遠くへいきたい


 4コマだったら「起承転結」なんてスタイルにあてはめて構造を分析することができるのに、9コマなんて過去に類を見ない変則的な漫画、いったいどんなスタイルを当てはめて構造を分析すればいいんだろうって、とり・みきさんの「遠くへいきたい」(河出書房新社)を読みながら、いつも頭を悩ませている。

 まず思いつくのが、むかし倫理社会の時間に習った弁証法の「正反合」。9コマだったら3の倍数だから、3コマづつ括(くく)って最初の3コマを「正」、次の3コマを「反」、最後の3コマを「合」と見なせばいいのかって思って漫画を読み直してみても、なんだかどうもしっくりこない。

 例えば、冒頭の雪原でたきたかんせいくんが雪原を歩いていてカマクラを発見する漫画。最初の3コマがカマクラをのぞくまで、次の3コマがカマクラの中のお花畑でたぶん父親と母親を見つけるまで、次の3コマが手招きをする両親をよそに後ろを振り向いた瞬間、潰れたカマクラから掘り出される場面までが描かれている。

 この場合、カマクラをのぞく行為が「正」ってことになるけれど、そこに両親を発見するのが「反」ってことには、ちょっとなりそうもない。そもそも弁証法ってのは、ある見解に反証を加えてよりガッチリとした論理を構築していくための手順みたいなもの(だよね、倫理社会成績悪かったんだ)だから、ストーリーの構造を分析するために用いるなんて、根本的に無理筋なんだよね。

 とすれば、やっぱりしっくり来るのが日本の古典芸能にお馴染みの「序破急」に当てはめた構造分析ってことになる。これをカマクラの漫画にあてはめると、雪原でカマクラを見つけたたきたかんせいくん(「序」)、一転中にお花畑を発見して両親に出会って吃驚仰天(「破」)、手招きされて揺れ動き、けれども踏みとどまって現世に戻って大団円(「急」)といった具合に、実にぴったりあてはまる。ちょっと無理矢理かな。

 やろうと思えば「序破急」のそれぞれに当てはめた3コマを、さらに1コマづつ「序破急」で分析することだってできる。15ページの「犬バルーン」の漫画(タイトルは勝手につけてるだけだからご容赦)だと、ガケの先っぽに佇むたきたかんせいくん(「序」)、その横をその場所に不釣り合いな犬を連れたブラシ鼻の男性が通り過ぎ(「破」)、あろうことか犬にひかれて空に舞い上がってしまう(「急」)と、まあこんな具合。

 次の3コマはブラシ鼻の男性が犬にまたがった女の子に変わっただけで構造はいっしょ、ただし全体を3コマづつに区切った場合の「破」として、置かれた現状にたきたかんせいくんがちょっとだけ疑問を抱いてうろたえる心証が描かれている。最後の3コマは3コマづつ区切った場合の「急」として一気に真相が明かされるから、1コマづつがあまり「序破急」って感じがしないけど、そこはまあ無理押しに「真ん中のコマは初めてたきたかんせいくんが後ろを振り向いたから『破』なんだあ」と、言って言い切って言い抜けられないことはない、かもしれない。

 今の日本では、新聞や雑誌に、日々山のような4コマ漫画が掲載されている。たぶんそのほとんどが「起承転結」の構造で描かれているから、読んでいる僕たちの頭は、その4拍子のリズムにすっかり馴らされてしまっているんじゃないかな。あるいは後天的に「物語の構造は『起承転結』が基本」だなんて教え込まれて、4コマ漫画を描き手はそのように描かなくてはいけない、読み手はそのように読まなくてはいけないと、そう思いこんでいるだけなのかもしれない。

 そんななかに突如投げ入れられた9コマ漫画に、さほど違和感を抱かずするりと入り込めたのは、日本人が古来より綿々と受け継いできた「序破急」のリズムが、血肉となって体のすみずみまで行き渡り、遺伝子の1つ1つに刷り込まれているからなんじゃないだろうかと、「遠くへいきたい」の1編1編を読みながら、そんな気が沸き起こって止まらない。理性ではなく感性が反応してしまったってところでしょうか。

 そういえば「俳句」だって、最初の五文字を「序」、次の七文字が「破」、最後の五文字で「急」って具合に、三拍子のリズムが使われていて、それが日本人の心にとてもしっくり来るんだよね。もし仮に「遠くへいきたい」を外国語に訳して、アメリカでもイギリスでもフランスでもいいから持っていったら、果たしてどんな反響を受けるんだろう。まあ最近は、日本の俳句を英語で楽しむ人が増えているそうだから、もしかしたら「オー! ハイクマンガ!!」とか言われて、人気が出ちゃうかもしれないね。

 それにしても、九四年に東京ニュース通信社から刊行されたばかりの「遠くへいきたい」が、収録本数は増えたけど版形が小さくなって別の出版社から刊行されるのって、いったいどういうことなんだろうって、手元にある東京ニュース通信社版と新しい河出書房新社版とを見比べながら考えこんでしまう。どうせだったら同じ版形で続きを出して欲しかったなあ。その方が本棚の収まりも良いんだよね。


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