歌詠川物語

 これは理想郷をめぐる戦いと喜びの物語だ。

 平谷美樹の「歌詠川物語」(つり人社、1800円)。舞台となっているのは岩手県沿岸北部を流れる歌詠川。ダム建設の危機が去って、歌詠町の人たちは川の自然を守っていこうと、18キロに及ぶ区域をフライフィッシング限定の釣り場にして、釣り人の誘致を始めた。

 キャッチ&リリースという、釣った魚は必ず逃がさなくてはいけない規則を定め、魚の育成に努め環境の整備に努めた結果、歌詠川には魚は増え、釣り人たちにとっての”理想郷”となって、広く日本中から釣り人が訪れるようになった。

 そして繰り広げられる様々な物語。仕事に行き詰まった男が、釣りに行って心落ち着かせる話があり、それからその男の後輩が、会社を辞めて歌詠川の環境を守るリバーキーパーになろうと頑張る話があり、晴れて合格した彼の姉が、どんな仕事ぶりかを心配して訪ねて来ては、フライフィッシングの楽しさを知る物語が繰り広げられる。

 高級車に乗った格好ばかりの男たちが、リバーキーパー相手に威張り散らしながらも、歌詠川でする釣りの楽しさに触れ、後に川が陥った危機に助力を申し出る物語があり、川にいつしか住みついた貴重なカワシンジュガイを、流域の皆が守り育てようとする物語がある。すべてが歌詠川と釣りをめぐる物語。釣り好きの人が読めばなるほどとうなずく展開ばかりで、すぐにでも手に竿を持って東北へと、歌詠川へとフライフィッシングに行きたくなるだろう。

 釣り人にとっての理想郷も、それを維持する人たちがあってこそ存在する。リバーキーパーとして働く若者も、それだけで生きていくことはできず、普段は近隣の民宿やショップで稼ぎを得ている。釣り好き故に釣りに近い職場を得ながら釣りに行けないジレンマは、都会に暮らしていた時には味わえなかった苦労だ。

 捕まえた魚をどうして逃がさなくてはいけないのかを、説明しても分かってもらえず、釣り人との間でもめ事が起こることもある。万人に開かれていて当然の、自然の恵みを得るのに許可が必要なのかと迫られ、地域エゴだと批判されかねない懸念をはらみながら、それでもようやく生まれた理想郷を守るため、迷わず前を向いて進んでいく歌人たちの意志の強さに、読めば誰もが深い感銘を受けるだろう。

 歌詠川の側に暮らしていた長老の松太郎が、死してもなお川を心配して若者を助け、さらにはかつての知り合いを誘いに現れて来るエピソードは、怖さではなく嬉しさによって読む人たちの心を満たす。釣りを共に楽しんでいた夫婦のうちの夫人が亡くなり、残され落ち込んでいた夫が釣りへと出向き、そこで触れた暖かさによって生きる希望を取り戻す物語に、同じ趣味を持てた老カップルの素晴らしさを見せられる。

 理想郷があまりに理想郷過ぎること、出てくる人たちがとことん清々しすぎることが、小説として果たして正しいのか。現実に起こる難問がなかなか解決されない状況を知り、何かと世知辛い今の世に生きる人たちからは、そんな疑問も浮かぶかもしれない。

 けれども、読んで嫌な気分にさせられる物語より、読んでいろいろ考えさせられながらも、やっぱり楽しい気持ちになれる方が良い。その意味で「歌詠川物語」の持つ清々しさは、釣りを知る、知らないに関わらず、現代に悩み都会暮らしに膿んだ人の心を癒し、田舎暮らしに嫌気を催している人の誇りを呼び覚ましてくれる作品集だと言えるだろう。

 自然と人間との関わりを描いた話で言うなら、稲見一良の名が浮かぶ。タイプはずいぶんと違い、どちらかと言えば冒険小説の系譜に挙げられる作家だが、「ダックコール」「セント・メリーのリボン」といった、ハンティングを中心に描いた一連の著作の読後に浮かぶ清々しさは、どことなく「歌詠川物語」と重なる。

 著者の平谷美樹は、神の死と人類の屹立を描いた「エンデュミオン・エンデュミオン」でデビューし、同じく神なき後の人類の姿を描いた「エリ・エリ」で「小松左京賞」を受賞したSF作家。東北に住んで釣りをたしなむそのライフスタイルと、自然を慈しむ気持ちが、著者にしては異例ともいえる釣りをテーマにした連作短編集を生み出した。人類の未来を描くような壮大さはなくとも、人間の生き様を描く清冽さがそこにある。

 釣りを知らない人は、専門用語や釣り人たちの行動が見えず戸惑うかもしれない。もっともスポーツがテーマの小説だって、その種目のルールを知らなければ深いニュアンスは分からない。けれどもそこに描かれる人々の心情なり、行動なりに感銘を受けるスポーツ小説は多数ある。用語解説も豊富で、読んでから眺めそうだったのかと知りまた読み返すことで、いつしか自らも釣りへの興味を抱かされているだろう。


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