TUKIKAGEカフェ1

 苦いよりは甘い方が嬉しいし、不味いよりは美味しい方がありがたい。それは確かにそうだけれど、甘いものしか食べられず、美味しいものしか飲めない暮らしが、果たして幸せなのかどうなのか。

 その街では、月の住人になれば美味しいお茶が飲めるようになる。というよりは、美味しいお茶しか口にできなくなってしまう。川原由美子の「TUKIKAGEカフェ1」(朝日新聞出版、600円)に登場するカフェは、かつてその地でもっとも高かった山の頂上にあって、月からおりてきた人たちが、マダムの淹れた美味しいお茶を楽しんでいる。

 山頂といっても、今はまわりをとてつもなく高いビルが取り囲んでいて、カフェはビルの間にぽっかりと開いた、穴の底のような場所にたっている。普通の人がビルの方からカフェに行こうとするなら、門をくぐって長い長い階段をくだっていかなくてはならない。応募もしてないアルバイトとして採用されたと、ある日とつぜんカフェから連絡をもらった少女も、長い階段をおりてどうにかこうにかカフェへとたどり着く。

 けれども月の住人は、階段なんて使わないで、どこからともなくカフェに現れ、お茶を嗜んでから知らないうちに月へとかえっていく。どうしてそんなことができるのか。それは死者だから。その街で死んだ人は、月にいちばん近いその山の上から、月へとのぼっていった。だから山頂がビルの谷間の奥底になってしまったい今も、旅の途中に通った場所を思い出すように、山頂にあるカフェへと戻って来る。

 マダムがアルバイトの少女に言うには、月の住人たちは真新しい葉で淹れたお茶しか飲まない。少しでも時間が経ってしまった茶葉は、それが生きている人たちにはじゅうぶんに美味しいお茶が淹れられる葉でも、カフェでは使えないという。アルバイトの少女はそんな茶葉を持って帰って、現実の世界にいる友人や、マダムの知り合いに淹れてふるまう。

 その日もマダムに頼まれて、年若い男性が祖父と親しかったらしい老女たちを集めたお茶会へと呼ばれていって、いろいろな種類のお茶を淹れる仕事をする。マダムから教わった淹れ方で、どうにかこうにか老女たちの口に合うお茶を振る舞えたと安心する少女。ところが、そんなお茶会をしめるように振る舞われた、年若い男性が淹れたお茶をひとくち飲んで、少女はあまりの不味さに絶句する。

 淹れ方に問題はなかった。手つきはマダムにも負けないくらい鮮やかだった。それなのに。口にふくんだ分を飲み干すだけでも苦労するほどの不味さ。それを老女たちは平気で飲み干し、少女にいう。もうすぐ月の住人になる自分たちにとって、あんな不味いお茶が飲めるのもあと少しなんだと。

 生きているからこそ感じられる苦しみがあり、それでも生きていられるからこそ感じられる喜びがあるのだと、老女たちの振る舞いが教えてくれるエピソード。街の人たちが病気になったときに食べさせられる、苦くて不味いゼリー菓子も、生きているからこそ、生きていられるからこその味。そう思うと、何だって受け入れられるうちに受けれようと、心は上を向き、顔も前を向く。

 マダムが見た少年のころには、鮮やかな手つきにそぐう、美味しいお茶を淹れられていたという年若い男性が、どうして不味いお茶しか淹れられなくなってしまったのかは、どうやら街に伝わる「一週間」のおまじないのせい。手のひらに願いを囁いて、それをリボンでしばって隠し、会う人すべてに願い事をたずねて、言い当てられなければその願いがかなうという。

 そんな不思議な、そしてちょっぴり怖い伝承を交えながら、アルバイトの少女の友人が、願いをかけてから一週間をほとんど誰にも会わずに過ごした後、少女を呼んで月の住人かもしれない作家を偏愛している話をしたら、願いがかなって当の作家と巡り会えてしまったエピソードも添えて、現世と月がつながり、おまじないがかなってしまったりする、さまざまな不思議が漂う街の姿が、「TUKIKAGEカフェ」には描かれる。

 カフェに現れた美少年の俳優が、言葉にはしないで水の粒にしてばらまいた思いをかき集め、その思いをまだ現世にいて、少年がそっと見ていた女性に届けてあげたり、カフェを占いの館と勘違いしてやってきた、口やかましい老女の相手をしたり、カフェの周辺に漂う糸くずのようなものに、まとわりつかれて繭になってしまった少女を助けたり。

 そんな、常世と浮世の交点で、両者を結びつけるようなエピソードたちが、生きている今と死んでしまったこれからを考えさせる。有永イネが小川洋子の原作を元に描いた漫画で、生と死のはざまにあるような商店街を舞台に、少女が生と死を橋渡しするエピソードが詰まった「最果てアーケード」(講談社)と比べ並べてて読んでみるのも良さそうだ。

 頼んでもいないのにアルバイトに雇われ、鳥に頭をつっつかれてやれやれといった顔を見せながら、それでもカフェに通いつづける少女がどうして、マダムに選ばれたのか、その理由はあるのか。街にはほかにも、いろいろな不思議がつまっているのか。漫画というより絵物語のような雰囲気で、端麗な絵に言葉がそえられたページをめくりんがら、エピソードをたどっていく「TUKIKAGEカフェ」のこれからを、興味を持って見守っていこう。


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