がないとは行ってもどこかに割り切れない気持が残る。

 足を切る「レインマン」の噂を仕掛けた企画会社を率いる、過去を背負いながらも表向きでは可愛く明るい姿を装っている超切れ者の美人社長が見せる、実に功利的で合理的な態度は空恐ろしくもあるが一方では余りの割り切りぶりに清々しさも感じてしまう。生き馬の目を抜く競争社会、金がすべての消費社会で生きている人間なんだということを、読んでいる大人の多くがきっと思い知らされるだろう。

 物語に関して言うならば、「レインマン」の正体の意外性はそれとして、理由として示されている部分のどこか安易さが気に掛かる。また、ミステリアスな雰囲気と強さを持っていた企画会社の美人社長の強い部分、悪辣でしたたかな部分があまり描ききられていない所にも不満が残る。「噂」によって凝縮された世の中のマイナスエネルギーが、どこかに傷を負っている人間を狂わせたんだと、タイトルにも絡めてそんなメッセージが込められているのかとも考えてみるが、やはり釈然としない気持が残った。

 それでも”渋谷系ミステリー”と臆面もなく名乗ってるだけあって、女子高生描写はリアルかはともかくリアルっぽく描かれていて勉強になる。刑事が女子高生と一緒になって事件に挑む少年探偵団ならぬ少女探偵団のような赴きもあってワクワクしてしまう。親も大人も知らない少女たちや渋谷に集まる若者たちの、決して刹那的でも非人道的でもないエネルギッシュで前向きな姿が浮かび上がらせようとする青春物語なんだと感じる部分もあった、ページを閉じようとする直前までは。

 けれども。最後の最後で背筋がゾクリと来る描写に行き当たって、一気に「きもさぶ」な気分がわきあがった。未来に向かって明るさの見えた展開にバタンと幕を下ろされた感じになって慄然とした。広がりつつある荒涼とした世界に暗澹たる気持ちになった。

 「噂」というタイトルで示した広告の功罪よりも、あるいは描きたかったのはこうした世の中のタガのはずれっぷりだったのかもしれない。「レインマン」事件の犯人が背負った「心の闇」などほの明るさの見える夜明けに過ぎないと思えるくらいに、常識的な人間では漆黒とも思える闇が日本の向かう先にポッカリを口を開けて待っていることを、萩原浩は訴えたかったのかもしれない。

 大人は噛みしめて読め。そして知るのだ。世界が変わりつつあることを。


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