河内遙時代短編集 チルヒ

 4冊同時刊行。それも出版社の枠を超えての刊行には、新鋭の漫画家に話題を無理矢理作って売り出そうとする企みを超越した、作家への高い評価があったのだと信じて良いのだろうか。そう感じたのならばまずは1冊、「河内遙時代短編集 チルヒ」(小池書院、933円)を読んでみればいい。河内遥という漫画家が、4冊同時の刊行に値する才能の持ち主だと、強く実感できるはずだ。

 冒頭に収録の表題作「チルヒ」。川岸に繋がれた船の中で、春をひさぐ遊女といより夜鷹に近い身の女が登場する物語。見目麗しい女だが、どうやら脚が不自由らしく、遊郭には入れず船でしか仕事ができないらしい。そんな不遇な女を買いにやって来る男も結構いて、どこかの大店の旦那らしき男もそんな1人で、女のところに通って来ては、抱くのではなく縄で縛り、打擲する遊びに溺れている。

 遊郭ではできない背徳の歓びを味わえる場所。それは女にとっては地獄にも等しい場所。打ち据えられて傷だらけになっても、払いが良いため退けられず、他に身を養う方策のない夜鷹の立場の弱さに哀しさが染みる。

 そんな女を、いつも川岸から見ていた若い髪結いの男がひとり。見初めて時に抱くものの、次にやって来た大店の旦那が嫉妬心からか、それとも根っからの悪党だからか女を縛り、叩き川へとたたき落として平気な顔。怒った髪結いの男は、手に短刀を持って旦那を刺しては、女を置いて江戸からどこかへと消えていく。

 決して添い遂げられることのない2人の残酷な間柄。弱い立場にありながらも、それを糧につなげなくては食べていけない女の悲哀。格差社会と昨今は呼ばれるが、今と代わらない、むしろ命の重さでははるかに軽く見積もられていた、江戸の昔の弱者たちの生き様が浮かんで心を揺らす。

 2人の男が橋の上から飛び降りようとしていた着物姿の女を助けると、どうやら蓮根を探しに来ていたらしい。男2人が泥の沼へと入って蓮根を探すと、その間に女が服を持って消えてしまう。

 体よくだまされたのか。そう憤ったのも束の間、女が戻ってきては男たちの衣装の中にあった女の財布を差し出してみせる。同業者たちの化かし合い。さらに、女の見かけとは違った正体も明らかになって、あの時代に生きる大変さといったものが浮かんでくる。

 迷子になっていた鴉天狗の子供と仲良くなった少女が、しばらくいっしょに遊んであげたものの、やがて鴉天狗の子供は探しに来た仲間に引き取られて返っていく。せっかくできた友だちがいなくなってしまう寂しさに泣く少女に、鴉天狗の子供は薬と烏帽子を預けて消える。一期一会の哀しいけれども温かさが染みてくる。

 おそらくは江戸の市井に生きる人々の、苛烈で哀切に溢れしたたかで強靱な生き様が描かれた短編たちが寄せられた作品集。夏の遊郭に雨宿りに入った男が経験する不思議な出来事などもあり、科学だ何だといってくっきりと現実と不可思議を分けてしまっている現代とは違い、限界と異界が背中合わせにあった時代の面白さを感じさせてくれたりもする。

 江戸を舞台にこれだけの濃密な物語を絵により描く一方で、現代を舞台にケーキをめぐる男や女の情動を連作風に描いて見せた「ケーキを買いに」(太田出版、952円)も同時に出す。

 現代が舞台になった、すこしばかりエロティックな要素を持った内容の作品を描かせてもきわめて巧み。それでいて、江戸のような過去の時代を舞台に、身分の格差や仕事の複雑さを折り込みつつ、髷や着物といった独特の衣装を身に着けたキャラクターたちを描いても違和感がない。

 どんな時代でも男女の機微や心理は同じかもしれないが、それぞれにあって独特に雰囲気というものはある。それを違和感なく描いてみせる才能を、ただ才能なのだと言うだけでは言い足りないくらい、深さと広さを持った漫画家だ。

 「チルヒ」が舞台にした江戸で言うなら、杉浦日向子という格別の先達がいて、人情に幻想、怪奇といった幅の広い物語たちを描き残している。ただ、いささか絵柄が独特で、現代の漫画に慣れた目を楽しませてくれるかというと悩ましい部分もある。まずは「チルヒ」で世界に接し、そこから杉浦日向子の世界へと遡ってみるのも、あの時代をより深く知る上で、そして漫画というものの凄みを味わう上で必要かもしれない。


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