超人間・岩村

 時代はリアル青春系、なのか?

 「集英社スーパーダッシュ文庫」の第7回小説新人賞で佳作を受賞した滝川廉治の「超人間・岩村」(集英社スーパーダッシュ文庫)には、岩を指先でうち砕くような超人は一人も出てこない。光の剣を操る異能の戦士も、銀河の彼方からの侵略者も、異世界から時空を超えての冒険者も出てこない。

 出てくるのは絵を描かせても巧みなら、戦わせても強いけれども、体力面ではいささか虚弱なところのある多村豪に、圧倒的な巨体を持って周囲を威圧する存在ながらも、食べないとタガが外れてしまうところがあって扱いが難しい紳一郎・マルカーノ。ともに言動は人間離れはしていても、生物的には人間以内には収まっている。

 そして岩村陽春。多村ほどではないにしてもそれなりに強い。けれどもやっぱり普通の人間。ただし誰よりも熱血漢だ。「無理だ」「不可能だ」という言葉を聞くと、「そんなことない」と乗り込んでいって手助けしてしまう正義の心の持ち主だ。

 多村とマルカーノ。そして岩村の3人組は「アメコミ同好会」のメンバー。アメリカンコミックをこよなく愛して話し合う同好会だが、熱血の血が部活動だけに行動を限らせない。柔道部が部員の不祥事から廃部にされそうだと聞くと、廃部は行き過ぎだと手助けに乗りだし、部の存続を来める大会に選手として出場して、チームを存続へと導く。

 そんな岩村たちを内心ではライバルと目しているのが、高校で圧倒的なプリンスぶりを発揮している生徒会長の森直規という男。人読んで完璧超人。生徒会長として裏で数ある部活動の縮小廃止を進めていて、その幾つかを岩村たちによって阻止されたことがあったものの、表向きは超然を構えている。

 動くのは周囲の者たち。生徒会に所属しながら作曲の才能を発揮して学校のアイドルとなった美貌の少女が、芸能部を立ち上げたことで部員が1人になってしまった演劇部が、次のターゲットとなったのを伝え聞いた岩村たちが乗り込んでいって演劇を始めようとした時も、森の意向を斟酌した副会長の秋川守孝が、親切を装い演劇部員に取り入って役をもらい、舞台を中から滅茶苦茶にしようと企んだ。

 獅子身中の虫に岩村は絶体絶命の大ピンチ。これをいかにしのぐかという部分を見所にした物語から浮かんでくるのは、徹底した前向きさによって支えられ、飛翔していくことの心地よさだ。

 無理強いをする訳でもないし、相手の気持ちをねじまげ自分たちの正義の軸に沿わせる訳でもない。その行為や言動から、無理だ、不可能だと言って最初から諦めてしまっている人たちにほのかに残っていた火を強くして、前を向かせ歩かせ走らせ、高い山へと登らせ空まで飛ばせてみせる。

 ともすれば島本和彦の漫画に近い熱さに満ちたギャグ小説になりがちで、ライバルの生徒会長も大仰さの目立つ陳腐なキャラに陥りがちなところだが、「超人間・岩村」はトーンを抑えて誰をも人間としてリアルな造型にし、性格も飛び抜けた奇矯さは廃して、人間として真っ当な範囲に入れ込んである。

 だから、読んでいて辟易とさせられるような気分は抱かない。それでいて平板にならず、しっかりとキャラクターの魅力が発揮されるような言動をそれぞれに与えていたりする筆の運びは実に巧み。驚きの連続を楽しめる。

 連戦連勝とはいかない。今後も勝ったり負けたりするんだろう。けれどもどちらにしたってやり抜いた達成感だけは必ず残る。それを糧にできる人生を得られただけでも、十分に幸せというものだ。

 学園異能伝奇バトルばかりな昨今にあって、リアルな範疇の青春ストーリーはむしろ新鮮に映りそう。同じ集英社スーパーダッシュ文庫から登場したアサウラの「ベン・トー」しかり、杉井光の「さよならピアノソナタ」しかり、田中ロミオの「AURA 魔龍院光牙最後の闘い」しかり。リアルを舞台に選手のを描いて飽きさせない物語が確実に増えてきた。

 誰も異世界には行けないし、異能の力も持てはしない。現実の重さに沈み架空に逃げてそこに耽溺しがちな人たちにも、現実は否応無しに迫ってくる。ならば。ちょっとした気の持ちようで、現実の中でも夢を抱け夢を叶えられるんだと知った方がよほど前向きだ。

 だから、時代はリアル青春系、なのだ。


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