天牢都市<セフィロト>

 タワーマンションでよく、上層階の方がステータスが高くて、下層階の方が庶民に近いといった解釈がなされて、同じタワーマンションに暮らす人たちの間で、軋轢が生じることがあると聞く。上層階にホテルで言うスイートルームのようなゴージャスな部屋が多くあって、それを買う人たちが超高額所得者であるのに対して、下層階は安価な部屋が多いため、上層階民が下層階民を見下している、といった理由があるのかもしれないけれど、たとえ価格的に大差はなかったとしても、どことなく上に住んでいる方が偉い、といった感覚に人は陥りがちだ。

 ちょっとコンビニに買い物に行くにも、長いエレベーターを降りていかなくてはならず、荷物を運び入れるのにも苦労しそうな上層階が、下層階よりゴージャスだとは思えないし、空気だって上に上がれば薄くもなって、血の巡りが悪くなるかもしれない。それはさすがに根拠に乏しい理由だけれど、景色が良いほかは暮らすのにも不便で、安全性の面でも不安な上層階が、それでも下層階を文字通りに見下す心理は何なのか? 天にこそ極楽があり涅槃があり天国があるという想像が、人類の奥深いところに刻まれるような事態が、発生から進化を経ていく過程であったのかもしれない。

 想像するなら、引力があるこの地上で、人は下には簡単に落ちることが出来ても、上にはなかなか上がることができないという、物理的な問題がずっとつきまとっているのかもしれない。それが感覚に刻まれ、宗教に唱えられて人の心を縛り、上は偉くて下は貧しいといった観念を生んでいるのかもしれない。秋月煌介の「天牢都市<セフィロト>」(MF文庫J、580円)という物語でも、そうした“重力”の問題が大きく影を落としていて、人類の間に階級めいたものを作らせている。

 その世界は天空に浮かぶ巨大な半球を地盤とした、セフィラと呼ばれる都市が折り重なって出来ている。ぜんぶで10層から成るセフィラには高低差があって、最上層には天使が暮らし、下がって貴族が暮らし宗教が盛んで産業が発達しているといった具合に、階級による住み分けのようなものも出来ていた。どうしてそうなったかは不明。最下層のその下に大地があるかも分からない。そして、重力の影響で下には落ちられても上に行くには特別な船を仕立てなくてはならず、下層が上に行くことは困難で、制限もれていた。

 そんな世界で、最下層から自力で飛行機を作って上へと行こうとしたカイルという少年と、リアという少女がいたけれど、無事に飛び立ったものの高みを目指しすぎて途中で落下。最下層こそ脱したものの、どちらかといえば下層にあるイェソドという街でカイルは暮らすことになった。最下層の住人の一部に、訳あって伝わる世界の本質に干渉し、その在り方を<<再定戯>>する力“定戯式”という特殊な力を持っていたカイルは、何でも屋といいつつ酒場の用心棒ともいいつつ、実質のところは雑用係をしながら日々をどうにか生きていた、そんなある日のこと。

 店に頼まれお使いに出た先でカイルは、空から落ちてきた少女を拾った。怪我をさせずに助けることが出来た少女はヴィータと名乗り、自分は記憶喪失だと言い張った。そこに現れた謎の男が襲ってきたのをカイルはかろうじて撃退し、ヴィータを世話になっている酒場へと連れ帰って、そこの女主人の所で働いてもらうことにする。天真爛漫で疑うことをしらないヴィータと、下層の街で生きながらえてきたカイルとでは、住む世界がまるで違っていたけれど、それでも頼られ世話をするうちに芽生えた情愛。それは、ヴィータを追って上層から貴族の男が現れ、ヴィータを連れ帰ってしまった後も残ってカイルを突き動かす。

 移動が困難なように設定された階層的な社会に、必然として生まれるある種の差別。それをどうにかしたいと願った、アイリスという名の勇気ある女性によって発明された、セフィラ間をつないで上へも行くことができるようにする、画期的な昇降装置に対する反発が招いた悲劇があり、それを嘆き憤る男の慟哭もあって、階層に区切られた世界が平等になることの困難さを感じさせる。

 けれども、別れていたままでは埋まる溝も埋まらない。動かなければ何も始まらない。そんなビジョンをカイルとリアの言動から示し、ヴィータという少女が学び知ったことからも示して、世界にひとつの未来というものを与えてみせる。そんな物語だ。

 もっとも、本当にそれで何かが変わったのかはまだ分からない。ヴィータはカイルの下に止まり、世界はある種の膠着状態に陥ったように見えるけれど、そこから先、少しでも動いていくと信じたい。それこそがアイリスの願いだったのだから。

 続きがあればそういう世界が描かれるのか。他に幾つかある都市をめぐる物語になるのか。天使という存在が持つ秘密が明らかにされるのか。期待して待とう。


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