タイタン

 仕事とは影響である。そんな示唆を得られる物語として、野崎まどによる新作長編「タイタン」(講談社、1800円)を読んでしまったのは、長く勤めた仕事先を辞めてしまって1年ほど、仕事とはいったい何だったのかを、ずっと考え続けて来たからだろう。

 物語の舞台となっている2200年代の世界は、タイタンと呼ばれる世界12カ所の拠点に設置された人工知能によって万遍なく管理されていて、生産だとか流通だとかいった作業から人間は解放されている。食べ物でも衣服でも住居でも、必要な物がいつでもどこでも手に入るようになれば価値は無となり、対価を得るための仕事は不要となって、誰もが自由に生きている。

 内匠成果という女性も、仕事になど就いたこともなく、趣味で臨床心理学を学びつつフィルムで写真を撮って毎日を過ごしている。タイタンに聞けば、自分とベストなマッチングの相手も探し出してくれるから、交流関係にも不自由していない。

 どこか「PSYCHO−PASS サイコパス」シリーズのシビュラシステムにも似たところがある仕組みだけれど、「PSYCHO−PASSの」世界では、人が未だに社会を動かす原動力となっていて、仕事を分担して生産や流通といった機能を担っている。「タイタン」では、生産も物流も調理すらもAIのタイタンがやってくれるから、人はただ生きているだけで何もしなくて良い。

 なんという素晴らしい世界! 今すぐ訪れて欲しいけれど、それにはタイタンなる万能の人工知能が必要だから難しい。おまけに、その万能なタイタンに不具合が出ているということで、内匠成果が仕事をすることになってしまった。ところが、その世界で“仕事”なる概念がすでに希薄化していて、誰かのために何かをして対価を得るといった行為を内匠も含め、多くがしたことがなかった。

 “仕事”とは何か? そんな問いかけが、内匠成果による自問として繰り広げられる。同時に、小説の底流から問いかけとして浮かび上がってきて、新型コロナウイルスで大勢が家に引きこもって、いつもとは違った形態の仕事をしていたり、仕事そのものを失って迷っている状況下にある人々をハッとさせる。

 内匠成果は、押しつけられるような仕事などやりたいとは思っていなかった。それが、半ば罠にはめられるようにして引っ張り込まれる。ナイレンという男が上司となり、タイタンの第2知能拠点に行って2号基となるコイオスの不具合を確かめるために、カウンセリングをしろと内匠成果に命令を下す。

 上司から部下に業務命令が下って、それをこなすという仕事では当たり前の概念すら縁遠い内匠成果には、なかなか理解が追いつかなかった事態。同意もしがたい状況だったけど、断れば冤罪で陥れられるとあって、言うことを聞くしかなかった。それにコイオスという人工知能を相手にカウンセリングを行うことに、内匠成果はだんだんとハマっていってしまった。

 タイタンとはいったいどんな人工知能か、その中のコイオスといはどういった存在かといったところで示される、とてつもないスケールのその仕組み。当初はまったく成立しなかったコイオスとのコミュニケーションが、何度もの対話を通してだんだんと成立していく過程は、自我なるものの形成か、あるいは「我思う故に我有り」という哲学めいた概念の表出を思わせる。  そうやって自分を作り出していったコイオスが、内匠成果のある種の檄によって見せるその姿がまずは凄まじくてとてつもない。あり得ないスケールを構想されたテクノロジーが支え、実現させるあたりにSFならではの想像力の可能性が見える。

 そこに至るまでに打ち出された数々のテクノロジー、ホログラムが超進歩したようなテクノロジーがさらに大きく発展し、光成型の3Dプリンタが超進化したようなテクノロジーが打ち出される。メディアアーティストで大学准教授の落合陽一が、微粒子を使って超音波により中空に立体を現出させようとしていたけれど、そうしたテクノロジーをさらに推し進めて空間に何かを現出させるテクノロジーがもし、実現すれば世界はちょっと面白いことになりそうだ。

 そうした描写とは別に、コイオスがどうして調子を崩したのかといったところで、繰り返し問われるのが仕事の意味だ。仕事などしたことがなかった内匠成果とは反対に、人類に貢献するという仕事しかしていなかったコイオスが調子を崩したのは、そうした仕事が嫌になって鬱になったのか、それとも別の理由があったのか。そんな検討が示される。

 それはスケールこそ違え人間にも当てはまること。自分で納得するだけでは追いつかない、他者からの評価を得るなり外部に影響を与えていることを実感するなりがあって、初めて仕事は納得の行為になる。そんな主張がうかがえる。

 なるほどと思わされる主張。家で無為に日々を過ごしていると溜まるこの空虚さを、晴らそうとネットに書き込み<RT>されるかを眺めるだけで、何か仕事をしたような気になれる。決してそうではなくても、影響を与え反響を得る喜びがなくしては、やはり仕事は仕事として成立し得ないのだろう。

 つまりはやり甲斐。それが得られない仕事をするより、毎日をやりたいことをやって過ごす方がどちらがましか。対価という問題が横たわるため簡単には結論は出せないが、人間にとって最良の選択をするべきなのかもしれない。

 「タイタン」では、そうした仕事に対する悩みが、人工知能のレベルでも繰り広げられる。その解消のために繰り出されたプロジェクトが凄まじい。それこそ環太平洋レベルのプロジェクトの果てに来る1000メートル規模の逢瀬の果て、人類と人工知能がたどり着いた境地に震撼しよう。


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