海辺の病院で彼女とした幾つかのこと

 宇宙から何者かがやってきて、地球を無茶苦茶にしてしまう。そんな設定を持った物語という点で、「明日の狩りの詞の」(星海社、1350円)の前日譚かもしれないと考えたけれど、異星人が意図的に東京湾へと隕石を落とし、地球をモンスターの狩り場にしようとした「明日の狩りの詞の」の展開とは違って、石川博品の「海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと」(エンターブレイン、1200円)には、そういった含みを持たせたような“進出”の意図はなかった模様。

 結果、人類に対する準備も配慮も行き届かないなか、煽りを食らうようにして人類が、そして地球がとんでもない事態へと陥っていく。そんな展開の発端とも言える事件が、「海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと」のメーンストーリーとして描かれる。山の近くに住んでいて、トレイルランを趣味としている上原蒼という高校生の少年が、山を駆け上った帰り際に枝にかかった透明なシートを見かけ、そして帰宅すると熱が出て体の一部が槍のように硬化する異変が起こる。

 そうした異変は自分にだけ起こった訳ではなく、周囲の人たちにも次々と異常が現れるようになり、蒼の父母の場合は肉体が鎧のようなもので覆われ命を失う。周囲でも同じような症状で住民たちが次々に死んでいく。疫病か。どこかの国が密かに仕掛けた細菌兵器の影響か。判然としないまま、なぜか蒼は死なずに生き延びるけれど、逃げ出すことはせず、奇病の封印を狙って閉鎖された地域に止まり続ける。

 ただの細菌兵器とも思えない。もっと異常な何かが起こっている。家族も近所の人たちも死んだ病気の原因、蒼を生き延びさせて、腕を槍のように変えられる異能を与えた病気の原因が、蒼が山で見かけたシートの持ち主らしい、人間ならざる存在の仕業らしいことが分かってくる。そう信じて人間ならざる存在、“魔鎧”と名付けた侵略者に戦いを挑み、駆逐しようとする勢力も現れ、両親や知り合いの仇を討ちたい感情が浮かんだ蒼も、そんな勢力と一緒になって戦い始める。

 仲間となったのは、いずれも大人たちの命を奪った病魔を生き延び、蒼のように異能を得た少年や少女。魔鎧を破壊する弾丸を放つ異能もあれば、魔鎧の防御力を無効化する異能もあって、そうした組み合わせによって蒼たちは強敵と戦い続ける。とはいえ相手は手強く、蒼とはクラスメートだった少女や少女は敗れて死に、どこかから現れた別の少女や少年たちも異形の存在たちとの戦いの中で息絶える。

 それでも、これが地球侵略への抵抗なら、命をかけて人類を守るために戦って当然。最悪のファーストコンタクトからの人類と侵略者とのお互いの存亡をかけた戦いが幕を開ける……。そう思ったら違っていた。そもそもが物語は海辺にある病院で、入院しているハルカという少女を見舞う蒼の行動から始まっている。すべてが終わった後だ。

 ちょっとした行き違いがあって大勢が死に、そして少年少女は戦いに挑んで散っていった。けれども途中で誤解は解消され、またじり貧だった少年少女たちはそこで戦いを終えて、今は免疫ができて発病しなければ生きていられる病気を傍らに、人類は新しい時代に入っている。不幸なファーストコンタクトの物語ではあったものの、最悪は避けられ、むしろそこから最善へと向かう道すら見えている。その先に何が開けるのか、見て見たい気がしないでもない。

 だったら良いのか 終わりが良ければすべて良いのか? 違う。蒼にとって父母や知人や同級生たちの命を奪われたことに変わりはなく、敵愾心を抱きならひとり走り続けようとする。それは正しいことなのか。理性としては間違っていても、感情としては理解できる。そうした矛盾を人は問われ、思考しながら次のステップへと進んでいくものなのかもしれない。地球人類が安価な兵士の供給源とされるカルロ・ゼン「ヤキトリ」や、リフトアップされた地球人類が宇宙人類共通の敵に挑まされる鷹見一幸「宇宙軍士官学校」のように。

 蒼とは違って身に帯びた病が寛解することなく、海辺の病院でだんだんと弱っていく少女を縛る、自然を尊び身を傷つけることを厭う信仰の理不尽さも問われるけれど、確実に救われるものではないのな、らそこを限りとして祝福するべきなのか、最後まであがき続けるべきなのか。現代社会でも起こっている事態への当事者でなくては示し難い解を探って身をよじる。救えたのだろうか。救うべきだったのだろうか。答えは出せない。

 悲劇を乗り越えた先、哀しみを秘めつつ心に傷を負って走り続ける蒼はこれからどこへと歩み続けるのだろう。変化して抵抗する奴らとの共存か、敵対か、別の何かか。続くものなら読んでみたいし、そうでなくても考えたい、決してひとりきりではないこの宇宙で、自分達の身にいつか降りかかるかもしれない“その日”のことを。


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