プリンセス・トヨトミ

 どうして大阪だったのか。大阪だからだったのか。それだから大阪になったのか。

 豊臣秀吉が大坂(=大阪)の地に築城した理由。貿易港の堺を側に置き、織田信長を苦しめた難攻不落の石山本願があった地で、京都に近く、東国にも西国にもにらみを利かせやすかったから。

 それは分かる。問題はそうやって開かれた大阪が、どうして陽気で反権力の気風を持った人たちが住まう地になったか、だ。

 主君と仰いだ秀吉の末裔を討ち、江戸に幕府を開いた徳川を疎んじたからか。けれども下克上の世に主君が入れ替わるなんて、各地で日常茶飯事に起きていた。秀吉に屈した小田原の北条氏を、後々まで小田原の民が慕い、大阪を敵視した、なんてことはない。

 もとより大阪の地に住まう人たちに、その地を天下の中心と定めた秀吉を認め、慕う気風があったのだろう。なおかつ秀吉の持つとことんまで陽性な雰囲気に、大阪の地に住まう人たちが感化されていったからなのだろう。

 陽と陽。それらが合わさり重なり合ったところに生まれた気風が、大阪を形づくり、大阪の人々を染めあげ、そして今の「大阪」を作り上げている。

 大阪だから豊臣であり、豊臣だから大阪なのだ。そんな、空気のように目に見えなくても漂っている気風を、改めて浮かび上がらせようとしたのが、万城目学の「プリンセス・トヨトミ」(文藝春秋、1571円)という小説、なのかもしれない。

 東京にある会計検査院から、大阪府庁の検査に3人がやって来た。検査の厳格さから“鬼の松平”と異名を取る副長の松平を筆頭に、ぼんやりとしながら妙なところで冴えた勘を示すものの、それくらいしか取り柄のない鳥居という男と、そして目は外国人モデルといった雰囲気ながらも、喋れば日本語で大阪弁すら話してしまう旭・ゲーンズブール嬢。

 3人は大阪府庁に陣取り、帳簿を調べ出納を探り、府庁を出て現地に赴いては予算が適切に使われているかを調べ上げていった。そんな中で気になった場所がひとつあった。OJOという名の社団法人。最初は鳥居と旭が連れ立って訪ねていったものの誰もいない。メモを残しても音沙汰がない。

 1週間の検査期間中に結局は誰とも会えず、帰朝しようとした時に、松平だけが父親の墓参りを理由に大阪に留まって、OJOについての調査を続行した。

 東京に戻った鳥居と旭も、OJOのことが気になって調べてみた。すると、普通だったら3年なり5年といった間隔で検査が繰り返されるはずなのにも関わらず、OJOについては何と過去35年間も検査が入っていなかった。

 OJOにはいったい何があるのか。奇しくも35年前に大阪城が燃え上がるという不思議な光景を目にしていた松平が、その事件との関わりも気にしながら、OJOの謎を探求ていった果て。地の底に眠る大阪の中心が現れ、大阪という地が400年にわたり拠り所にしてきたものが浮かび上がる。

 それは、今なお受け継がれている反徳川、反中央、反権力的という大阪に生まれ育った男たちの心の神髄。弱きを愛で、強きを退けては快哉を叫んで喜ぶメンタリティーに、どうして大阪の男たちがあるのかが見えてくる。

 なおかつ、そんな男たちの“ええかっこしい”な態度を下手に出て黙認しているようで、しっかりとコントロールして支え、引っ張り大阪を盛り立て続けてきた女の度量といったものが、くっきりと浮かんではその凄さに敬意を覚えさせる。

 中央に流され気味な今時の世間にあって、地方の底力というものが物語から立ち上がっては、高らかに声を上げ、地方に生きる者たちに勇気を与える。

 大阪の閉鎖地に生まれ、育まれた鉄を喰らう男たちが、最後に世界を変えてしまった小松左京の「日本アパッチ族」のような、スケールアップしていくるスペクタクルとは遠い。井上ひさしの「吉里吉里人」に代表される、地方の反乱といったポリティカルフィクションとしてのスケールにもやや欠ける。

 もっとも、SFや文学やライトノベルに慣れている一部の読者に向けて、設定をフルチューンさせれば、どうしても分かりづらさが前に出る。「鹿男あをによし」のような、日本を天変地異から護るという設定ですら、飛びすぎていると思い眉を顰めてしまうのが一般の読者だ。

 だから、無理にチューンを高めて読者の範囲を狭めるよりも、現行のシステムで可能な範囲で護り続けることこそに意味あるのだという考えのもと、組み上げられた物語として一般性を持たせる方が、メッセージを広い範囲に届ける上で、有効なのかもしれない。

 かといってヘンテコ性がゼロではつまらない。一般性をやや超えたところに少しの不思議を見せつつ、現代のモヤモヤを晴らしてみせる。万城目学ならではのタクラミが効いた作品と言えるだろう。

 地元にあってストーリーに関わる中学生の少年で、自分は女の子になりたいとセーラー服を着て学校に通っては、暴力団の組長の息子に虐められ、幼なじみの少女から護られてばかりの真田大輔の独特なキャラクターが、ストーリーの本筋に大きく関わっているように見えづらい点がややひっかかる。

 単純にいじめられっこで、幼なじみの少女に護られているという設定ではいけなかったのか。少年に少女性を持たせるなら「プリンセス・トヨトミ」という設定そのものに絡めるという手段はなかったのか。

 もっとも、やりすぎると複雑になって分かりづらくなるのも道理。さらに、ラストにすべてが開かされる際に、最適な聞き役として少女になりたい少年という属性が大きく物をいう。これからも裏に隠し、表では互いに知らないふり、知らせないふりをして生きていく大阪の男たち女たちを、大輔がつないでいくことで次の400年も大阪は、「プリンセス・トヨトミ」の地であり続けるのだ。


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