アンリアル Un Real

 ウィリアム・ギブスンがジャックインして電脳空間にダイブし、東野司が京美ちゃんたちの電脳空間を自在に行き来しての活躍を描いてから幾年月。サーバーの上に構築された仮想空間に、あらゆる感覚を持って没入できるようになって起こる諸相を、柾悟郎が「ヴィーナス・シティ」で言葉として描き、内田美奈子が「BOOM TOWN」に漫画として描いてからも、すでに長い年月が経った。

 今や実現すら大いに期待できるほど、体感型のオンラインゲームは普遍の題材となって、小説や漫画やアニメーションやゲームに描かれている。小説なら川原礫「ソード・アート・オンライン」や「アクセルワールド」があり、ゲームとアニメで展開される「.hack」にも体感型のオンラインゲームが舞台として登場する。あとすこし、デバイスさえ整えば人は人としての感覚を持ったまま、仮想空間を自在に遊べるようになる、かもしれない。そんな時代だ。

 だから、「ルドルフ・カイヨワの憂鬱」で日本SF新人賞の佳作を受賞した北國浩二が、講談社BOXから書き下ろした「アンリアル」(講談社、1575円)で繰り出すビジョン、そのものから、目新しい部分を感じることはない。物語の舞台となっている体感型オンラインゲームは、中世のような世界で、プレーヤーは騎士となってミッションをクリアし、ポイントを稼ぎつつ、コミュニケーションを楽しむといった内容のもの。MMOタイプのRPGが、体感型になったといった感じで、「.hack」と大きくは変わらない。

 だからといって、今さらそうした設定の物語は必要ない、ということにはならない。実現が見込まれるからこそ、実現にともない起こるさまざまな出来事を、想像しておく必要がある。また、今という時代に漂うこの空気感から生まれ得るテーマを、物語に込めることによって、今というこの不安定で不透明で不可思議で、けれども、生きて行かなくては行けない世界における人の心の有り様を、そこに映し出すことができるのだ。

 そう、心。今だからこそ人が抱き得る心の諸相が、「アンリアル」という物語からは浮かび上がる。

 「アンリアル」というゲームに当選した兄弟。みてくれもそれほどではない兄は、性格もおとなしめで、何をやってもうまくいかない割に、それを外に向けて爆発させることもできず、あるいは性格からできないまま、ひっそりと生きている。父親がリストラにあって家に金がなく、大学進学を諦めて今はスーパーで仕事をしている兄。もっともこのご時世、正社員にはしてもらないまま、鬱々とした日々を送っている。

 対照的に弟は、見栄えもよく運動能力も高くて、中学校の頃に空手で全国大会に出て2位という優れた成績をおさめたことがある。もっとも、そこで感じた限界が、高校に進学してからの彼に空手を続けさせる夢を断念させ、今も空手部には所属しながら部活にはほとんど出ないまま、適当な毎日を送っている。

 そんな弟が学校を続けられるよう、兄が進学を諦めたことと、かつて事故に遭いそうになった時、兄が身を挺して助けてくれたこととが、弟に兄への負い目のような感情を抱かせていた。だから、「アンリアル」に誘われた時も、拒絶せずむしろ喜んでいっしょに遊ぼうとし、「アンリアル」の世界でも、最初のうちは共に行動する。

 すべてがリアルに感じられた「アンリアル」の世界で、2人は騎士団に所属して冒険を始める。そこでまず、入門の儀式にさらされ痛めつけられ、それを乗り越え仲間となってからも、クエストに勤しむというよりは、ゲーム世界に大勢いる、プレーヤーによって操作されていない、コンピュータが作り出したキャラクターをただただ殺戮していく遊びに勤しむようになる。

 日常、そうした開放感を味わえなかった兄はすぐになじんで、むしろそちらを自分の本質と考え殺戮を喜ぶようになっていく。けれども弟は、たとえ架空の存在であっても、残酷な行為にどうにもなじめずにいた、そんな折。「アンリアル」の世界に、どうにも心があるようにしか見えないキャラクターが現れる。

 あるはずがない心情を現し、起こっている殺戮を嘆き、怯える彼女を見て弟は、それがデジタルであってもおかしいと思うようになっていく。兄とは別れて騎士団を裏切り、少女を救おうと動き始める。兄はといえば、開放された感情をゲーム世界でぶつけるようになり、やがて現実世界でもそうした感情を発散させるようになって、兄弟の間に溝が生まれていく。

 心とは。それが人間であったところで、脳の働きが肉体という見てくれと連動し、過去に積み上げてきた経験や、記憶といったものと一体となって醸し出す、情報のカタマリに過ぎない。そう考えた時、たとえ人間の心であっても、それはただの記号であって、消去に躊躇がなくなっていく。

 ましてや、コンピューターのサーバー上で動くプログラムに過ぎないゲーム内のキャラクターが、たとえ心を持っていたところで、それも電子のシグナルのひとつの形。消したところで、何の迷いがあるかと考え、行動することは、決して不自然ではない。

 もっとも、逆にいうなら心とは、それを感じることができる自分という存在があって、初めて成り立つものでもある。集団の中に連鎖し、広がっていくネットワークを思うと、その1つを消し去ることは、己自身を消し去ることだともいえる。そう考えれば、心を持った存在を消そうと、剣を振り下ろす腕にも躊躇いが生まれる。

 心とは。ただの記号に過ぎないのか。それとも、己の存在をも包含した感情の総体のことなのか。心というものを挟んで、それを狩ろうとする兄たちと、護ろうとする弟の姿を通して、心の意味、心を持つ人間の存在意義について考えさせる。それが「アンリアル」という物語なのかもしれない。

 体感型オンラインゲームという、題材そのものには先例は数多い。けれども、今の時代、関係性を希薄化させている人々の状況と、あらゆる希望が簡単に消し去られ、余裕が奪われ、雁字搦めで、まるで未来を伺えない真っ暗な社会の状態に、心とは何かを考えさせることで、指し示そうとしているものがある。

 心とは。人とは。世界とは。その答えを、見つけられないまでも迫ってみるために、読まれる必要がある。そんな物語なのだ。


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