地下十七階の亡霊

 親の縁故で入社したとか金をつんで入学したとかいった話を聞いて腹が立つのは、たぶんいちおう建て前としても、「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」といった平等意識が人の間に行き渡っていて、にも関わらず現実問題さまざまな不平等が存在していることに、違和感というより嫉妬を覚えるからだろう。ならばもしも生まれながらにして階級が存在する世界に暮らしていたら、人間はそれを諾々を受け入れるのだろうか?

 とりあえず受け入れる、というのが考えつく結論だ。平等が建て前のこの社会ですら、腹は立ててもだからといって叛乱を起こすほどのパワーを人間は持っていない。かつては特権階級を打破しようと立ち上がった勢力もいたことはいた。がしかし、そうした勢力が実は内部に公然と階級を作って秩序を維持していたことをみると、人は階級なくしては、というより他人と自分を区別することなく生きてはいけない。

 それでも人間が社会を階級でもって秩序づける意識を、時に上回るものがあるらしい。それは生存本能であり、種族維持の本能であるといった、人間というよりはむしろ生命体としての本能に近いもののようだ。たとえ生まれながらにして不平等を平等なものとして擦り込まれようとも、ひとたび生命体としての本能が働けば、人間の作り出した秩序も、階級もすべてを壊してそれに従おうとするようだ。  飯田雪子の「地下十七階の亡霊」(プランニングハウス、800円)が舞台としているのは、まさに不平等が平等として認識されている世界だ。その世界では人間は、高い塔のようば場所で幾重にも重なったフロアに自らの階級を定めて生きている。行けるのはひとつ上とそして下だけ。何故そうなったのかは実は正確な説明はなく、とりあえず地表を人間が多い尽くさないよう塔にして高く人間を居住させる政策がとられたと、学校では説明していた。

 そんな塔の21階で暮らす少年、ジェイドも当然、自分たちの社会が階層化されている事は知っていたし、それに何ら疑問は持っていなかった。上にはエリートが住み、下には劣った人間が住む、という事すら認識しているようだが、さりとて上に逆らい下を卑しむ気持ちもなく、ごくごく当たり前の事として社会の階層化を受け入れていた。だがある日、公演で不思議な踊り子を見たことからジェイドの世界認識は変わり始めた。むしろ崩壊したといっても良いほどの、劇的な変化を迎えたのだった。

 フェデルタ、という名の踊り子は何と地下17階からやって来たと言った。上下に1階づつしか進む事を許されない世界で、IDを盗んでその世界の人間になりすまし、許された1つ上の世界へと上がってからまたIDを盗む。そして1つ上がる。その繰り返しで踊り子はどこまでも上を目指そうとしていた。でもどうして? 21階だって決して悪いところじゃないのにどうして上を目指すの?

 理由はラストに明らかになる。この世界が世界として維持されるために行われていた驚くべき秘密が、フェデルタをして際限のない上昇志向へと駆り立てる。それは決して頂点に立ってすべてを見下したいといった社会化された人間の持ち得る一種の知識などでは決してない。前述したようなむしろ生命体としての本能に近い衝動だと言えるだろう。

 フェデルタの気持ちを知った時、たとえそれが現実的には虚しく哀しさの伴う衝動だったとしても、誰もフェデルタを笑うことなんて出来ない。たぶん全ての人間が、社会を壊して彼女と同様、生命体としての本能に付き従うことになるだろうと、これも本能として理解できるから。ジェイドの代理母が親のいない子供のために母親の役割を務める「ダブルマザー」となったように。ジェイドが手紙を上に出そうと誓ったように。

 「BOOMTOWN」以来、CD−ROMで「噤」を発表した程度の内田美奈子のイラストがフェデルタの美しさを引き立てる。なるほど彼女を見たら、厳しい適性試験をくぐり抜けて選抜され地下16階までとされる世界のもう1つ下にある、秘密の地下17階へと降りていった彼が、あっけなく精神を崩壊させた。いや真っ当になったのも無理はないと思えなくもない。

 だとすれば彼を選抜するテストは、英明な人々が作ったにも関わらず実は穴だらけだったと言うことにもなる。そのあたりにいささかの疑問があると言えばある。また、階層化された世界がどうして作られ、何故に維持され続けなければならないのか、そのバックグラウンドをもっと深く知りたいという気持ちもある。

 が、まあいい。人工的に管理された世界の成り立ちとその崩壊の中で「人間らしさ」を取り戻す話は他にいくらだってある。むしろ「地下十七階段の亡霊」では、何人たりとも侵すことのできない生命体としての本能が、いかな圧力も洗脳も打ち破るだけのパワーとなり得ることを、教えられたと感謝して本を置こう。


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