遠野小説

遠野小説

 荒木経惟のファンではあるが、荒木経惟の全ての写真が好きというわけではない。全面的な帰依を求める熱狂的なファンから見れば、こういう態度は裏切りともご都合主義とも非難されるべきものなのかもしれないが、自分の嗜好には逆らえない。荒木経惟が撮った女優や、アイドルや、有名人の写真は、モデルがアラーキーのパワーに負けていたり、逆に自己主張しすぎていたりしてバランスが取れておらず、見ていて楽しくないことが多かった。

 過去にアラーキーが出した有名人をモデルにした写真集は、そんな理由からこれまで買わずにすませていた。桐島かれんも白都真理も川崎亜紀(浅香唯)も水島裕子も、その他いろいろあったアラーキーのモデル写真集は、だから1冊も持っていなかった。今日までは。

 荒木経惟と藤田朋子の共著になる写真集「遠野小説」(風雅書房、3800円)を買ったのは、多分魔が差したからなのだろう。スケベ心とも言い換えられる。そっちの方が正解か。「荒木経惟のファンだから」という理由は半分当たっているが半分ウソ。ともかくも、連日ワイドショーで報道されたこと、藤田朋子という子供っぽいあどけない表情をした、ポール・マッカートニー大好きの女優のヌードとはどんなものなのか、興味津々だったことが、購入の最大の動機だ。あと1点、もしかしたら出版停止、絶版、回収断裁処分といった具合に進んでいって、将来値が出るかもしれないなどといった、さもしい心根が働いたからなのかもしれない。

 本屋で立ち読みした白都真理や桐島かれんや川崎亜紀や水島裕子の写真集と同様に、藤田朋子の写真集もやっぱり、アラーキーの写真集以外の何物でもなかった。青と赤がどぎついまでに映えているカラー写真、動きの瞬間をとらえて定着させたモノクロ写真、うつ伏せになって腰を突き上げたり、着物の裾を割って股間をのぞかせたり、足を広げて股間をさらけだしたりといった構図は、どれもアラーキーの写真集ではお馴染みだ。どんよりとした空、なんでもない建物の写真、風景、それらを効果的に挟み込む手法も同様。アラーキーの写真集ではいつも、デザインを手掛けている鈴木成一の仕事も、愚直なまでにこれまでの手法を踏襲している。

 買ったから贔屓目で見ているのかもしれないが、藤田朋子の写真集は、被写体が主張しすぎず、かといってアラーキーのパワーに呑み込まれることもなしに、実にバランスの良い関係が出ていて、見ていて心地よかった。あっけらかんとした藤田朋子の表情には、脱いだことへの後ろめたい気持ちも、迫ってくるような息苦しさも感じられない。ワイドショーで話題とならなければ、純粋な気持ちで楽しむことができたのにと、ちょっと残念に思った。

 流通してしまった以上は、今後は回収処分なり、約束不履行の損害賠償といった問題が起こって来ることになるだろうが、少なくともアラーキーには、自制とか自粛とか、あるいは圧力とか非難といった雑音とは無縁に、パワー全開で写真を撮り続けて欲しい。まあ、頼んでも自制する人じゃあないけれど、アラーキーは。

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