風流圭男

 世界は大きい。でも日本だって大きいし、名古屋だってあれでなかなか巨大な街だ。それが証拠にこんな人がいて、こんな会社があったということが現在、たいして知られていない。堀田時計店。そして初代堀田良介にはじまる歴代の経営者たち。その破天荒な所業とそして生き様を、いったいどれだけの人が知っているのか。

 知っていない。なるほど。別に知らずにいたって良い。いやいやそれは勿体ない。とにかく破天荒。そして運命的。何より人情と粋にあふれたその所業や生き様に、触れれば人間誰しも憧れ震えるはず。そして壁を感じ息苦しさに溺れそうになっている身を前へ、上へと進めたいという気になるはずだ。

 どうやって知れば良い? 竹内清人の「風流時圭男」(幻冬舎、1500円)を読めばいい。始まりは名古屋。大曽根という「名古屋ドーム」が建っていることで今は全国にも知られる街に置かれたプレハブ小屋に、相田俊樹という名の若者がやって来る場面から幕を開ける。プロのオカリナ奏者で、いよいよレコードも出してもらえるという時に、レコーディングしていたスタジオにかかってきた電話が彼の運命を一変させる。

 父が倒れた。銀座に本社を置く時計商の社長だった父が脳梗塞になって業務に支障が出たため、家族や役員たちから後を継ぐようにと要請された。経営者の素養はない。大学を出てからずっと各地をさすらい、音楽家としてそれなりのポジションを得た矢先。だから躊躇った。会社発祥の地に置かれた名古屋の倉庫にやって来たのは、東京の本社に置いてあったアンティーク時計を戻すよう、父親から頼まれたからで、社業を継ぐかはそれから改めて考える気でいた。

 しかし変わった。変えられてしまった。プレハブ小屋の屋にあった土蔵で地震に遭って気が付くとそこにいた曾祖父、相田禄造の幽霊が語ったことが俊樹の心を動かした。この禄造、神主の家系を捨てて時計店を興し、屋上に時計塔を建てて評判を取った父親のアグレッシブさを見つつも、家業を継ぐのは厭だと兄に任せて家を飛び出し、芸者の娘と駆け落ち同然で京都に出奔。けれども添い遂げられず別れて戻り、それから東京へと出て株屋で働き始める。

 得意先が妾としてかこっていた清元の師匠、菊奴のことが何故か気になり、菊奴からも気に入られる関係になったものの、そこは違う世界の住人だけあって結婚まではいかず、一方で得意先から持ち込まれた縁談には、箱入り娘を連れ回してかっぽれを踊らせ、娘の親から不興を買って無理に破談へともっていこうとしたらこれが逆効果。娘にいたく気に入られ、その激情に親もほだされ禄造も逃げられずそのまま結婚。菊奴の家の離れに最初は暮らし、やがてそこを出て古道具屋を開き商売を始めたところに関東大震災が襲いかかる。

 突然の悲劇。それが禄造の生涯には影のようにつきまとう。原因は蛙だ。子供の頃につぶしてしまって供養しなかった蛙が、最初は頭の上に乗って禄造の体を害し、その後も事ある度に化けて出ては順風の生涯に影を射す。ただ対抗するように熱田神宮の白馬が守り神となって現れ、関東大震災では禄造の一家を熱風から救い、焼け出された菊奴も引き連れ無事に名古屋へと帰省させる。

 家業を継いでいた兄が突然に死んでしまう蛙の祟りめいたこともあって、遂に禄造が家業を引き継ぐことになった後は、空を飛ぶ飛行機からビラを撒き、岡崎に来ていたサーカスの象を借り出して通りを練り歩かせる派手で破天荒な宣伝を、どこよりも先に行い商売を繁盛させていく。息子2人を戦争にとられ、1人を失う悲劇にも、残る1人が独り立ちして家業を継いでこれまた繁栄させていく。

 望む未来はつかめずとも、望ましい今日を過ごせる人生。愛する人と添えずとも、愛せる人を得た人生。流されているようで、流れをつかんで引き寄せそして新たな流れを作り出す。そんな禄造の人生を聞かされて、俊樹の心に名古屋行きを押しつけられた時とは違った感情がわき上がってくる。もしかするとそれを聞かせたくて、俊樹の父は無理にでも用事を言いつけ、時計を名古屋へと運ばせたのかもしれない。

 もちろんこれはあくまでフィクション。架空の言葉で紡がれた小説だ。語られる相田の一家の偉績、禄造の言動がそのまま堀田の一家の業績、堀田六造こと八二朗の言動と重なっているとは限らない。

 入れ込んだ清元の師匠を震災から助け、妻ある身でありながら地元に招いて世話をし、没後も供養し続ける。かつて駆け落ちした娘が、別れて後に女将となっている料亭に赴き、旧交を温めつつその娘が弟と添おうとしてやはり遂げられずとも、後に彼女が暮らすニューヨークへと息子を連れて尋ね、そして2人だけの時間を作ってあげる。人情味あふれる行動や言葉を、現実のものと捉えるべきかは判断に迷う。何しろ格好良すぎる。

 幻冬舎メディアコンサルティングという、企業のブランディングを支援する活動を行う出版社が発行元になっていることも、ホッタという企業のイメージを良くするために、多大のフィクションを交えて書かれたものだとみなされる要因になる。けれども明かな嘘を美辞麗句で飾って繰り出せば、すぐさま嘘だと見抜かれ逆にブランド価値を下げるだけ。こうして出ている以上はやはり、そこに多大の真実が混じっているのだと考える方が妥当だろう。堀田八二朗が書いた同名の自伝を土台に書かれた小説だという部分も、真実の濃さを高めてくれる。

 現在も堀田時計店はホッタと名を変え東京に拠点を移して健在で、ロレックスといった高級腕時計の販売の世界で有数の地位を保っている。堀田時計店を作り時計台を掲げた創業者もいれば、飛行機からビラを撒き像をつかってパレードを行った3代目も現実の存在だ。ならば書かれた人情話も、現実を模倣している可能性は否定できない。

 だいたいフィクションであっても、そこに浮かぶ人情は心を癒す。生きる大変さを教え生き抜く大切さを教えてくれる。読めば脚本家として知られる著者が繰り出す、清元に落語といった芸能を織り交ぜながら風情を語る文体の軽やかさに乗せられて、破天荒な男たちがいたという事実を知り、そして人情にあふれた生涯というものが感動を与えてくれることを知るだろう。知れば俊樹のように、そして俊樹と同じようにオカリナ奏者でありながら30歳を前に社長業を継いだ現実のホッタの社長のように思うはずだ。

 ほかの誰でもない自分の人生を、俺だけの人生を全部ひっくるめて生きてやろうと。


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