色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 名古屋に生まれた人とか、名古屋に移って来た人とか、名古屋で学んだ人とか、名古屋で働いた人とか、そんな名古屋に生きたことのある人になら分かる、あの感覚、あの境地。

 どういうものかと言葉にするのは難しくても、そういうものだと肌身で覚えている、独特で土着的な空気感を、文中のそこかしこから漂わせては、改めて名古屋という場所について考えさせてくれる。

 村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文藝春秋、1700円)は、そんな不思議な小説だ。

 どういうことか。名古屋には、ある種の正・名古屋的な概念というものが色濃くある。よく言われるのが保守的で、閉鎖的といったもの。外部から見ればとてつもなく、とっつきにくそうなそれは、内部にあれば結束となり、仲間意識となって人々を結びつけ、つなげている。

 そこに組み込まれることによって、人は安心と安寧を得て、いつまでも漂っていられる。それこそ死ぬまで。だから人は、なかなか名古屋を出ようとしない。学ぶ場所は外にもあって、働く場所も外にいくらだってあるにも関わらず、名古屋で学び、働き、結ばれ育み過ごして、そして死んで八事の火葬場で燃やされる。

 多崎つくるという、今は東京で鉄道会社に勤めて、駅を作る仕事をしている男の高校時代からの友人だった、アカとアオという2人の男たちがまさしくそんな、名古屋を覆う安心と安寧の網に絡め取られていた。高校から大学を経て、仕事も暮らしも名古屋に得た。

 もちろん、全員が全員、そんな正・名古屋的な網に絡め取られている訳ではない。網には隙間があるように、安心であっても安寧を得られても、名古屋を出ていこうとする人は必ずいる。反・名古屋的ともいえるそうした行動を、多崎つくるが高校時代に共に過ごした4人の仲間たちのうち、アオとアカ以外のシロとクロという、2人の女たちが選んだ。

 そのうちの1人は、繊細さゆえに箱庭のような空間に歳月とともに生じる歪みが受け入れがたかった。知らない顔をしていればやり過ごせるものだったにも関わらず、耐えられいと感じて自ら崩壊へと導いた。もう1人の女は、それでも時が経てば元通りになったかもしれない関係を待てず、逃げ出すように名古屋の外へと出ていった。

 もっとも、それらは名古屋という場所に対する、カラフルな正という意識と相対する、モノクロの反意といった感情を、根底に潜ませたもので、無色透明の無関心というものでは決してなかった。

 ひとり、4人とともにメンバーを構成していた多崎つくるだけは、正・名古屋的な観念とも、反・名古屋的な情念ともかけ離れた、脱・名古屋的とも言うべき場所に立っていた。あるいは立たされるようになった。

 駅を作りたいという思いから、東京にある大学に進んで駅作りの得意な教授に学ぶことを選んだ。休みともなれば名古屋に帰って、アカにアオ、シロにクロの4人とも会っていた多崎つくるだったけれど、2年生になった夏、多崎つくるは突然、4人から理由も分からずに拒絶される。死にたい思いに半年ばかり苛まれた後、生まれた場所で家族が暮らしているという事実を別にして、多崎つくるは名古屋を振り切る。

 そして10余年。鉄道会社に希望の職を得て、旅行会社に勤める2歳年上のガールフレンドも出来て、このまま連れ合いになって東京に暮らし続けるというレールが見えそうになった時、多崎つくるはふり返った。あるいは振り返らされた。ガールフレンドを抱いていても、どこかにポッカリと空間があることを、聡いガールフレンドは感じていた。それを埋めるために必要なことを、多崎つくるにするよう求めた。

 空間とはつまり、大学2年の時の唐突な拒絶。その理由を知るために、多崎つくるは名古屋へと向かい、フィンランドへも飛んで、かつての仲間たちから話を聞く。そしてたどりつく。アカとアオが絡め取られ続けている正・名古屋的な観念も、シロとクロが選ぼうとした反・名古屋的な情念も、多崎つくるが放逐の果てにたどりついた脱・名古屋的な諦念も包含して、すべてを受け入れ乗り越えようとする超・名古屋的な境地に。

 そこから多崎つくるは、自分自身の道を選ぼうとする。けれども、そんな多崎つくるの前に巨大な壁が立ちふさがる。あるいは夜明け前に似た暗闇が覆う。居場所のなさ。たとえ東京に職を得て、家を得ていても、そこが本当に自分の居場所なのかが多崎つくるには分からない。確信も得られない。

 多崎つくるは仕事で駅を作る。けれども駅は家ではない。通過点でしかない。多崎つくるは自分の家を作りたい。そのための方法が分からない。なぜなら多崎つくるは家だった名古屋を忘れてしまったから。名古屋を愛していれば作れた。名古屋を憎んでいても作れた。けれども、忘れてしまっていては何もできない。やがて色を失い、朽ち果て、消えていくしか道はない。

 どうするか。どうすればいいのか。考えるしかない。名古屋に生まれ、育ち、学び暮らした経験がありながら、名古屋より離れ、居場所のなさに迷っていることを、この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで改めて感じさせられた者たちは、多崎つくると共に、名古屋という場所の持つ意味を、考え直してみるしかない。

 その先に道は見えるだろう。世界のすべてを名古屋とし、汎・名古屋として塗りつぶして、その中に安心を安寧を得る道が。だから動くしかない。世界のすべてを名古屋とするために。まずは、味噌から始めよう。赤く、濃い味噌を、すべての食材に使うことから始めてみよう。


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